彬子女王のもう一つの話題の『京都ものがたりの道』を読んでいる。京都で暮らす彬子様が、暮らしの中で感じ、経験した街の魅力をありのままに書き綴ったエッセイ。それぞれの通りの風景を浮かべ、歴史を思い出し、その場所を地図で確認しながら読んでいくと、京都の街を巡り歩いているみたいで興味深く読める。
今話題の彬子女王の『赤と青のガウン』を読みだした。ひげの殿下(故寛仁親王殿下)の長女のオックスフォード大学留学時代の日常生活のエッセイである。素直に感じ取ったことを包み隠さず正直に書き綴られている。大英博物館における日本美術コレクションの研究等で博士号を取得されたのだが、ごく普通の学生のように、悩み苦しみ楽しみ喜び等々、得たものが師や仲間たち、エリザベス女王陛下…と接触されて、一人の人間として成長していく様子がきめ細かく綴られよく理解できる。
京都新聞連載の小説「春かずら」が22日に終了。23日より、新連載「サチ子」が始まった。江戸時代の小藩における、藩士・道場・お寺・町人などなど、関わり合いのある人々の暮らしの中で、父が盟友に殺められたことから、仇を討とうとする主人公が中心になり、なぞ多き人間模様・心理・自然風景の移り変わりが事細かく書かれていた。作者、澤田瞳子氏のものごとの奥深い見方、表現、特に正しい日本語の言葉使いが気に入り、毎朝、新聞を読むときには心ウキウキしながら読んだ。お殿様に忠実な藩士・人々の生き方に納得できない人物がごく少数であるがいたことが興味深いものとなった。
京都新聞連載『春かずら』(澤田瞳子作)が終盤に差し掛かり、毎朝新聞が来るのが待ちどおしい。小さな藩で起きた盟友が父を殺め、仇として追っかける主人公が母の死去で、12年ぶりに藩に帰ってくる。意外な事実と展開に心躍るここ2週間であったが、藩の将来を考え、藩の生きる道を忠実に守る父や藩士、それが正しき道でないと知った友が殺めたのが原因であった。主人公と仇の少年、幼馴染が家老の後妻になり、その原因を追求するなど、江戸時代とはいえ、人間模様・生きざまに共感を覚える点が少なくなかった。13歳の少年でも侍の息子、実に礼儀正しき日本語を使うことにも、昨今の恫喝のパワハラ言葉を耳にするだけに、素晴らしき人物がこの日本にもいたんだと思い返している。
京都新聞連載の『春かずら』を毎朝一番に読んでいる。親の仇を探して、十二年、藩に戻ってきたが、藩内、藩士、侍、町人、幼馴染・・・、多くの変化に驚きながら、徐々に仇討人や家族、無二の親友らの本当のこころや姿が見えだしてくる。自然や季節の変化とひたむきに生きる人々に、自らの生き方の後悔を感じつつ、意外な結末を迎えようとしている。ここ二週間ばかりは、微妙に動きつつある。時代、藩、公家、お寺、人との関係が見えてきた。それにしても、作者の澤田瞳子さんの日本語の微細なる動きの美しさに圧倒され続けている。現代に最も欠ける言葉使い、書の重要性を痛感している。
人生初めての試みとして、複数の本を読みだしている。4冊の本は、「紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし」、「評伝立花隆」、「虎の血」、「古代人の一生」、そして、新聞連載もの「春かずら」。まだ、序盤だが、意外と頭の中が混乱せずに、お互いに刺激しあって、良い関係を保っているようである。
いまさらながら、言うべきことではないと思うが、小さいころからアラフォーになるまで、ほとんど読書はしなかった。このことは、年齢が増すごとに、大きな痛手となったことは否めない。現在でも、ドラマのストーリーがわからなくなったり、先が、特に人のこころが読めないことがある。長文読解は、大の苦手。現在の大学入試は、どの科目も長文に基づく問題が多い。定年後、時間の余裕ができると読書に時間をかけるようになり、その価値がわかるようになったが、やはり時遅しである。
子育てに本は重要なものであることは間違いない。幼児の時期から童話や絵本に親しんでいると、小中学時代には読書が最大の楽しみになる。特に、TVを観ないと時間が読書に費やされ、ますます、読む力、創造する力が付き、プレゼンテーション力がつくのは、自分の周りを見ていてなるほどと納得してしまう。
「地政学で読む近代史」(内藤博文 著)は、外国の歴史や政治経済に疎く、知見に乏しい当方にとって、非常に理解しやすい本である。自然の地理地形と国家間の関係を改めて考えてみる良い機会になっている。