~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

故郷の先輩と長電話、有意義でした。

2023-12-21 18:04:24 | 松阪市
故郷、松阪の先輩と久しぶりにLINEで長電話をしました。話題は、私が知らない戦中、戦後の実家周辺の姿です。「へぇ~、ほ~」とうなづくのが関の山ですが、先輩は、昨日のように次から次へと、話が出て大変うれしそうでした。わが故郷についても、じっくりと今一度、現地を訪れて調べてみたくなりました。

70年前に卒園した愛護園からいただいた創立百周年記念誌

2023-10-05 15:17:37 | 松阪市
先日、帰松した時に、卒園した幼稚園が令和6年に創立100周年を迎えるということで、作製した『あいごの子』の記念誌を松阪仏教愛護園からいただいた。心あたたまりホンワカさせる漫画・アニメでその歴史が描かれている。ページをめくると、数々の出来事がなんとなく不確かだが思い出される。そして、覚えていた担任の先生の名前を見つけ出した。あの背の高い、きれいな姿が今でも思い出される。


4年ぶりの松坂城、新しくなった大手門

2023-10-01 20:53:58 | 松阪市
久しぶりに実家に帰り、いつもの通り松坂城に行ってきました。その前に昔の同心が住んだ今の殿町をゆっくりと見て回り、庭付きの豪邸が並ぶ街路を歩きました。何か、軽井沢のような高級感があり、気持ちがよくなりました。お城は、裏門から、二の丸、本丸、天守閣、大手門などをまわり、快い風に吹かれながら、お城の雰囲気を味わってきました。堀坂さんも、今日はどっしりして堂々としていました。



明日は、4年ぶりに故郷松阪に帰る予定である。

2023-09-29 12:28:59 | 松阪市
明日は、約4年ぶりに故郷、松阪に帰る。ある記念パーティに出席するためである。日にちが迫ってから、なにかそのパーティを盛り上げることはないかと探していたら、格好のものが見つかった。それをサプライズとして、ご紹介させていただこうと考えているが、果たしてどうなるか興味津々である。また、久しぶりなので、お城や街中をぶらり歩いてみたいと思う。親戚が多いので、お会いしたい方々も多いが、懐かしい場所とともに、楽しみは膨らむ。勿論、こちらからの近況情報も多々持っていくつもりである。

祈祷師の威力:金庫を盗んだ犯人は、あの人物だ。

2022-01-12 19:01:37 | 松阪市
もう一つ、不思議なことが小学生の時に起こり、今でも信じられないけれど信じていることがあります。商売をしていた我が家のその日の現金が金庫なり深夜に盗まれました。警察に届け調査が始まりましたが、当時の町内会で祀られた女性祈祷師「トメ」さんに頼めばなんでもかなうということで、犯人探しをお願いしました。トメさんは「犯人を動けないようにする」と発して、怪しいと思っていた近隣の男が数か月後、瀕死の交通事故に見舞われました。刑事的な犯人は挙がらなかったですが、トメさんが言った動けなくなった人物が犯人だ今でも信じています。

「豪商のまち松阪 観光交流センター」の歴史・文化・人物紹介展示に、大拍手

2019-11-12 08:13:57 | 松阪市
久しぶりに、故郷松阪の実家に宿泊し、翌朝は、ぶらり街中を歩いてきました。お目当ては、「まちなか観光」の施設である、新名所「豪商のまち松阪 観光交流センター」です。松阪の歴史や文化、食などの紹介、まち歩きのための、情報収集やおみやげさがしに役立つ集約拠点です。特に、二階は、松阪の歴史、文化、人物をわかりやすく、楽しく学ぶことができる展示・動画・写真がうまくまとめてあり、さすがと思いました。観光に携わる方々は一度見られ、関係者と情報交流されることをお勧めします。三井の発祥の地、国学者本居宣長、松坂城、松阪肉、色々ありますが、訪れるごとに新たな魅力となるようなものが増えていくことが驚きです。それだけ、行政、観光団体・ボランティア、商店街、市民がこぞって、観光のまちをさらに発展させようとの思いがうかがえました。また、数年ぶりに訪れた御城番屋敷でも、丁寧に説明していただき、非常に勉強になりました。歴史好きな観光客のために、かなり勉強されていることが表れていました。要は、みんな『本気』でやっていることです。





松阪祇園さん

2017-07-17 02:45:07 | 松阪市
facebook友達によって、故郷松阪の祇園さんの様子を動画や写真で掲載していただいているので、その様子がよくわかる。小学校の頃は、両親の祖母が朝早くからお寿司を作り、小学校は2時限で下校でムード満点。帰宅後、すぐに祭りの法被を着て神輿巡回に加わる。子供神輿で最も大きな愛宕町は、誇らしげにのぼりを上げ、市内を「チョウサヤ」と掛け声をかけ、回ったことを覚えている。我々の地区は、松阪神社傘下なので、敵の大将の八雲さんの神輿に出会わないようにひょうしきを鳴らし、神輿を担いで回った。もし、出会ったら、一斉に逃げなければ、皆襲われ、殴られると思っていたから必死であった。現に、祭りには、喧嘩やトラブルが一杯あったようである。それでも、年一回の大きな祭りにみんなが参加していたのを覚えている。今日では、ド派手な浴衣姿や芸能人、踊りや和太鼓など、年々エスカレートしているようで、さすが、芸能・観光の町松阪になっているのがよくわかる。今回は、地元出身のあべ静江さんは、西野カナさんは?参加していないのかなあ。


松阪路~その④昔を訪ね、実家周辺のことを聞く

2017-06-27 08:22:14 | 松阪市
故郷の昔を訪ねようと、祖父が明治の初めに職人町で働いていたお店の場所のあたりでその店のことを色々聞きましたが、誰もわからず、帰ってきました。大正時代には、松阪の地図には、その店の名前があるので、確かにそのあたりにあったと思われます。また、この辺りは、京都から松阪の両替商田丸屋に養子に行った書家の韓天寿(池大雅、曽我蕭白と並ぶ人物)の店があったのですが、以前訪ねたのですが、そのこともほとんどわからずでした。
今度は、実家の周辺について戦中・戦後の時の様子を兄から聞きました。道路の変化、戦争中に実家の前の道を広げる要請があり屋敷を供出したこと、その屋敷の庭には、いちじくが生ったこと、など隣近所のなんとなく聞いていたことを本日、しっかりと脳裏に刻み込みました。先日、展墓祭があった、近くの松坂城主の古田重勝の墓に行って、その墓は、重勝のものだと確認してきました。翌日、我々の先祖之址碑にも手を合わせてきました。本年は、この碑を建てて50年にあたります。

松阪路~その③市内メイン通り、小学時代の通学路地、意外な人と出会う

2017-06-26 04:08:41 | 松阪市
三井家発祥地、来遠像(ライオン)、本居宣長旧居跡、旧長谷川邸(蔵とうだつの屋根)、新上屋跡(本居宣長と賀茂真淵が出会った場所)、八雲神社、岡寺、養泉寺さんを巡ってきました。
夕方からは、自宅の東側の様子を見て回りました。幼いころに町一番の工場であった興和紡績跡は、スーパー、パチンコ屋とそれぞれの広い駐車場となりすっかり変わりました。そのあと、通学した第二小学校に行き、校舎や運動場を見ましたが、こちらも昔の面影はなくなっています。ただ、田んぼの中を帰ってきた道は、それとなく残っており、小津安二郎が遊んだ場所もありました。青春館の三代目の映画看板を写し、よく遊んだ三角公園で、童心に帰り、ブランコを動かしていると、私の名前を呼ぶ方が近づいてこられました。帽子をとられやっとわかりました。会社で大阪の事業場から工場を立ち上げた松阪に転勤し、その後仕事で何回か一緒だった方でした。経営改革運動で全社的に有名になり、三重県知事表彰など大活躍、最後はフランスの子会社で社長をされた方でした。10年ぐらい前か、病魔と闘っていると聞き、その後音信が途絶えていましたが、それを克服しもう大丈夫とのこと。この思い出いっぱいの三角公園で10年ぶりに出会うなんて、もうびっくり仰天でした。


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