歎異抄講座の第6回目。テーマは、因果の道理。仏の教えは、「自因自果」。結果には必ず、原因があり、因と縁に分かれる。果を米とすると、因がもみ種、縁が水田、肥料、太陽とのこと。縁は因に含まれるのではと質問すると、!=%#●X~(&~Xと不明瞭な回答。そこで、突っ込んで次から次へと質問。親鸞の教えは、現実の社会では実現していないから、なかなか理解できないと伝え、親鸞は権力者じゃないかと訴えるが、そうでない。もっと親鸞の教えの聴聞を重ねるべきであるとの回答。15分ほど、紳士的に激しく講師の方とやりあった。その間受講生は、静まり返ってしまい、もうやめましょうと自ら言って、進んでもらった。講師の先生も少し、興奮したようだった。難しい歎異抄講座、これくらいの緊張感ある論戦、楽しくもあり大切ですな。
自宅から30分の住宅にピアノを移動した。引越し専門業者にお願いした。自宅前の道路が狭く、そこに移動車を止める作業中は、通行止め状態になるので、近くの空き地にまで、荷車で運んでいただき、荷台のあるリフトで車に積載してもらった。その作業工程を心配していたが、杞憂に終わった。その間10分。四十数年間、応接間にどっしりしたピアノが設置されていたが、それがなくなった。
戸外に出て、遠くの北の方向を見ると、山の中腹に数十メートルはある白い煙突がたっている。以前から、あれは何だろうと思いながらなんとなく、眺めていたら、徐々にその形がよく見えだした。今までは、よくわからなかったが、今日はよく見える。おかしいなと思いながら、今一度、瞬きしたら、やはり見えるではないか。もしかしたら、毛様筋がうまく働き、視力回復の兆しか・・・と、明日も同じように遠くを見てみよう。
伝統の球団でありながら、日本一が一回だけという、不甲斐なさと屈辱を感じながらの戦いには、何か自分の人生と重なるのかもしれないのか、阪神タイガースには、ずいぶんと悲喜こもごも、泣き笑いがある。七十年近い濃密なファンとして、いろんな場面の状況が頭に浮かぶ。今年の日本シリーズは、打者、投手、守備にパワーがあるオリックス有利とみていた。しかし、勝負はそれだけでは決まらないものである。人間間(かん)の動作・感情(監督コーチのアドバイス・選手間の言葉、ファンの大声援・応援)や幸運・不運によって大きな変化が生じるものである。最後まであきらめず、まさに食らいつく粘り、必死さ・集中力が勝利に結びついたと思う。ユーチューブでみたが、日本一を達成した選手への突っ込んだインタビューで、そのことがよくわかる。まさに気持ちを強く持ち、チャンスやピンチに向かっていく前向き思考は、勝負事には、最重要なファクターであるとあらためて思った。
4年ぶりに、春日大社にお参りに行ってきました。今日は一年で最も多いと思われる七五三とお宮参りの日で、あでやかに着飾ったお子さんを連れたご両親家族の姿が見られました。外国人のツアーも見られ、賑わいが帰ってきているようでした。駐車場から本通りの大宮通りに出るまでが、通常ならば、1~2分ぐらいですが、今日は30分もかかり、びっくりしました。
藤井聡太さんが将棋のすべてのタイトル八冠を達成した。将棋がわからない当方にとっても、その偉業さ、偉大さが人間を超越したように見えてくる。他の七つのタイトル戦を同時併行に熾烈に戦う姿が、勝負の終盤によく表れている。次の一手に最も有利な差し手を苦悶しながら生み出す姿が人間でありながら、神にも見えてくる。昨夜は、相手のミスにより、大逆転の勝利である。戦い後、まだまだ実力がついていないと発言するのは、いつもながらの謙虚極まるものであり、勝負の世界において、極めて重要なものである。
めだかの産卵床ホテイアオイの花が咲きました。昨日は、気づきませんでしたが、今朝つぼみがあり、少し見ていると、ほんのゆっくりと花びらが開いているようでしたので、15分後、30分後と観察、そして45分後に満開となりました。ホテイアオイの花を見るのは、人生初めてです。また、カリンを26個収穫、今までで、最も多く、最も大きいのが13cmの長さです。
ガソリン料金が180円台になるなど、物価がまだまだ高騰し続ける。食品の量や質が低下しながら、価格が上がることに加えて、新聞の記事内容の量的・質的低下が甚だしいと感じるのは、当方だけでないと思う。特に最近たびたび見受けられるのは、夕刊と翌朝の朝刊掲載記事が全く同一コピーであることに閉口してしまう。
徒歩〇分の意味合いが、ようやくわかった。京都の観光地の標識にあるのは、分速70mとのこと。不動産業者では、分速80mとのこと。
2023年の6月末日。一年の半年ということで、今じゃ、そのほとんどが私的なことであるので、生き方、暮らし方に関する反省を自分一人で行う。ここ二年、オンライン会議・カンファレンスの参加が多く、よくもまあ、参加したなあという感想。しかし、他に影響を与えるほど意見も発信は少なく、コミュニケーションの質量不足は否めない。身体的な衰えは仕方ないにしても、世の中の良識判断力をさらに身につけなければならないと、青二才的なことが浮かぶ。うれしいことは、相変わらず、考えを述べる投稿に関して、評価されたのか、思わぬプレゼントが届いていることである。