野球好きな割には、高校野球のTV中継は、あまり見ない方だが、注目の選手や気になる人物が登場すると、観てしまう。準々決勝後の監督インタビューで熊本秀岳館の監督が会社の常務だった鍛治舎さんと知った。昔の部下が鍛治舎さんの下でお世話になっているというので、挨拶にいくと、丁寧に心ある言葉でその部下を褒めたたえて頂き好印象を抱いた人物である。また、優勝した智弁学園の小坂監督も同じ会社の野球部で活躍したのを少し覚えている。両チームが決勝で戦うことになったらと期待していたが、そうは問屋が卸さなかった。高野連の八田会長も同志社大学長であったので、閉会式のあいさつを注目していたが、スタッフが作ったメッセージを棒読み、相変わらず、権威者の姿を見てしまった。折角の決勝戦の好試合も後味悪いものとなってしまった。このように、長とつく方々は、自分の言葉で、自分の感想を素直に述べていただきたいものである。
昨日のつつきはっけん終了後は、多数の意見や感想のメールを頂きました。そのほとんどが大変良かった、楽しんだ、次回も参加したいというメッセージで、初めて井手町をガイドしたのですが、解散の時刻が延びてしまったけれど、うまくできたかなと思っています。やはり下見を4回した成果は出ました。ウォーク終了後、帰宅しようと思っていると、以前の会社で一緒だったYさんやその友人が近寄ってき、もう一つの桜見を観音寺で飲食しながら行いました。菜の花は満開でしたが、予想通り、桜は蕾でした。しかし、昔のあの時やあの人の話題で大変盛り上がりました。ウォークガイドが事故もなくまあまあ終了した安ど感も手伝い過去、現在におけるそれぞれのシニアの思いや生き方の本音が聞けて良かったと思います。
本年度から京田辺の周辺地域も含めた範囲にテーマを展開する第1弾。お隣の井手町を巡ってきました。好天と暖かさに恵まれ、今までで最高の54名の参加となりました。これまで参加された受講生がお友達を誘い、また生活情報誌『ぐってぃ』の案内を見ての参加によるもので、大変有難いと思っています。コースは、近鉄三山木~井手玉川沿い桜と山吹~玉井頓宮の六角井戸~150万年前の火山灰層~橘諸兄公碑~山背古道~石橋瓦窯跡~まちづくりセンター椿坂~小野小町碑~地蔵禅院しだれ桜~玉津岡神社~井手寺跡~蛙塚~近鉄三山木 で、ボリュームたっぷり、約8km 15000歩、3時間強のウォーキングでした。これだけの大人数になると、ウォークの速い、遅れが発生し、やはり班分けをするということが必要と感じました。今回は、申込み予約なし、参加費無料も初めての企画。春休み中ということで、親子5人のご家族も参加。今までで最年少の参加もうれしかったです。色々アドバイスをいただいた地蔵禅院の管理人のおばあさん、井手町役場の職員さんにも偶然に出会い、御礼を申し上げました。
つつきはっけん研究会を発足。最初のテーマが、『家康伊賀越えの逃走路の検討』である。本日は、5年半ぶりに、家康が6/2深夜、隠れていたという「星田のひそみの藪」に行ってきました。藪がある小学校関係者の方からのお誘いをいただき、ひそみの藪の中に入らせていただきました。
ここで現場を観ながら自分なりに思いめぐらしたことは、
・逃走には、先発隊や家康を守るグループ、しんがりと分かれていた。
・竹藪の広さや凹凸、当時の竹の育ち方・密集状態を考えると、家康一行34人と梅雪12人ら計50人弱が隠れていたということは可能であるが、実際にはその十数人程度かな。
・四條畷の住吉平田神社から星田ひそみの藪まで距離的には、6~7km、2~3時間もあればここに到着。時間的には本能寺の変を知った6/2 10~12時から6/2深夜まで、約12時間経過とは?。
・三日間の逃走で岡崎帰還が6/4深夜(実際は6/5未明)であれば、逃走開始の四條畷~星田の移動はあまりにも遅すぎる。
ということから、星田のひそみの藪で隠れていたのは、家康本人ではなく、カムフラージュを装った影武者であったのではないか。または、家康から出来るだけ離れたかった穴山梅雪一行であったのではないかという思いがした。
2010年9月
2016年3月
ここで現場を観ながら自分なりに思いめぐらしたことは、
・逃走には、先発隊や家康を守るグループ、しんがりと分かれていた。
・竹藪の広さや凹凸、当時の竹の育ち方・密集状態を考えると、家康一行34人と梅雪12人ら計50人弱が隠れていたということは可能であるが、実際にはその十数人程度かな。
・四條畷の住吉平田神社から星田ひそみの藪まで距離的には、6~7km、2~3時間もあればここに到着。時間的には本能寺の変を知った6/2 10~12時から6/2深夜まで、約12時間経過とは?。
・三日間の逃走で岡崎帰還が6/4深夜(実際は6/5未明)であれば、逃走開始の四條畷~星田の移動はあまりにも遅すぎる。
ということから、星田のひそみの藪で隠れていたのは、家康本人ではなく、カムフラージュを装った影武者であったのではないか。または、家康から出来るだけ離れたかった穴山梅雪一行であったのではないかという思いがした。
2010年9月
2016年3月
事務用のいすに座り、足で地面を蹴ってコースを駆け抜ける「いす-1GP(グランプリ)」を観に行った。場所は、発祥の地・京田辺市の商店街。
3人一組で交代でいすに乗り、1周約180メートルのコースを2時間で何周回れるかを競う。
参加者は転倒やいすの故障に苦戦しながらも疾走。ニコニコ動画も生中継。
3人一組で交代でいすに乗り、1周約180メートルのコースを2時間で何周回れるかを競う。
参加者は転倒やいすの故障に苦戦しながらも疾走。ニコニコ動画も生中継。
29日のつつきはっけんウォークでお隣の井手町を巡りますが、四回目の下見を行いました。新たなコースのはっけんと注目のしだれ桜の開花状況の確認のためです。7分ぐらいは咲き、妖艶な雰囲気の中、5~6名のカメラマンが撮影していました。そして、桜を管理する87歳のおばあさんと再会し、楽しい会話を係りの人たちとしてきました。今日の会話は桜の管理の大変さと蛙の話でした。
帰郷した時は、出来るだけ市役所に出向き、各部署を観て回り、その活気度や雰囲気をつかむとともに、知り合いの職員、議員、そして可能であるならば、市長ともお話しようとしてきている。今回は兄から見せてもらった松阪市議会だよりの『みてんか』の表紙に刺激を受けた。中々読まれない、見てもらえない議会報告誌に関心を高めてもらおうと、みてんかとちょっと方言がかった愛称に変え、しかも、若者が好むアニメ風のデザインの表紙にしたのが、好印象を受けた。時あたかも、選挙権が18歳となる年。工業高校のデザイン科の生徒が表紙のアイディアを出している。議会と市民の接点や接触度を少しでも高めようと努力している議会だよりに拍手である。A4で20ページ、大きな字で適度なスペースで読みやすい。内容はともかく、まずは、見てみようかなという気持ちにさせることに役立つのではないかと思う。
4時間、じっくりと松坂城跡を観て回ってきました。
搦手門、本丸、天守台の石棺、堀、切岸風の石垣・・・今まで、あまり関心がなかったことが嘘のように、お城が見えてきました。蒲生氏郷、本居宣長、梶井基次郎、小津安二郎もどのような気持ちでこのお城を観ていたのでしょうかと、思いめぐらしながら、お城の周囲を歩きました。市民プール、市営球場、市民病院、色々な思い出がよみがえってきました。最後は、facebook友達の市役所職員さんと再会し、少しだけお話をさせていただきました。
あ~あ、やっぱり故郷はいいなあ。
搦手門、本丸、天守台の石棺、堀、切岸風の石垣・・・今まで、あまり関心がなかったことが嘘のように、お城が見えてきました。蒲生氏郷、本居宣長、梶井基次郎、小津安二郎もどのような気持ちでこのお城を観ていたのでしょうかと、思いめぐらしながら、お城の周囲を歩きました。市民プール、市営球場、市民病院、色々な思い出がよみがえってきました。最後は、facebook友達の市役所職員さんと再会し、少しだけお話をさせていただきました。
あ~あ、やっぱり故郷はいいなあ。
第7回親族の会で、『我がファミリーヒストリー』を2時間、お話をさせていただきました。
明治の祖、祖父母の一からの商売展開から現在までのファミリーの活動ぶりの発信に、親族の色々なコメントが随所に入り楽しんでいただけたと思います。関係する金森長近、本居宣長、梅原猛、小津安二郎、大屋晋三などにも触れました。地元新聞社の記者の方も聞かれました。終了後、会場であるファミリーの古民家『松阪 私房菜 きた川』で大変美味しい創作料理をいただきました。ここでも、一所懸命に、新たなことに挑戦する一人の若いファミリーを見つけ、頼もしく思いました。その後は、いとこの家で、ピアノの先生のクラッシック演奏やカラオケを楽しみました。
明治の祖、祖父母の一からの商売展開から現在までのファミリーの活動ぶりの発信に、親族の色々なコメントが随所に入り楽しんでいただけたと思います。関係する金森長近、本居宣長、梅原猛、小津安二郎、大屋晋三などにも触れました。地元新聞社の記者の方も聞かれました。終了後、会場であるファミリーの古民家『松阪 私房菜 きた川』で大変美味しい創作料理をいただきました。ここでも、一所懸命に、新たなことに挑戦する一人の若いファミリーを見つけ、頼もしく思いました。その後は、いとこの家で、ピアノの先生のクラッシック演奏やカラオケを楽しみました。
いよいよ、本日、故郷松阪の親族会で『我がファミリーヒストリー』をお話しします。
パワーポイント58枚をプロジェクターでスクリーンに大写し、その後、祖母の一生、ファミリーそれぞれの家族、親族会の活動、の三部作を映像と音楽で編集制作したものを観ていただきます。昭和34年に『和合』という親族アルバム、昭和42年に曽祖父一家が松阪移住90周年を記念して建てた石碑、そして今回のファミリーヒストリーのスライドと映像集、なんだか、良いことをしたような気持ちになってきました。祖父母、両親の墓や仏壇の前でも報告もしてきます。
パワーポイント58枚をプロジェクターでスクリーンに大写し、その後、祖母の一生、ファミリーそれぞれの家族、親族会の活動、の三部作を映像と音楽で編集制作したものを観ていただきます。昭和34年に『和合』という親族アルバム、昭和42年に曽祖父一家が松阪移住90周年を記念して建てた石碑、そして今回のファミリーヒストリーのスライドと映像集、なんだか、良いことをしたような気持ちになってきました。祖父母、両親の墓や仏壇の前でも報告もしてきます。