~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

いまこそ、社会教育のやり直しを

2016-02-29 02:52:19 | 社会問題
昨日は、近所のご高齢者宅を久しぶりに訪れました。最近こちらの方に住まわれていますが、近隣地区のご自宅から、畑仕事や家屋の片づけ等で来られ、世間話をしているなか、京都府で活躍した重鎮の議員さんであったことがわかり、色々なことを教えていただいています。メディアで知る政治家の世界以外の話しや、過去の出来事を鮮明にお話をされ、ドキドキしながら興味深く聞かせていただきます。また、地方の産業振興発展のためにも親族が活躍なされたので、その時の考え方や経過が伝わり随分と勉強になります。そして、現在の政治経済における憂いのようなものもよくおっしゃいます。昨日の話の結論は、社会教育でした。子供たちの教育もさることながら、未成熟な大人たち、市民・住民、この教育をどうするかが問題であるとのことでした。全くその通りだと思います。

『つつきはっけん研究会』の発足

2016-02-28 09:14:29 | つつきはっけん
本年度の『つつきはっけん』活動の目玉である調査研究会の発足に向けて、運営準備を進めている。メンバー、活動拠点、実施要領案も出そろった。メンバーの声を聴くと、取組むテーマやいろいろなアイディアがあり、より面白くさせる要素がありそうである。つつきはっけんを進めるバックボーンとして描いた市民自らが能動的に学び動き、心豊かな愉快な暮らしが送れるような雰囲気になりつつあることを感じている。地域活性化は、市民の一人一人がより前向きに、積極的に行動することにより、成されるものである。決して、ずーっと待っておれば、誰かが与えてくれるものでなく、自らが少しずつでも努力して、得られるものであることをあらためて発信していきたく思う。

伊賀越えで交野市を訪問。新たな情報を得、大変有意義でした。

2016-02-26 15:39:20 | 家康伊賀越え
家康の伊賀越えルート調査のために、交野市教育委員会を訪れました。交野市星田には、家康に関する史跡とともに興味深い伝承があります。伊賀越えについては、星田までの逃走路、6/2の未明に家康一行が藪に潜んでいたという真実性、などを中心に、文化財係りの方にお尋ねしました。
会話の中で、その情報の出どころが問題となりました。飯盛山の西麓(即ち、住吉平田神社)から星田までのルートというと、住吉平田神社が疑われ、徳川実記のことには書かれていませんとのこと。帰宅後調べると徳川実記にも飯盛は、記述されているから、質問事項としては、意味があったと思っている。ちなみに、徳川実記には、伊賀越えが5~6日間。伊賀のお伽峠を逃走など、公式記録でも誤っている可能性は大であるので、歴史史料はよくよく注意をしなければと思う。
それでも、交野の街道地図、伊賀越え情報に関する最新の出版物、関係者の名前を知り、これから調べて研究するテーマとしては、益々面白くなりました。
なお、市役所の方とお話しする中で、交野観光協会の会長が知り合いだとわかり(思いだし)、早速連絡を取っていただきました。企業時代の大先輩なので、連絡があることを待っています。

捨て猫のルルとゆきちゃんが大きくなりました。

2016-02-25 13:10:50 | 暮らし
3年前に茶畑に捨てられていた2匹の猫が毎日我が家にやってきます。お隣さんが飼い主となりましたが、あまり触ることができない、難儀な猫です。しかし、徐々に、家人に近づきシャムネコのゆきちゃんが、話しかけてくるそうです。そして、ついにすり寄ってきたということなので、私も同じように近づきますが、1m離れたところから、じっと様子見の状態です。

ゆきちゃん


ルルちゃん

普賢寺から打田に行く途中の現風景~田舎って、いいもんです~

2016-02-23 10:37:11 | 京田辺市

急に思い立ち、京田辺市の南西部の打田に行く途中の風景です。

・普賢寺の近衛基通(平清盛、後白河法皇時代の摂政関白)のお墓
 府道からも観ることができるようになりました。


・普賢寺ふれあいの駅
 5月30日のツアーオブジャパン(国際自転車レース)のスタート地点になり、
 にわかに、サイクリング風景が多くなりました。


・田宮の館
 雑草がかれて、少しは、屋敷が見やすくなりました。
 300年前の武家屋敷。昔は、東映の時代劇のロケでよく使われました。


・水取~打田に登る坂道の途中の池で、大きなオタマジャクシ


・冬の棚田風景



京都府内第6位の桜~京都府綴喜郡井手町、地蔵禅院

2016-02-22 20:59:43 | つつきはっけん
京都府綴喜郡井手町、地蔵禅院のしだれ桜の枝。来月末頃には、沢山の人がやってくる。夕方訪れたら、八十歳を超えたであろう、おばあさんが土地のいろいろなことを話してくれた。ウォーキングの時にお話しできる内容もあり、また良い出会いであった。これこそが、楽しみの一つである。


過疎地域でより幸せな暮らしをするために~~。

2016-02-22 14:11:20 | 暮らし
二年前に市民向けの歴史講座とウォークを開講以来、3月で15回目を迎える。徐々に、市民の方々との交流も増加している。一方、過疎地域に住む区は、人の出入りもほとんどなく地域交流が乏しい。今年度は、班長だから何かをと思っていたが、従来通りを望む地区で良いらしく、自ら動いても仕方なく、何の変化もなく終わる予定。昨日は、平成28年度の区役員選挙があった。投票時間に、区民が静かに投票し、即開票。開票のお手伝いをしたが、予想通りの結果。まずは、区の役員の意識改革が必要だが、そんなことには全く関心はないようだ。子供が少なく、文化スポーツ活動も少なく、限られたお隣さん同士の交流で、ただ日々おとなしく生きていくだけではたして、本当の幸せなのだろうか? ますます増え続けるシニアこそ、刺激を求めて外に出て、動かないといけないと思う。平和ボケはしたくないと思った。

『宇崎竜童』さんのファミリーヒストリー~母のルーツは、京田辺打田~

2016-02-21 11:25:30 | ファミリーヒストリー
2月19日(金)放送のNHKファミリーヒストリー『宇崎竜童』さんの番組で、竜童さんのルーツにあたる方の名前が京田辺市打田の狛犬に刻まれているとのこと。TVを観ていたのであるが、物知りのYさんから、すぐにこれはどこ?と問い合わせがあり、「須賀神社」と返事。翌日に、詳細を知りたいとのメールをいただき、前日から、複数の調べものや新たな用件があり、少し、時間を下さいと答えました。しかし、他の用事を行いながらも気になっていたので、郷土史会の資料などを調べると、その他の情報も見つかったので、先ほど、Y氏にメールしました。

その内容は、以下のとうり。(関係分のみ)
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竜童さんの母方の高祖父にあたる方が京田辺市の打田出身。その方の先祖は地侍(通常は農民、戦があるとお金で駆り出される)で南北朝時代、後醍醐天皇について戦った。これは、普賢寺多々羅地区でも同じである。打田地区の須賀神社の狛犬に刻まれた三右エ門が高祖父にあたるとのこと。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日のブログではないですが、益々、『ファミリーヒストリー』に、好奇心が高まります。

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