~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

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内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

大自然と歴史、パワースポットの秘境吉野町・川上村を訪ねて~その①浄御原神社

2017-06-30 03:01:24 | 観光
隠れたパワースポット、秘境を求めて、奈良県吉野町、川上村を訪れました。今回は、神武天皇、浄御原天皇(天武天皇)がらみの、知らないところが多く、そこには、大自然の中、建国時代の秘められた歴史とそれを守り続け文化遺産にする土地の人々の崇高な思いに魅せられました。
その①は、浄御原神社です。
古代の吉野とは、吉野川沿岸の地域(国栖:くず)のことで、記紀には、
神武天皇がこの辺りに来た時に尾のある人が岩を押し分けて迎えた(国栖の祖)。応神天皇が吉野の宮に来た時に、国栖の人びとが一夜酒をつくり、歌舞を見せた(国栖奏の初まり)。
壬申の乱の時に、大海人皇子は吉野で挙兵し大友皇子に勝利、 国栖の人は皇子に味方してかくまい、一夜酒や腹赤魚(うぐい)を供して歌舞を奏した。以来、代々受け継がれて、旧正月14日に天武天皇を祭る、浄見原神社で奉納。

ICT,IOT,AI~~学ばないといけないなあ

2017-06-29 06:30:43 | 学ぶこと
ICTの発展は、人間の社会生活に大きな影響を与えることは間違いない。あらゆるものがネットワークで繋がり、遠くに離れていても、その場と同じような操作、行動ができる。物事の判断をするのに、最適な方法を選択する。今も徐々に活用され出している。AIもひと昔叫ばれたころから比べると現実味を増してきた。AIタクシーでお客様を拾う、事故を起こす前にドライバーに教える。退職者予兆のリストより、隠れた問題点を見つける。果ては、不正のない公僕のAI政治家の誕生も可能かもしれない。勿論AI判断を人間がどう取り入れるかは、人間そのもののこころある判断である。5万局の棋譜を入力された教師データを基に、戦うAI将棋ソフトのポナンザについて、少し学んでみたいと思う。

藤井四段にみる超急成長~個人に適する学習・教育の在り方に関心

2017-06-28 03:58:47 | 学ぶこと
将棋最年少棋士藤井四段の歴史的な29連勝の快進撃は、社会現象となっている。将棋教室申込者の異常な増加、休刊中の将棋雑誌の再発刊要望、出前で取る食事内容やチョコレート、対戦後の物静かで控えめな所作と重厚な言葉、凄い売れ行きのグッズ、昨年の将棋界の不祥事も完全に更け飛んでしまった。天才少年を生み出した育ち方や成長プロセスがまた注目されると思うが、1年前、プロになるための瀬戸際の対戦(それまで12勝5敗)で、ようやく勝ち実現したとのこと。その後、将棋コンピュータソフトを利用したトレーニングを薦められ超急速に実力をつけたようである。人間が育つ、特に成長期には、特異な魔力が触媒となる化学反応が起こり頭脳や体力が著しくなる。その方法も、個人によって多種多様にある。成長期における教師や本の影響度は大きいものがあるが、藤井四段の場合は、今までではなかったコンピュータソフトトレーニングが画期的な成長に繋がっているのではないかと思う。

松阪路~その④昔を訪ね、実家周辺のことを聞く

2017-06-27 08:22:14 | 松阪市
故郷の昔を訪ねようと、祖父が明治の初めに職人町で働いていたお店の場所のあたりでその店のことを色々聞きましたが、誰もわからず、帰ってきました。大正時代には、松阪の地図には、その店の名前があるので、確かにそのあたりにあったと思われます。また、この辺りは、京都から松阪の両替商田丸屋に養子に行った書家の韓天寿(池大雅、曽我蕭白と並ぶ人物)の店があったのですが、以前訪ねたのですが、そのこともほとんどわからずでした。
今度は、実家の周辺について戦中・戦後の時の様子を兄から聞きました。道路の変化、戦争中に実家の前の道を広げる要請があり屋敷を供出したこと、その屋敷の庭には、いちじくが生ったこと、など隣近所のなんとなく聞いていたことを本日、しっかりと脳裏に刻み込みました。先日、展墓祭があった、近くの松坂城主の古田重勝の墓に行って、その墓は、重勝のものだと確認してきました。翌日、我々の先祖之址碑にも手を合わせてきました。本年は、この碑を建てて50年にあたります。

松阪路~その③市内メイン通り、小学時代の通学路地、意外な人と出会う

2017-06-26 04:08:41 | 松阪市
三井家発祥地、来遠像(ライオン)、本居宣長旧居跡、旧長谷川邸(蔵とうだつの屋根)、新上屋跡(本居宣長と賀茂真淵が出会った場所)、八雲神社、岡寺、養泉寺さんを巡ってきました。
夕方からは、自宅の東側の様子を見て回りました。幼いころに町一番の工場であった興和紡績跡は、スーパー、パチンコ屋とそれぞれの広い駐車場となりすっかり変わりました。そのあと、通学した第二小学校に行き、校舎や運動場を見ましたが、こちらも昔の面影はなくなっています。ただ、田んぼの中を帰ってきた道は、それとなく残っており、小津安二郎が遊んだ場所もありました。青春館の三代目の映画看板を写し、よく遊んだ三角公園で、童心に帰り、ブランコを動かしていると、私の名前を呼ぶ方が近づいてこられました。帽子をとられやっとわかりました。会社で大阪の事業場から工場を立ち上げた松阪に転勤し、その後仕事で何回か一緒だった方でした。経営改革運動で全社的に有名になり、三重県知事表彰など大活躍、最後はフランスの子会社で社長をされた方でした。10年ぐらい前か、病魔と闘っていると聞き、その後音信が途絶えていましたが、それを克服しもう大丈夫とのこと。この思い出いっぱいの三角公園で10年ぶりに出会うなんて、もうびっくり仰天でした。


松阪路~その②墓参りと松坂城

2017-06-25 05:43:45 | 松阪市
帰松すると、街の様子を必ず観てまわります。まずは、祖父母と両親の眠るお墓に参ります。松阪は、お寺が多く町中に集中してあるので、大変便利です。本日は、行かなかったのですが、本居宣長、角屋七郎次郎(伊賀越えで伊勢湾を渡った時の船頭)などの墓にも、よく行き手を合わせます。実家の墓のお寺は400年前に建てられたという古く色々な歴史があるのですが、あまり知りません。今日は、少し時間をかけ、お寺の庭、屋根にある紋、瓦、木々(そてつ、・・・)を写真におさめました。
その後、松坂城跡に上ります。整った算木積みの石垣の曲線美をじっくりと眺めました。野面積みもありましたが、刻印や矢穴はなかったです。いつも思うのは、街中もそうですが、説明案内板が多く、その説明文が城内の地図、写真、挿絵とともに実に的確に書かれている点です。食い違い虎口、本丸、二の丸、天守、櫓、陣屋、堀に加えて、お城の設計図面、幕末の頃の写真があり、その当時がよみがえります。まさに、郷土の文化財を大切に守っていこうとの強い思いが顕著に表れています。行政・保存会・市民が一体となっていることを感じるものです。松阪を離れていても、このような風景を見ると、ますます松坂城を誇りに思えます。松ヶ島城からこの四五百(よいほ)の森に城を移した蒲生氏郷、城主となった古田重勝、重治、らと近江日野から連れてきた職人さんたちがこの城下町を創り、現在でも職人町通りや殿町(旧同心町)、魚町などの名前が残っています。

久しぶりの松阪で郷愁の思いを強く持つぶらり松阪路その①電車で出会ったイタリア人

2017-06-24 03:01:48 | 松阪市
久しぶりの松阪で郷愁の思いを強く持つぶらり松阪路
その①電車で出会ったイタリア人
実家がある松阪に行ってきました。近鉄の電車で隣に座った旅行者とみられる若者の外人さんに話しかけました。下手な英語で話すと、イタリアベネチアで日本語を勉強し、高知県立大学で三か月間学び終え、伊勢に旅行し帰国するのだとのことでした。ここから、得意のインタビューが始まります。日本の食事がおいしい、お酒は土佐鶴、日本人は親切で優しい人と日本を大変褒めていただきました。身長が190cmぐらいの大柄だが、物静かにゆっくりと日本語で答えてくれて、途中からは、すっかり日本語での会話になってしまいました。そこで、たぶんあまり知られていない日本のことをお伝えしようと思い、和の精神、きめ細やかさ、昔と今の日本人の違い、日本の歴史、などをお話ししました。特に、戦国時代の織田信長や家康については、よく知っていて、本能寺の変や伊賀越えについて話しかけると興味があるとのことで、人物像や面白みを伝えましたが、よくわかったかどうかはわかりません。話に夢中で、気づけば、下車する松阪が近づいてきたので、お互いのメールアドレスを交換しました。そして、「話しかけてくださってありがとう。」の言葉をいただき、びっくりしましたが、握手をしてお別れしました。

中学生棋士、藤井四段の凄さ

2017-06-22 02:57:39 | 人物・人材
将棋の最年少棋士、藤井聡太四段が歴代1位の連勝記録タイとなる28連勝を達成した。将棋のことは、全くわからないが、今年プロ野球入団のルーキーの打率が四割を超えるといったようなもので、まずありえないことのこと。さわやかな表情で、ひょっこひょっこと歩く姿は、あどけなさが残る中学生でありながら、大人のような言葉使いで内容のある話をするので、今や日本のだれもが注目する人物になった。勝利しても、ガッツポーズもせずに、控えめに、嬉しいですと一言。そして、勝因を素直に冷静に語るところが素晴らしい。運が良く、ここまで来たが、次は、体調を整えて気を引き締めて臨みたいと、多くの報道記者の前でフラッシュを浴びながらも浮かれることもなくしっかりとインタビューに答える藤井四段に大拍手です。どんな状況でも平常心で自己の能力を発揮し、判断行動ができる、これが人間が目指す姿、これを14歳の中学生が実現しているのです。もう一度、素晴らしい。

清楚で気品があり、人を和ませる花、それは、ささゆり

2017-06-21 13:40:28 | 何でも知ろう
先日登った枚方の国見山に向かう山道で、『ささゆり』を女性陣が見つけ、「近年では、中々見かけることが少なくなったのですよ」と教えてくれた。早速、香りを漂わせる薄桃色の清楚で気品のある姿を写真に撮った。帰宅後、テレビでささゆりについて放送していて、ちょうど今が、咲く季節であることを知った。ところで、同じ週初めに甲賀に出向いたが、実は、甲賀駅の南の滝区では、市の花である、ささゆりを守っていくという市民提案事業が進められるといただいてきた資料に書かれている。人のこころを和ませる花ささゆりのことを、もう忘れない。

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