Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都に棲む20.

2008年11月13日 | Kyoto city
 このブログの回数を数えたら325回となっていた。世の中にある多くのブログ回数には、遠く及ばないが、それでもコツコツと書いている。 私は、ほとんどプロモーションをしない故もあるが 、見ている人は大変少ない。
 そんななかで私には、ブログの理想型というものがインターネットの世界では存在しないとする認識がある。というのもデザイン界、特に建築分野の評論などを読むと、例えば「住まいの理想型」といった表現が好まれる。だが何時の世も、理想型という絶対的な住まいの様式なりが答えとしてあるわけではない。理想というのは、個人がある時期の現実の条件なり知見を踏まえて将来をみればこういう方向だろう、という一つのモデルに過ぎない。モデルであれば、複数の答えが成立する。だから提案といったほうがよいのである。
 そして話を広げると、理想的な社会という概念も存在しない。正確に言い換えれば、ある時期に、現実の条件の幾つかを改善すれば将来はこんな姿がモデルとして描かれた、ということである。私は、出版や広報などにおいて、モデルでは表現が硬いしわかりにくい、ということで理想という言葉が好まれたと理解している。つまりそれは出版用語だ。
 さてプログという日記は、現在から過去の出来事を見据えて書いているのだから、当然モデルとしての性格はない。現在を軸に将来への提案が私のデザインの仕事であり、現在から過去を顧みるというのが、このMIKAMI`S BLOGであると、整理しておこう。それは、なんかリニアなスタイルだな。

奈良・東大寺
Fuji FinepixS5pro,F3.5-5.6/16-85mm
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京都に棲む19.

2008年11月12日 | Kyoto city
 奈良を続ける。二月堂付近の誰しもが撮影する風景の一つ。この辺りを歩いていると、奈良公園と東大寺境内と公道とが判別しない所有境界の曖昧な空間だと感じる。あるいは公道などなく、すべて東大寺境内なのであろうか。境界毎の塀などの仕切もなく、ビジターにそんな曖昧さを感じさせてくれるところが、古都の優れた風景となっている。
 そんな曖昧空間の一角にこの写真の民家がある。この民家の二階は、頭をぶつける程に天井が低いはずだ。江戸時代後期或いは明治初期頃の様式だろうか。それに居室の壁が塀の一部になったりしてファサードに変化がある。しかも民家の前面は、広場状の不整形に少し広がったみちの交差部である。いい場所に、 低く構えたとても良いプロポーションを持った様式は、巧みなデザインだと思う。
 折れ曲がる階段を下ると、みちは東大寺の裏を抜けて市街地へ続いてゆく。
 
Fuji FinepixS5pro,F3.5-5.6/16-85mm
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京都に棲む18.

2008年11月11日 | Kyoto city
 京都から私流の郊外と読んでいる、奈良を続けよう。東大寺から二月堂に向かう「みち」は、いろんな意味で名所と呼べるのである。少しクランクしたみちの正面に、はすかいに位置する二月堂を眺めることができる。往時の塀と相まってうまい景色だと思う。唯一残念なのは、街灯である。どんなデザインの街灯を持ってきてもこの風景で絵になるものはないとおもう。そうであるならば、むしろ1m以下の足下灯一つでよいのではと思われる。あるいは街灯を設けないという方法もあるだろう。
 さてこのみちを市内に向かって下ってゆくと、右手に正倉院の校倉があるはずであり、左手は東大寺である。夕方は大変暗いが、土壁の塀などが残り、古いままの奈良の姿が感じられる、なかなかよい雰囲気のみちが続く。ああっ、やはり奈良だと思わせる静けさや寂しさが漂っているようだ。
 奈良にはコンビニエンスストアがない。夜になれば、みな早々と寝てしまうかのような、そんなライフスタイルなのだろうか。そうした街の風景をみていると、昭和から平成になっても、時間の流れが止まったかのような日本の風景がある。私達自身が時間に流されているのかも知れない。そんな気分にさせてくれるのが、奈良の時間である。

Fuji FinepixS5pro,F3.5-5.6/16-85mm
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京都に棲む17.

2008年11月10日 | Kyoto city
 京都に棲むと題しながら、その郊外に足を向けたい。東京で言えば1時間でゆける鎌倉みたいな所、それが奈良である。鎌倉と違いここも京都同様に世界文化遺産が数多い。奈良は、その点では鎌倉とは格が違う。それから野生の鹿が放し飼いにされているという風景も鎌倉にはない。京都から1時間あれば、西の京や法隆寺には行くことができる。
 奈良の国立博物館で調度60周年の正倉院展が開催されていた。私は、それを目的に訪ねたわけである。記念展なので美術の教科書にも掲載されていた硝子の器などの国民的に知られた展示がされており、少し拍子抜けした。まあここは、そこそこに、夕方奥の奈良公園へ足を伸ばした。夕方だったせいかもしれないが、都市の中にこの観光シーズンの時期にこれだけ、人の少ない優雅な空間があることに感激した。人は少ないが自然と多くの鹿は見かけた。鹿を目の当たりにして、ゴメン・・お煎餅はさっきあげてしまった、と思ったが、所詮野生なので気にすることはないだろう。
 都市の中に野生の生き物がいるところというのも、日本では数がすくないと思われる。そんな一つが奈良だ。生き物が都市にいるというのは、どこか不思議な感覚を呼び起こす。昔は、これが普通だった。そんな追憶かも知れない。奈良は、歴史の時間が停まったような都市である。そこが奈良のよいところであり、嫌われるところなのかもしれない。

Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む16.

2008年11月09日 | Kyoto city
 市内の各神社で、今年一年間の収穫に感謝する行事、お火焚祭が始まりだした。私が棲む町内会でも来週お火焚祭がある。お火焚祭では、風邪封じの焼きみかんや饅頭などを供え、子供たちに与えたりする。また 火を用いる鍛冶屋等では、ふいご祭りなどがで行われる。
 私の出身大学、筑波大学芸術専門学群でも、金工や陶芸の窯があるので、毎年この時期にふいご祭が行われる。学生の中から神様を仕立てあげ、学生やOBや先生らが大いに集い、飲み語らう行事であり、最近では、この日は工房全体がお祭り騒ぎである。一年の制作に対して火の神様に感謝というのが、趣旨だ。芸術系の大学ならば、よく行われている行事である。
 そういえば、私が今勤めている大学では芸術を冠しながら、ふいご祭がない。 それでは実につまらない大学だなと思う。窯がないのだろうか。窯がなくとも日頃世話になった工房に感謝する、というのは意味のあることである。

伏見稲荷、お火焚祭
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmm
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京都に棲む15.

2008年11月08日 | Kyoto city
 一昨日、名古屋から東京に出た。東京を歩いていると違和感を感じない。人生の過半を首都圏で暮らしたのだから、いたしかたない。そう思う反面、現代人の意識として、属地的な意識がなくなっているのかもしれない。全国同時に情報が伝わり、通販を介して同じ商品が購入でき、同じような生活をしていると、人間の意識も地域とは関係性がなくなくなり、全国的に均一化してくるようだ。つまり何処に棲んでも同じ、という見方もできるようになってくる。
 それじゃつまらんし観光客も来ないということで、逆に地域を売り出そうとする。生活は一緒であっても、プロモーションにおいて地域性をアピールするといった、均一生活と地域情報との矛盾を孕む現代人の意識を感じる。
 そう考えると、観光行動も形式的或いは陳腐化せざるを得ない。京都という街もそんな、現代人の意識を反映させながら、年間4,900万人(最新値)がやって来る。
 ここに掲載した写真は、そんな観光風景とは関係なく、年配と若い着物姿で、多分京都人だと思われる人々が祇園の辰巳橋の方へ歩き去っていった風景である。花街の人々なのかも知れない。

祇園新橋
Canon EOS Kiss Digital,SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
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京都に棲む14.

2008年11月07日 | Kyoto city
 八坂の塔シリーズのラストは、遠景観だろう。この写真は、高台寺の入り口付近で撮影したものだが、見る位置によってはランドマークが見え隠れするので、周囲の風景の中に呑み込まれそうでいて、凛と見えるときがある。或いは周囲の風景が、ランドマークをかわすように設えられている。このような見え方をするとき空間の奥行きというものを感じさせてくれる。
 このように八坂の塔が親しまれている要素の一つには、街中で相対峙して見たり、隙見たり、見下ろしたり、見え隠れしたり、といった具合に、見る位置によって様々な見え方ができる、景観的な多様性がある。それは、風景を創ると同時に、人々を飽きさせないためのランドスケープデザインのポイントの一つである。

Fuji FinePixS5pro,DistagonF2.8/25mm



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京都に棲む13.

2008年11月06日 | Kyoto city
 一般にランドマークといえば、誰でもが認知しているとか、特定の人々にとって意味ある存在や形態であるといった、意味づけが伴えば、成立してくる。八坂の塔は、この辺りが傾斜地であり、見ている人間の高さが変化するので、上下の視界の変化が加わる点が特徴である。それに建物が密集し、道も少し不整形なことも加わり、多様な見え方ができる。このブログでも今回で5通りの見え方を紹介している。
 
Fuji FinePixS5pro,DistagonF2.8/25mm
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京都に棲む12.

2008年11月05日 | Kyoto city
 八坂の塔の見え方を続けよう。塔である以上誰しもが「仰ぎ見る」という経験はするだろう。通例塔の正面通りである八坂口からみる民家に挟まれた塔の風景が一般的なのだが、もう一つ塔自体が堂々とみえる場所がある。清水寺へ上がってゆく参道の、とある路地を入ると少し不思議な世界がある。ここを進むと写真のようにオープンに開けた空間があり、民家越しに「仰ぎ見る」という風景になる。路地をさらに進むと八坂口からの道と合流する。
 塔が、回りの何もない空間に突出したところが、威風堂々とした風景となっている。空間的に何もないということは、意外に重要な景観要素なのである。
 現代建築でも経験する日本人の習性として、壁が空いていれば張り紙をし、空間が空いていれば家具を置きたがる。とにかく隙間を埋めようとする習性には、辟易させられる。中国や東南アジアの風景を思い浮かべれば、そけはアジア人に共通する意識なのかも知れない。
 ところで環境や空間をデザインする立場での意識は、「引き算」なのである。阻害要因をできるだけ排除し、秩序と快適さを設えようと努力しているのである。ところが人間の思い出という意識は、多種多様なモノをまとわりつけて空間に入り込んでくる。結果として見事なというべき混沌とした空間がてきあがる。このようにデザインする立場と、利用する立場はいつも相反している。
 さて今日は、名古屋で展示会への出展などがあるので、ブログは休みます。

Fuji FinePixS5pro,DistagonF2.8/25mm

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京都に棲む11.

2008年11月04日 | Kyoto city
 「垣間見る」という言葉がある。路地の町屋越しに眺める法観寺八坂の塔も、日本的な優れた風景だ。垣間見るという言葉通り、絵になる風景だと思う。このような風景を知ってしまうと、やはり建物の高さは低い方がよく、それも2階ぐらい迄かなとおもう。この街のランドマークは、やはり塔なのである。
 現代は、こうした塔よりもさらに高い建築物を大量量産し、垣間見られる優れた風景を損ねてしまった。「しょうがないじゃない」という意識で気にかけることはない。そういう感覚なり神経を持った都会人は、結構多いのである。
 八坂の塔の高さは49mであり、我が国最大の東寺57mに次いでいる。京都駅の高さがが約59mだから、京都では50m代というのが最高高さだとおもわれる。そうした高さはランドマーク性ある建築にゆだね、通例町中の建築は2階建て、100歩譲って4階程度とするほうが、景観上はよい。
 今京都の都心は10階建て程度の建築物が多いのだが、何十年か先に、それらがなくなり、少しは京都らしい町並みに戻ることを期待している。そういう点で、都市の景観規制は未来的な英断だったのである。日本の人口も減少に転じ、なにかにつけてダウンサイジングが、これからの必須である。新しく建てる発想ではなく、不適切な要素を次第に削除してゆく、それがこれからの街づくり指針ではないかと思う。

Fuji FinepixS5pro,AF Micro Nikkor F2.8/60mm
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京都に棲む10.

2008年11月03日 | Kyoto city
 最近の京都は街の景観条例が厳しくなり、都心部でも高層マンションが建てられなくなった。従って現在ある高層マンション群は、すべて既存不適格となり、今後同じ延床面積での建て替えはできない。つまり 同規模での再度の入居はできなくなるので、権利関係が難しくなる。それは、利用者にとって何十年か先の話であるので、その頃にはライフスタイルも変わるだろうし、特に今は大きな問題もない。ただし、中古物件として売れないだろうと思われる。
 ところで、この写真は祇園閣から撮影した東山界隈だが、これを見ていると、 実際に建物の高さは、条例が定める4階建て迄がやはり許容限度であり、そして街全体が町屋であれば申し分ないと思う。これが日本の風景であり、やはりこの風景を、京都からなくすことはできないだろう。その分投資規模も小さくなり、また事業性も低くなるので、事業や商売には工夫を伴うだろう。
 こうした話は、私が住んでいる町屋には無関係なので、安心しているが、それでも東山から街を見下ろした際の制約などがあり、多分突出した形態や屋根材などの利用を制限しているのだろう。私の家には、突出物もなく瓦屋根なので、あまり問題がないようだ。至極普通の日本建築なのだが、私が棲むところは美観地区に指定されている。

Fuji FinepixS5pro,AF Micro Nikkor F2.8/60mm
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京都に棲む9.

2008年11月02日 | Kyoto city
 最近、朝晩は、少し冷え込んでいる。この冷え込みが周辺の木々に作用し、やがて色づき紅葉になる。気象予報で、東京、名古屋、大阪と大都市の気温を比較しても、2度ぐらいの違いしかなく、同じような気候に思われるのだが、体感温度で京都は寒さを感じる。
 寒いときは家の中で読書というのは正解である。写真は明治建築を再生させた京都府京都文化博物館での古本市だ。 建築デザインと催事内容とがマッチングするというのは少ないのだが、 この明治建築に古本市は、大きな空間の中でよく似合っている。どうせならば常設本屋にして欲しいと思われるが、デザインだけで催事を決めるというのは無意味だろう。だが海外へへゆくとこうした大きな空間を要する本屋をいくつかみかけたことがある。博物館の許可をへて、2階から撮影させていただいた。
 それにしてもDistagonの写りは、大変良い。単焦点レンズの故もあるが、歪みが少なく、建築空間として見られるようだ。あまり意識はしていなかったのだが、やはりズームレンズとは、違う見え方があるようだ。マニュアルフォーカスで使い勝手が良いとはいえないが、もっと活用せねばと思われるレンズである。

Fuji FinepixS5pro,DistagonF2.8/25mm
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京都に棲む8.

2008年11月01日 | Kyoto city
 昭和の名残を持っているこの街に棲みだしてから、ようやく一ヶ月になろうとしている。最初に出歩いたのは近所の商店街であった。例えばたごとのうどんとか、渡辺豆腐店とか、五条長兵衛の佃煮とか、石焼き窯のパン屋、クラシックな喫茶店、といった具合に美味な個人店舗は数多くあり、そして 大方の総菜は揃う錦市場とデパ地下がある。多くが京都周辺や滋賀県の農家で採れた食材を用いて、自分のところで調理しているので、巷の食品問題などとは全く無関係な暮らしである。
 日本の流通構造は、中国などの海外から大量の食材を仕入れ、冷凍庫で保管しながら、市場動向をみて販売する。従ってその味も全国均一であり、海外で事件が起きれば、そのまま私達の生活に影響する。そんな均一的な構造には、うんざりしていたし、そして京都に期待した部分でもある。実際錦市場には、外国人を含むビジターが大変多く来ている。
 私が毎日でかける仕事の間の息抜きの喫茶店も、横浜時代のドトールやモスバーガーから、京都では近所のクラシックな喫茶店に変わった。せかされることも禁煙もなく、雑誌を読みながら、一時の時間をくつろぐことができる。少し歩けば、イノダコーヒーの本店がある。

Fuji FinepixS5pro, NIkkor-H AutoF3.5/28mm
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