ここ数年、ロボットやAIの話題が高まり、人間を超えられるかということになると、感情や倫理観などで、まだまだと思いあまり関心を抱いていなかった。先ごろ、将棋で佐藤天彦名人に二連勝した将棋AIの開発者、山本一成氏を知り、その思考回路にビックリ仰天である。東大時代から将棋ソフトponanzaを開発し続けて仕事にしている31歳。記憶と計算が得意なコンピュータに開発者の将棋力情報を与えるだけでは、開発者を超越することは不可能。そこで考え出したのがその場の局面で、次の一手の良悪を評価関数化すること。しかも、開発者ではなくプロキシ―(代理人)ソフトにさせる、いわゆる学習である。開発者は、練習メニューを作り、ponanzaにプレーさせ、力をつけさせるといった方法。そういうことから将棋の真髄、エッセンスをponanza自身が知るということに価値があること。我々は、幼児に親がコップと言うものを教えるときに、これがコップと言って教える。形は、大きさは、用途はなんては、教えない、教えきれない。現実世界ではありえないことであるが、コップの真髄とは何かを教えることが未来に向けて大切なのかもしれない。さらに進化を見せるAIの世界では、プログラム通りに動かないことが起き、魔術が働き、直観や予想外のことが起きているのではないかとのこと。22世紀には、現在では予想できないほどの大発展が期待される。決してターミネーターの世界でないように天国で祈りたい。
五月三十日の朝です。朝日がまぶしく輝き、さわやかな一日の幕開け。つつじがきれいに咲き、梅も大きくなってきました。つばめたちも忙しそうに働いています。宇宙と自然、生物たちの営みに驚きと感謝しながら、Good morning。
本能寺の変は天正10年6月2日の未明に起こります。その時代は、日本の旧暦(宣明暦)が使われており、新暦で表すならば、1582年7月1日です。新旧で、1カ月のズレがあるのは、新は地球の太陽公転を、旧は月の地球公転を暦の基準とし、1年で11日ズレています。今では、使われていない旧暦のひと月は、月の満ち欠け、満月~満月と言うことになります。旧暦では、三日月の日付けは3日、十五夜は15日とよくわかります。また、閏○○月が出てきますが、春夏秋冬を24に区分した『二十四節気』のズレを調整するためにもうひと月分、暦に加えたものです。月を基準にした旧暦では、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬と言うことになり、少しなじめません。ところで、本日は旧暦の5月4日に当たります。ああ、そうそう、かなり脱線しましたが、家康一行が伊賀越えで逃走したのは、6月2日午後~5日朝方と思われますので、月の明かりは、殆どなかったようであります。それにしても、新旧ともに、日々のズレは、閏年月で補正を行いますが、天文学・数学・物理学・季節天候・・・、多分野のスペシャリストが暦を考え出したことに感心させられます。
パリ・ロンドンの続発するテロ事件は、現場の痛ましさと混乱さが生々しく、その悲惨さがニュースで伝わってくる。先日、パリ支局の報道関係者の話を聴き、事件とは別に、日本と異なる文化を持つフランス国民の話が面白かった。マクロン新大統領が25歳年上の略奪結婚の奥さんを持つといえば、日本では、ゲス何とかと言って非難されるが、あちらでは、大統領と私的な事とは全く別物と言うこと。女性もほとんど職業を持つ。就職時には、契約しそれに基づき仕事をする。契約書にない業務や勤務時間以外は一切しない。逆に契約で雇用が守られているが、永年勤務者が多く、若者の失業率が高い。学歴エリート社会で大統領は最高の大学出身者からしか生まれない。会話は、「ノン」と理由を尋ねることから始まる。会社が休みの時に子供の学校が休みでないのは、なぜ?とその理由を説明をしなければならない。算数のテストは、3x4の説明をみんなの前で白板を使ってする。ペーパーテストではない。大学共通試験の最初の問題は、5時間論述試験とのこと。女の子にとって、学校で良いことは、徹底して女性ファーストであること。給食時に食事を運んでくれたり、椅子を引いてくれたり、エレベーターのボタンを押すのは、男の子。低学年から徹底しているそうである。このような文化習慣はどこから生まれてきているのかが知りたくなったのだが、当地に長年住まないと理解できないのかもしれない。和を尊ぶ日本人のこころを外国人が理解するには時間がかかるようなものかもしれない。狩猟と農耕民族、個と公、社会環境、宗教・・・いろいろなことが複雑にかかわっているのかもしれない。それが文化である。固有に持つそれぞれの良さを理解し合いうまく取り入れることが世の争い事をなくす一歩かもしれない。
戦国時代の情報は、今日では、ブームとなり出版物やTV・雑誌で多数得られる。また、つつきはっけんにご参加の歴史ファンからいただくことが増えてきている。ウォーキングで訪れるところを事前の下調べや現地下見などで確認するが、表面的で、その土地の歴史のほんのわずかな事だけである。これらに少し手を出すと、数日があっという間にたってしまう。また、時間が経過すれば、得られた背景などの詳細かつ付帯情報は、忘れてしまうことも多い。このままでは、自己の考えの論理を展開することは、中々難しい。そこで、思いついたのが、まずは、大局的な視点でのまとめと整理が必要と思い、一つのテーマを大きな用紙に書きだしながら、追記訂正していくものを作ろうと考えた。まずは、本能寺の変の人間関係図である。
菅官房長官が加計学園問題で「総理の意向」文書を本物と認めた前川前事務次官を強く非難した。文科省の天下り問題で前川氏は隠蔽責任を世論に批判され辞任となったが、「地位に恋々としがみついていた」と個人を非難する異例の発言をしたとのことである。文科省、首相の関与は、否定しているが、官房長官も個人の信頼性の欠如で問題を片付けようとしているのが見え見えである。この問題の関係者は、その時にはお偉方への忖度が図られ動き、問題が指摘されると自分たちの身の安全な方向になるような誤魔化しの調整が行われる。これが、世の常なる政治家の社会と言って諦めてはいけない。より良き社会をつくるためにも、正直でまさに公僕精神の政治家を選ばなくてはならない。
大相撲で不思議なことがある。ご存知でしょうか。一つは、序の口の服部桜。昨日まで1勝67敗1休み。11場所出場し、1回しか勝っていない万年序の口最下位、典型的なそっぷ型(180cm、70kg)の相撲取り。未だに棒立ちの相撲しか取れない。一度、敗退行為をして問題になった。1回目の立ち合い直後に意図的につき手をして勝負審判にやり直しを命じられ、2回目では相手に接触する前に意図的に腹這いで転倒。再度やり直しを命じられて3回目ではまたもや相手に接触する前に意図的に尻餅をついて後部に転倒、というもの。 (動画はこちら) なぜか??。もうひとつは、TVで毎日観ることができる。横綱登場時の呼び出し次郎の音痴ぶりである。なぜか、TV中継時にはその声が小さくなり、呼び出す姿を避けるように画面に現れない。現在、呼び出し三役格で上から二番目。音の高低が不安定で、聞いていて恥ずかしくなるくらい。厳しい相撲協会や解説者もメディアも、それを一切言わない。何かがある。不思議なことである。
すい臓がんが見つかり、ステージ4bで最悪。しかし、本人も家族も動揺もなく医師の説明を平静に聞いたとの話が新聞に載っていた。なぜだろうと思いながら読んでいくと、「人間はいつかは死ぬとの理解」、「公私にわたりやるべきことはやった」、「親としての責任を一応果たした」の三つのことがその本質的な要因になっているらしい。なるほどと思いながら、自分自身に当てはめてみるが、まだまだ、その域には達していないことがよくわかる。まさに、ここ数年の生き方こそ、大切なことであると思った。
親しい友人から、「大相撲番付表」を送っていただいた。小さい時から相撲が好きで、学校の休み時間は相撲を取って遊んだ。紙のお相撲さんをつくり、土俵の両端を両手でたたいて戦わせた。その時作ったのが、番付表である。これらは、雑誌に載っていた情報をみて作った。本場所が始まるとNHKのラジオ放送にかじりついて聴き、横綱吉葉山のファンでプロマイドを集めていた。呼び出し、行司、アナウンサーを真似るのが得意で、よく人から褒められたのを覚えている。名古屋場所がまだ準本場所である時と、地方巡業に来た時に大相撲を観に行ったが、今でもところどころの記憶が残っている。小学校の時に、お相撲さんになりたいと本気で思っていた。残念ながら、体が小さかったので、夢は破れたが、その時に熱中する性格ができたのではないかと思っている。と言う風に、次から次へと相撲に関する思い出がよみがえってくる。幼い時に描いた夢はその時の暮らしの証しとして大切にしていきたいと思った。
TOJ(UCI公認国際自転車ロードレース)『ツアー・オブ・ジャパン』の京都ステージが近くの普賢寺で開催。セレモニーに続き、周回コースのスタートを観戦。昨年に引き続き京田辺・精華町がコースに選ばれ、市民は楽しみにしています。役所、関係者、地域の皆さんがお手伝いされ運営されていることにあらためて感謝したく思います。
動画は、こちらをご覧ください。
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