出したごみの中のわずかな残飯を狙い、カラスが突っつく。網で覆っても、重石の隙間を狙い、突っつく。重石を転がし、突っつき、卵のわずかな白みを、においのする納豆を取り出し、あとは、道路に突っついた残りを散らかす。日常茶飯事、どこにでも起きているカラスのいたずらが自宅前の三軒で連日発生している。ここ三週間、ゴミ出しごとに、散乱した道路を掃除をしている。近隣さんに伝えて、注意してもらっているが、また昨日発生。今後は、対処策を記述し、お伝えした。1.ごみの中身を見せない(厚いチラシで包む)、2.食品ケースをにおいがないように洗う、3.かぶせた網をしっかりくくる。4.ポリバケツに入れる。さあ、次のゴミ出しには被害はなくなるのか?ちなみに、我が家は、1だけで、一回も被害にあっていない。
山背古道を歩きたいと思っていた矢先に、ハーフウォーキングイベントがあり、参加しました。受付以外は、まったくのフリー。各人が自由に、歩いていきます。泉橋寺のお地蔵さん(日本一)、西念寺、大里環濠集落、椿井大塚山古墳(大量の三角縁神獣鏡)、小林家、涌出宮、蟹満寺、などををサラッと見ながら、山城多賀駅まで、14km弱、4時間半歩きました。終盤は、少し疲れましたが、中々、よいウォーキングコースでした。
山背古道のハーフウォーキングに参加しました。木津川市役所から、山城多賀駅まで14㎞弱は、なかなかのものでした,最後の椿坂センターからが少し、弱点の左ひざに違和感を感じ、何とか多賀駅までたどり着きました。泉橋寺、木津のお茶問屋、小林家、椿井大塚山古墳、湧出宮、蟹満寺、井手町、椿坂センター、谷川ホタル公園、濃い内容でした。後日、写真をアップします。パソコンのパフォーマンスが悪化、システムメッセージが部分表示なり、大変でしたが、何とか戻りましたが、少し、まだ、問題があります。
京都府南部の公共図書館の蔵書が800冊も近隣山間部の林道や農道に投棄されたと報道があった。京田辺市でも被害にあっている。早速、中央図書館に行くと、「貸し出し手続きを済ませましたか」の掲示板があった。そういえば、先月訪れた松阪市の図書館では、貸し出し手続きを終えていない本を感知するゲートがあった。以前も、蔵書が切り取られたり、落書きなど、図書館運営におけるいくつかの問題も発生したが、ただの呼びかけで対策済みでは根本的な問題は解決しない。この際、公共の図書館運営について、数年前から提案しているように、「知的集約的なサロンの場」を目指すための、抜本的な改革を図るため、新たな人材による知恵と汗を出し取り組んでいただきたく思っている。ここにも、上村新市長に対する期待が高まる。現在もそうだが、図書館の評価を年間貸し借り数で決まるという前世代的な価値観、呪縛を解かねばならない。
15日のつつきはっけんウォークの休憩時に、常連参加の著名な国会議員を娘婿に持つ方と京田辺のこれからについて、言葉を交わした。新市長を支えるスタッフ周辺がよほど、協力支援し頑張らないと新市長の思いは達成できないこと。12年間の自ら発信しない前首長のやり方が市の仕事だと刻み込まれた市職員の呪縛を解かねばならないと、会話が弾んだ。それにもまして、文化学術のまちでありながら、古代からの所有財産である文化財・文化人をおろそかにしてきた教育委員会をどう立て直すのかも大きな課題である。今の体制人材では、市の文化財についてあまりにも知らなすぎ、また学ぼうという姿勢がみられない。将来のあるべき姿を明確にしたストーリー性ある革新を図るべきである。こういったことこそきっちりと市民にコンセンサスをとって、取り組んでほしいものである。他人任せな市史編纂ではなく、真の文化感性に長け、やる気のある人物を登用するべきである。しかも、若手で。このまちを停滞させたのは、親方日の丸の既得権益者、役職肩書権威で振舞おうとするお偉方であり、そのおこぼれを頂戴しようとする市民であることは否めないし、どこにでもよくある話である。それではいけない。学ぶ楽しさを得られるような取り組みを図っていきたいものである。
前日の雨、朝方の雲空も、集合時間の9時には、日がさして好天のウォーキング。河内磐船駅から、住吉神社を経て、木漏れ日のひんやりしたかいがけの道を行く。八葉蓮華寺、傍示の里山風景を通過し、交野山に登るグループ(急な坂の登り降りにかなり疲れた様子)、と周辺を歩くグループに分かれ、いきものふれあいセンターに到着し、昼食をとる。昼食後は、新たな試みの神君伊賀越えのミニ講座を開催、合わせてO氏の伊賀越えウルトラマラソンなどのイベント案内。13時に出発し、枚方野外センターで休憩し、Iさんのハーモニカの音色にほっとし、予定よりも1時間半早く、穂谷バス停に到着し14時解散。参加者は46名。山道がしんどい方もいらっしゃったが、何とか無事にゴールまで全員到着された。
(ウォークの当日朝の内容はこちら)
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本日は、つつきはっけん「2019神君伊賀越え第2弾_河内磐船~穂谷」、かいがけの道、傍示、交野山を越えて、穂谷にまで古道あり、急坂の4か所、山里風景で、今までとは、異質なバラエティに富んだウォーキングになる。ちょっと面白いが、年配者によっては、危険なところもあり、十分注意したく思っている。西は、岡山から、関西一円の参加者50名が集う。昼食後、ミニ講座「神君伊賀越え」も行いたく思っている。さあ、どんなドラマが待っているか。これこそ、つつきはっけんの真骨頂を味わってもらいたく、それでは、行ってきま~す。
予想された新たなテーマ・課題が頭の中を駆け巡る。令和元年は、特別な年になるのかもしれない。心ウキウキだが、ここ数日は、また眠れなくなり、午前中は、頭がボ―ッとしている。加えて、今朝、あることを依頼され、また取り組みにおいて、悩み事が増えた。まあ、こうでもしないと生きられなくなってしまっているから、もうこりた(忘己利他)を思い出し、動いてみるかと思っている。
AIが人間の知性を超える『シンギュラリティ』が、2045年に到来すると、米国の未来学者が発信して、AIの話題はますます高まり、日常茶飯事登場する。ムーアの法則(半導体の集積回路は2年で倍増)のおかげで、即時で世界の情報が得られる時代になったのは、事実である。定型的な単純作業は、ロボットが役を演じ成果が出る。さらに、複雑さを増す仕事も、解決に役立つビッグデータやディープラーニングで可能になる。しかし、まったく新しい問題が発生し、解決策を提示できるだろうかといえば、その場・タイミングでは不可となる。時間がたてば世界のノウハウ集により可能となろうが、究極的に、不可能なのが、人間の心・精神の問題である。現代は、科学技術の進歩で便利さと余暇はもたらされたが、心がそれに伴わずに、人間の幸福感は、満足されていない。最後まで残る課題は、人間の人間としてのあるべき姿を求める心である。だからこそ、心・精神をもっと鍛えなければと思う。
NHK BSドキュメンタリー「秩父山中 花のあとさき・最終章 ムツばあさんの歳月」
埼玉県吉田町太田部楢尾で、20年間奥深い山の中に花を植え続けた、故小林公一・ムツさん夫妻のドキュメンタリー。放送があるごとに、何度も見ているが、昨日の「最終章」を1時間半観た。10年前に亡くなっても、遠くから、人々は集まり、レンギョウやボケの花が色鮮やかによみがえる。自分たちは、亡くなっても、ここを通る誰かが喜んでくれるという思いで、そのことを続けたムツさん。周りの住居も、廃墟のような様相を見せ、生きた証が消えようとし、すべてが終わる時が来ている。しかし、生前、山に返すのだと言っていた、ムツさんの言葉が人間として、自然と共生し、感謝の、ありがとうと言っているこころに、また、感動した。
埼玉県吉田町太田部楢尾で、20年間奥深い山の中に花を植え続けた、故小林公一・ムツさん夫妻のドキュメンタリー。放送があるごとに、何度も見ているが、昨日の「最終章」を1時間半観た。10年前に亡くなっても、遠くから、人々は集まり、レンギョウやボケの花が色鮮やかによみがえる。自分たちは、亡くなっても、ここを通る誰かが喜んでくれるという思いで、そのことを続けたムツさん。周りの住居も、廃墟のような様相を見せ、生きた証が消えようとし、すべてが終わる時が来ている。しかし、生前、山に返すのだと言っていた、ムツさんの言葉が人間として、自然と共生し、感謝の、ありがとうと言っているこころに、また、感動した。