阪神大震災から30年。17日、5:46の30分前に起きて、ラジオテレビ同時中継の現場アナウンサーの声に合わせて黙祷を行った。30年前のことをしっかりと記憶している。京都南では、震度4~5であったが、自宅ではものすごい揺れではなく、何かが倒れることはなかった。大被害の通勤地大阪までは、交通機関がストップで、復旧するまで待った。この日は、転入者がいて、会社に到着するまで待ってもらった。それ以降、2週間ぐらい、神戸を中心に関西居住社員の支援で大変忙しい日々を送った。幸い社員で亡くなった方はいなかったが、現場から届く声は目を閉じ耳をふさぎたくなるような生々しい悲惨な状況で、仕事にはならなかった。本日も、倒壊家屋の下敷きになり、声がする幼子を助けようとするお母さんを引き留めた近所の方の生々しいやるせない涙声が阪神大震災の恐ろしさを語っていた。いずれやってくる南海トラフ、もう一度、防災準備対策に一人一人が注意を払わねばならないと思った。
生活インフラである、水、食料、電気(ガス)、トイレの他に、個人的には、メガネがなくてはならないものである。また、新聞紙や段ボールも、断熱材として、簡易トイレなどなど、多目的に使用度が高い。今回の地震のような大災害時において学習することは多い。国や地方自治、専門家に加えて、自らの地域・家族や自分自身ものの弱点並びにリスク対策を考えてみることが大切である。
能登半島沖大地震の生々しい現地情報を見ると、頭から足の先までの全身と心が大きく崩壊していくようである。それでも、五日も経過してから助け出された高齢者のニュースには、人間のこころの強さ、困難の中、相協力して救出しようと挑むすごさを感じる。水、食料、トイレなどなど、生活インフラ不足で、しかも豪雪地帯でさらには、まだ孤立した地域が多々ある中、ただただ、尊い命と迅速な復旧を祈るばかりである。
今年こそは、穏やかな年でありますようにと思って、雑誌を読んでいたら、14時過ぎに、ラジオから緊急地震速報が流れた。少し時間がたってから、ほんの少しだけ横揺れがあった。すぐに、家人に知らせに庭に出た。これが、大惨事となる能登半島地震M7、震度7の大地震であった。大津波が発生し、アナウンサーの逃げてくださいコールが叫びに聞こえる。あたりが暗くなり、被害の大きさは十分わからないが、明朝には被害が明らかになるとは思う。いずれ我々にもやってくる恐ろしい地震に正月気分の目が覚めた。
台風7号は、一時は大阪直撃かと思われたが、徐々に西にそれて、我が家の被害も出なかった。しかし、今朝、雨漏りらしき音かしたことの確認が必要。雨が止んだので、庭に出てみると、木の葉が予想外に多く落ち、カオス状態。明日からの仕事が増えてしまった。まあいいか、これぐらいに終わって。他の地域の被害の少ないことを祈ろう。
台風6号の動きが遅く、西に向いていたらと思うと、今度は東へと、そして九州西を北上し、朝鮮半島に向かうようだ。変則的な動きの台風、そして、遠く離れた地域への大雨洪水など、気象の変化に日々の暮らしや交通機関が混乱させられている。このようなことはかつてなかったのではないかと思うほど、まさに、地球が痛めつけられている。いつ何時、自分たちの地域にも大災害となるようなことが起きても、生き延びれるように最低限の水・食料に加えて、正しき心の準備をしたいものである。
台風6号が、沖縄周辺をうろうろ。しかも、180度方向を変え、来週初めから、日本に向けてやってくると予報されている。こんな極端な進路変更をする台風は、見たことがない。熱帯状態に続いて暴風雨が、また大災害をもたらしそうだ。温暖化や台風の発祥源を消滅させることに真剣に研究を進めなければ…。
九州、山口で線状降水帯が発生。京都、滋賀も午前中、雨雲の影響で激しい雨に見舞われている。地震と同じく、おさまるのを待つばかりとは情けない。気象庁も、「キキクル」(危険度分布)を見て行動を呼びかけているが、次なる行動については、よくわからない。情報を提供すれば、あとは、各人で行動をとは、そんなにはうまくいかないものだ。全国レベルで町内会における全員参加の災害対策、対応講習会を実施すべきである。日本を活性再生化するのは、お隣さんコミュニティの復活である。
1昨日の地震(18:06、市内震度3)に続き、今夜(22:31、震度2)も地震があった。M4レベルだが、家が大変よく揺れる。太平洋プレートの圧迫による内陸地震らしいが、今夜は、10秒ぐらい横揺れが続き、非常に不気味であった。兎に角、地震には全くの弱者で、ただ揺れがおさまるのを待つだけだ。
3日19時前に、震度2の地震があった。ドント突き上げるような一瞬の揺れに、いつものように、おさまることをただじっと待つだけであった。4日前の深夜、M4.3震度2の時は、2階でいたので、かなり長い揺れに体全体がこわばった。しかし、ただ、じっと揺れを待つだけであった。京都南部では、ここ数年は、大きな地震が起こってないだけに、任本近海の太平洋プレートのひずみが大災害につながらないように、地震エネルギーの小刻みな消化をうまく行ってほしいものだ。それにしても、地震発生時の心構えや対応が全くできていないことにがっくりである。