Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE408. 夏日・海陽亭

2012年07月17日 | Kyoto city

 イタラヤカエデの生い茂る階段を上がると明治29年頃つくられた料亭「海陽亭」がある。内部のしつらえはみられなかったが、伊藤博文をはじめとする明治の政財界人の社交場であった。それにしては、あまりにも質素な玄関であるところが好ましい。

 私は、「海陽亭」というハイカラな名前の響きに、森瑤子の「なぎさのホテル」という小説を思い出す。小説では「鮫鰭亭」というが名前なのだが、勝手に読み替えて理解している。どこか湘南海岸沿いにありそうな、ホテルのようでもある。

 台風が梅雨前線を押し上げているので、梅雨明け宣言は容易にでないだろうか、京都の気候は、もう夏日である。

 

小樽市,2012年6月25日

OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6

ISO800,焦点距離9mm,露出補正-1/3,f4.1/60iFinish

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PEN LIFE406. 商業者の思い込み

2012年07月15日 | field work
 今日の画像は、小樽の街で見かけた風景。これはどう考えても現代建築であり、多分商業プロデューサが仕掛けた街づくりだろう。私に言わせれば、街づくりというよりは、街壊しに近い。 
 うだつの文様と言い、屋根の棟にある破風と言い、なんでこんなにズバリ中国民居建築のスタイルに拘るのだろうか。さらに塔屋を設けるという珍奇さ。この塔屋は埼玉県川越市の民家からコピーしたものだろう。そして奥に続く狭い路地を介して、中庭が広がり、ここがまた看板だらけでものすごい混沌とした世界が広がるわけです。
 まあ、やっちゃいましたねぇー、商業者が行う混沌の局地、そして街壊し。ここまでくると、皮肉的に笑える世界です。まあどうせ看板と一緒で仮設建築物に近いですから、気にいらなければ取り壊せば良いのだし。しばらくこの偽悪なスタイルで我慢しましょうね(笑)。そういう我慢を強いられるところが、日本的街づくりなんですね。
 実際に小さな古い倉庫というのは、小樽の街に数多くあるのですが、実は商業再生利用が大変難しいのです。その理由は、窓がありませんから、お店のプロモーションをしたりするとなると、窓を開けるか、大いに看板を出さなければならない。そうなると古いたたずまいは無くなってしまうのですね。結果として、なんのための再生かということになります。
 だから地元商業者の街づくりは、文化や建築様式に対する知識や理解が皆無ですから、正直言って街壊しに等しい場合があります。当然当事者は、そうした錯覚に気がつかないですからわかりません。むしろこれが街づくりと思いこんでいます。商業者の思い込みにもこまった現象です。

小樽市,2012年6月25日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離12mm,露出補正-1/3,f9.1/320iFinish
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PEN LIFE405. 混沌

2012年07月14日 | field work
 飲んべえのオジサン相手なのか、カップル相手なのか、鮮魚グルメ相手なのか、まあ観光客相手というのはわかるが、 何を考えてつくったのか意図不明の路地風商店街。荒っぽい北海道の気風のなせる技か。正面の看板は、卑弥呼だそうな。ここでなんで!!。実はこの看板を街中でいくつか見かけたのだが。混沌とした空気だけが漂う。
 商業者が行える街づくりというのは、この程度でしょう。というのも、とくに彼らは小樽の街の歴史に興味があるわけではないし、お店が繁盛すればいいのですから。こちらとしては、せいぜい街壊しにならないようにして欲しいですね。そういう矢先から風俗街風卑弥呼の看板だもんね。
 これまで街づくりの中心に商業をすえた仕事を沢山行ってきて、今思うのは、商業だけが街づくりではないよね、頭に思い描くのは、ワシントンDCの多くの博物館が軒を連ねるスミソニアン・ストリートだよね。こういう文化的な方法によっても、街づくりはできるよな。
 私の街づくり意識は、商業から文化に傾いている。商業者による街づくりには、利益関係が一致している部分だけですね。
 そういえば、京都では今日から祇園祭の宵々々山が始まった。近年神戸の花火大会時の歩道橋事件以来、警備や規制が大変厳しくなり、昔のように祭を楽しみながら撮影するという気分ではない。一方通行や撮影していると停まるなと注意されるし、それにこれでもかと言うぐらいに人出も大変多くなり、こちらも混沌とした世界であり、撮影する意欲は皆無である。幸いなことに土曜日、月曜日と、地域プロジェクトの撮影予定(天気が監督の期待する晴れ方であればだが)があるので、こういうときは、静かな名古屋にでも逃れようと思う。

小樽市,2012年6月25日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/1.3,f5.6.1/400iFinish.
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PEN LIFE404. 「大衆観楽」としての街

2012年07月13日 | field work
 ついこの俗っぽい商店街へ足は向かった。おかげて、背後にあった小樽近代建築の横綱である日本銀行小樽支店を見そびれた。因みに今日の画像の手前の民家の1階の下屋は、 日本民家にこんな形状は存在しないから、 あとから付け足したよな。伝統様式を壊しやがって、まったくもうという気分だ。
 最近の一般的な地域活性化の方法として商店街再生策がある。従ってこれに便乗したイベントやアートなどの多彩な活動も行われ、マスメディアに取り上げられたりもする。そうした活動自体集客効果もあるが、他方で本来商業と地域の歴史文化性とは無縁ではないだろうか、という素朴な疑問も生まれる。
 街とは生活の必然性ある生業があって街なのだが、それを失えば滅びるほかない。それを行政の制度の力で残そうというのは無理筋のように思われる。制度が関わりだしたときから、活性化という御旗の本で、古い建築の形態は陳腐化し、それを再生利用した商業が導入され、古い街並みが維持されたかのような錯覚に陥り、観光客がやってきて街は少し潤う。
 しかしそれは歴史文化的たたずまいというよりは、どこか通俗的な風景が広がり、観光サービス産業を生業としながら、全国画一的な活性化の姿に近づいてくる。実際ガラス工芸の街といえば、小樽か滋賀県長浜か、みわけがつかなくなる。こうなるともはや古くから伝承してきた地域の歴史文化性とは異なる次元である。
 そうであるならば、古い建築は張りぼてでもよい。つまりは看板建築による安上がりなテーマパークだ。派手な集客バナーがたなびき、地域あげてのイベントが行われ、お決まりのアイスクリームモデルや看板が立ち並び、アートが導入されマスメディアがやってきて関係者は大いに乱舞する、と言ったお決まりの非日常的な姿が登場する。
 他方観光客にとっては、デートコースであり、観光バスがやってきて、安い食材調達市場であったり味覚堪能であったりショッピングを楽しみたいのであり、記念写真を撮りたいのであり、ブログにして自分の旅行遍歴に加えたいのであり、本来の歴史文化から知的刺激を受けるという意識はファッションでしかないから、いわばステレオ・タイプ化した「大衆観楽」として来街する。そういう双方の非知性的姿、或いは大衆観楽的な姿が、地域再生だろうかという個人的な疑問を生ずる。
 言い換えれば、歴史文化性によって知的好奇心を刺激する地域の活性化策が他にあるだろうと思いながら、小樽の街を徘徊していた。

小樽市,2012年6月25日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/1.3,f7.1.1/640iFinish.
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PEN LIFE403. 小樽の中国

2012年07月12日 | Kyoto city
 小樽市内の古い倉庫を摸した現代建築なんだけど、なんか日本的でない妙なデザインだ。大仰な鵄尾に加え、建築の壁から前に突き出す部材を「うだつ」というが、日本建築では防火壁として昔からあったわけのだが、ここではその表層の装飾的デザインが異国的である。こういう模様の入れ方を、どこかで見た。それは隣国、中国の建築である。
 実は小樽の近代建築である倉庫群などをみているとどこか異国的なのだ。石造り風という工法のなせる技かも知れないが、見事に中国の空気を感じさせてくれる。今でも小樽と中国の大連、青島、上海などには週2便のコンテナ船が就航している。
 小樽と中国の関係というのは、現代の私達から見れば新しい発見であるが、昔からそれら両国の関係はつとに深かったのだろう。日本は中国を侵略していたので、侵略的関係性か。小樽の中国とでもいえるような建築意匠が市内のところどころで見られる。どこか好きになれない違和感を感じながら、小樽の街を徘徊していた。
 それにしてもOM-DのISO8000は、よく持ちこたえている。こんな高感度で撮影するつもりではなかったのだが、絵になっている。コントラストが甘いけれどね。

小樽市,2012年6月25日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO8000,焦点距離11mm,露出補正-1/3,f11.1/4000iFinish
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PEN LIFE401. 夜の札幌

2012年07月10日 | Kyoto city
 札幌出張の滞在日程が1日延びたので、小樽か札幌のどちらに宿を取ろうかと思案した。結局小樽では夜は退屈であろうと判断し、JR札幌駅前のJALホテルに宿泊した。これは正解であった。小樽からの帰りも、出かけるときも、JRにすぐ乗れるし、なによりも小樽と札幌間が快速列車で40分ほどの近さだったからだ。
 小樽からの帰り、夜も10時すぎにJALホテル最上階のラウンジで、シニア研究員とビールで、札幌の街を眺めながら一日の疲れをとることができたのは正解であった。
 夜の札幌の街は思いの外暗く沈んでいた。節電の影響か、あるいは広告塔に課税されるようになったかによって、建物屋上の広告塔が見られないというのは、面白い光景である。それにしてもどこの都市も同じようなビルばかりで、個性がないと思いながらグラスを重ねていた。
 札幌市の郊外に行くと、1戸辺りの敷地が広いためか、一様に樹木が生い茂り、緑の街と言えるぐらいに綺麗な風景が見られるということは付け加えておこう。
 よく考えたら今回は、札幌の都心に出ることはなかった。まあ次回か。
 午前中の研究発表に始まり、午後は小樽の街の徘徊と 二日分ぐらいの日程を消化したかのような忙しさであり、今日は随分走り回った充実の長い1日だった。あとは部屋に帰って風呂に入り熟睡だろう。

札幌市,2012年6月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO5000,焦点距離17mm,露出補正+1,f5.5.1/4iFinish
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PEN LIFE400. 衰退してゆく寂しさ

2012年07月09日 | field work
 船見坂をあがり、山腹を横に歩くと小樽市役所や図書館といった行政エリアがある。その辺りから坂を下ると花園という歓楽街に出る。
 だが、日曜日の歓楽街は灯りがともされているが人通りがなくい寂しい。ここに観光客が通うことはないから、通うのは地元の漁師さん達だろうか。そんな人達相手のスナックやバーが数多く並んでいる。多分近くには、昔は赤線と言った風俗街があったのかもしれない。
 いまではそんな名残もなく、至極普通の飲み屋街である。小樽は鰊漁の低迷で街が変わり、今また人々の生活、つまりライフスタイルが変わって、さらにこの歓楽街も寂れている。
 さらに近くの商店街の大きなモールを歩くと、日曜日なのに、或いは日曜日だからかもしれないが、店は早々とシャッターを降ろし、歩く人はだれもいない寂しさが漂う。それは港町特有の寂しさとは随分違う。そう、街が次第に衰退してゆく寂しさである。現在では観光以外になすすべのない、行き場のない小樽の街なのかも知れない。
 この花園を抜けると寿司屋通りである。文字通り小樽の新鮮な魚介類をネタに用いた寿司屋が軒を連ねている。寿司好きの私としてはヨダレがでるが、一昨日も学会の懇親会で新鮮な寿司やカニを食べたので、ここはパスした。それにしても北海道は寿司が俄然うまい土地であることを再認識した。
 ペンライフのシリーズも400回を数えたか・・・

小樽市,2012年6月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO640,焦点距離14mm,露出補正-1/3,f5.1/80iFinish
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PEN LIFE399. 思い入れのある坂道

2012年07月08日 | field work
 市場の脇を通り抜け函館本線を越すと、15%急勾配の小樽屈指の坂、船見坂である。文字通りこの坂から小樽港に停泊する船舶や遠く増毛の山並みを眺めることが出来る。坂の正面に港を望むという同様のロケーションは、北海道では函館市がある。
 こういうロケーションは、視界の変化があって面白いと個人的には思う。調度私が以前暮らしていた横浜市鶴見の公団住宅も高台にあり、坂を下りて商店街があり、駅があるというロケーションだった。高台に居を構え坂を下りて街に出るというのは、昔からの憧れであり、それはどこから来たかというと、若いときに読んだ石坂洋次郎の小説に同様のロケーションが描かれていたことを思い出した。多分題名は、陽のあたる坂道。若いときの知識がしっかりすり込まれていたわけだ。
 もう一つ私の記憶では、映画「フーテンの寅さん・望郷編」で小樽が舞台となり、この陸橋の下を函館本線の蒸気機関車が煙を上げながらダイナミックに通り過ぎるシーンも、ここではなかっただろうか。
 港や街に降りてゆく坂道は、いろいろな人々にとって、それぞれなりの思い入れをつくる空間なのかもしれない。

小樽市,2012年6月24日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/1.3,f6.3.1/640iFinish
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PEN LIFE398. 少し俗っぽいのよね

2012年07月07日 | field work
 夕方、光が綺麗な小樽運河に沿って、都心方向へ歩いていった。こういう光の時に、Mズイコー広角ズームは9mmという画角と描写力が活きる。左手に、大正10年から昭和10年にかけてつくられた北海製罐倉庫(株)の工場・倉庫群が続いている。
 倉庫が建ち並ぶ小樽運河の定番スポットの徘徊は明日にして、というか私は定番風景にはあまり興味もないので、運河から山手に向かうことにした。山が海に迫り、猫の額のような狭い更地に、小樽の中心市街地がある。だから街を横切るとすぐに坂道である。
 マイクロフォーサーズ2台の撮影は大変軽く、使い勝手もよい。相変わらず持っていることを忘れさせてくれる。というのも私達は、撮影機材のために街を徘徊しているわけではないからだ。シニア研究員は、iPadで撮影していた。
 道すがら123軒ある近代建築のいくつかを撮影しながら思うのは、小樽の街は近代建築が連続して立ち並ぶ風景が少ない。精々運河沿いの倉庫群程度である。むしろ多数の古い建物が点在していることに特徴があり、その隙間に高層マンションが割り込んでくるといった具合に、どこの街にもある風景に近く少し平凡だ。だから函館のような伝統的建造物群保存地区ではなく、小樽は特別景観保存地区の指定である。 
 平凡なのは風景ばかりではなく、これを見に来る人間達もそうであって、彼らのWEBサイトのブログを見ると、紋切り型の古い街や被写体であふれ、大概はつまらないものが多い。WEBというパーソナルな表現手段が、画一化した個人の姿をあからさまにしてしまった。そういう画一化した人間達がやってくる今の小樽の街は、景観地区に不似合いな食材レストランの看板が登場し、観光ショップもあふれ、少し俗っぽいのよね。街の活性化の結果ではあるが、画一化した人達向きの設えがあふれており、文化性がみられない。
 やはり個人独自のものごとの見方、書き方がができ、それに伴って街も文化性を形成するようになるは、今少し時間がかかるだろう。
 そんなことを考えながら、私達も建築記録という画一的でつまらない作業に没頭していた。だから、こんどは雪が積もり吹雪いているときに、私の視点で小樽の少しすさんだ街を撮影したい。
 
小樽市,2012年6月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正-1/3,f11,1/500iFinish 
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PEN LIFE397. 建築行脚

2012年07月06日 | Kyoto city
 さて夕方の小樽市内の散策である。日が長くなつたので、午後5時とはいえまだ、二時間ぐらいは街を歩ける。建築行脚の始まりである。
 奥に見えるのは旧日本郵船(株)小樽支店である。昭和59年から3年の時間をかけて内装も含め修復工事が行われたので、内部を見たいところであるが、公開時間切れである。 手前は同社の倉庫である。いずれも 設計は工部大学校1期生佐立七次郎であり、明治39年に竣工した。
 こういう風景を見ると、戦前の中国の大連と言った都市と似ているのではと思う。それもそのはずで、日本人が海外に展開したのだから当然だろう。小樽はどこか戦前の中国の都市を思い起こさせてくれる。
 陽も暮れる頃、シニア研究員と一緒に小樽の街を風のように走り抜けていた。小樽の市街地や周辺には近代建築が123軒残されている。まあそのうち半分ぐらいは見たいなという希望をいだいて。
 こういう建築視察も研究上必要なのでやむを得ないのだが、やはり建築の知識を忘れて足の向くままに撮影者の視点で街を歩きつつ、お店を冷やかし、カフェでくつろぎたかったなと思った。それにはやはり冬だな。雪が積もった年末あたりにまた来たいと思う。

小樽市,2012年6月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正-1/3.3,f7.1.1/200iFinish
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PEN LIFE396. 旧手宮機関車庫

2012年07月05日 | Kyoto city
 ようやくブログの引っ越しが終わり、公開できるようになった。iWebが新しいサイトを表示しないので、未公開だとばかり思っていた。調べてもらったら既に公開されており、URLの末尾が蛇足であったという簡単な話だった。iWebというソフトに癖があり、今後アップグレードしないから、いずれはこれ自体も変えなければならないだろう。先ずは引っ越し完了である。
 この建築は是非見たかった。旧手宮機関車庫、明治15年建設、現存する北海道の建築としては、大変古い。そればかりか日本近代建築史の本を開ければ、群馬県の富岡製糸工場とともに巻頭に登場する明治建築である。フランス積みの煉瓦は華やかな明治の時代の始まりを感じさせてくれる。
 この機関車庫をねぐらとしていたのが、アメリカ・ビッツバーク製の蒸気機関車、弁慶号やしずか号である。弁慶号!、それは私が幼少の時に与えられた玩具である。この建築を見ているとその独自なアメリカンスタイル蒸気機関車を思い出す。幼少の頃の意識の中にしっかりすり込まれていたのだろうか。
 ともあれ、明治という新しい時代になったすがすがしさが、この頃の建築には感じられる。

小樽交通記念館,2012年6月24日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離9mm,露出補正-2/3.3,f11.1/100iFinish
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PEN LIFE395. 祝津港

2012年07月04日 | field work
 翌日曜日は、午前中はデザイン学会大会だった。今年は私のゼミの研究者の発表なので、最初からお気楽モードであった。時間もあったので札幌市立大学学長の蓮見先生の所へおじゃまし、清家清デザインを堪能していた。
 午後は小樽へ、小樽からバスに乗り継ぎ祝津港へでかけた。目当ては水族館ではなく、鰊漁が盛んだった頃の古い民家である。今では小樽に3軒位しか残っていないだろう。北海道特有の建築様式だ。
 祝津に着く頃から天気が良くなりだした。祝津港の灯台付近に上がると急峻な垂直の崖であり、いかにもリアス式海岸だねぇー。
 観光客は小樽市水族館であしかだかのショーでも見て帰るのだろう。だから漁港近くの食堂では、結構来街者が沢山いたです。私達は、水族館には目もくれず古い民家まっしぐらでしたから、観光というのもお仕着せの部分と、ビジター自ら情報を集めて回る部分とがあり、その両者は完全に食い違っています。私は京都に棲んでいますから観光で余所へでかけてる気分ではないですね。
 少し観光産業というのも、考え直した方がいいですね。調べてわかり得る旅と、行くとこないからまあアホみたいにお決まりのショーに脳天気にやってくる観光とどちらが観光文化なのかしらん。後者はデートコースともいいますが。
 私なんか鰊漁の民家で、こんなところに筵1枚もろて100人も雑魚寝していて、働き盛りのやん衆達のセックスはどうしていたんだろうと思った。だからこの港とか小樽の街には、売春婦達が居並ぶ赤線が昔はあったんだろうと推測したけど。だから今では健康的で嘘っぽい港の風景が広がっている。
 港の風景をみれば、漁船ではなくヨットが数多く係留されている。もう漁で暮らす街ではないのだろう。

祝津港,2012年6月24日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/1.3,f7.1/640iFinish
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PEN LIFE394. 引っ越し未完了

2012年07月03日 | field work
 新サイトはまだ公開できないが、ブログの方は書き続けている。いずれまとめてアップできるだろう。まだ引っ越し未完了です。
 昨日は久しぶりに夏日だった。夏日と言ってもまだ余裕のある夏日。京都の夏は、これからまだまだ暑くなるぞ。体が慣れるまで少し時間がかかる。それにしても夏日だったり、湿っぽい梅雨空だったりと毎日忙しい。
 前にも書いたが、モエレ沼公園の勾配は息を切らすことなく山の頂上へゆくことができる。登るにせよ降りるにせよ、歩いていても心地よい斜面だ。こういうところは上手いなぁーと思う。細かいランドスケープ要素を排して、大きな山と広場という大胆なデザインであり、どこか建築的であり構築するという意識を感じさせられる手法なのだが、北海道の大きな空間によく似合っている。
 実はここのデザインは、イサムノグチに加え、丹下事務所から独立したアーキテクト5が行っている。そしてモエレ沼公園で、日本建築学会賞を受賞している。そうかけば、なるほどとおもうところもある。

モエレ沼公園,2012年6月23日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG 9-18mmF4-5.6
ISO200,焦点距離10mm,露出補正-1/1.3,f9.1/320iFinish
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PEN LIFE393. 引っ越し

2012年07月01日 | field work
 6月末のMacのiWeb廃止に伴い、ブログサイトを、「ねこじゃらし」のmacserverへ引っ越す作業をしていた。
 せめてmobile meのブログサイトに引っ越し先を記載ぐらいはしておこうと考えた。だがそれも適わぬままに、6月30日はすぎていった。というか私が日にちを1日勘違いしていたこともあり、気がつけば7月1日であった。データの移行は完了していたが、この新しいサイトにブログをなかなかアップロード出来ずに手間取った。新しいサイトは、WEBでは簡単と書きながら、実は全く簡単ではなかった。
 それにしてもコンピュータ関連の人間というのは、どうして日本語がデタラメなのだろう。つまり文中にどういう立場(所属)からの説明なのかの記載がなく、用語解説と解決方法とを混在させるなど、全く体系的書き方ではないわけだ。だから実にわかりにくい文章になっている。私に言わせれば、大学の卒業論文が書けなかった連中としかいいようがない。
 そけはともかく、7月1日になったらiWebは完全に消失していた。もちろんWEB閲覧もできない。そこまで完全に消え失せるのであれば、引っ越し先をかかなくてもよかったと思った。それに私には公式ホームページがあるので、そこから新しいサイトをたぐれるわけだし。
 そんなわけで、さしあたりブログは毎日書いておこう。いずれ新サイトへアップロードできるだろう、という楽観的な気分で。

モエレ沼公園,2012年6月23日
OLYMPUS PEN E-P3,LEICA DG MACRO-ELEMARIT45mm,f2.8
ISO200,露出補正-1/1.3,f9.1/500iFinish
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