今、テレビ番組と言えば、フジテレビや中居さんのトラブル、その前は兵庫県知事関連問題、とどのチャネルも連日連夜、困惑の弱った対象者に対して、さらに追い打ちをかけるようなコメンテイターの激しい発言が出現しすぎて、うんざりしている。トップリーダーや経営者の責任のなさやこのようなことに過敏に反応する人たちをみてみると、日本がますます世界からおいていかれる実態を表しているように思う。このようなときには、Eテレを見て心おだやかに過ごすことにする。
今年のNHK大河ドラマは、夏以降ほとんど見ず、15日最終回を迎えるという。ドラマとはいえ、史実と違う、道長と接触のない紫式部、清少納言と年代がずれる紫式部の密着度にうんざり。古代の公家・貴族の倫理道徳のなさと破廉恥な暮らしに失望、庶民はどう暮らしたのかをより知りたくなる。
NHKBS番組「ユーロべロ90000キロ」は、ヨーロッパの国々をユーチューバー:アキラが自転車で走る姿を紹介している。その中で、日本とはスケールが数段に違う緑豊かな自然風景、街並み、人々の心豊かな暮らしぶりが垣間見られる。おとぎの国の中にいるみたいだ。6日金曜日で、イギリス~フランス~ベルギー~オランダの全10回の放送が終了。オランダの自然の中に大きなゆったりとした家、自転車王国の専用道路の整備状態、駐輪場、にぎやかなビーチに人々が心から楽しんで過ごし生きている・・・。狭い日本で心狭しとせかせかと暮らしている我々、もっと生きることに楽しみを見出さなくてはと思い浮かべること多し。
「坂の上の雲」(テレビドラマ) 冒頭ナレーション
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。
財政が成り立つはずは無い。
が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。
四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。
もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。
財政が成り立つはずは無い。
が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。
四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。
もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。
朝から、石破新総裁関連のTV番組を見続けた。昼前からは、大谷選手の三冠王なるかどうかに注目。夜は、阪神の試合を観戦。一日中、TVを見続けたら、案の定、右眼から出血。まあいつものことだなと思い、様子を見ることに。
かつてのNHKTV『夢であいましょう』がカラーで放映された。1961~66年で家族そろって毎週見たバラエティ・エンターテイメント番組。中島弘子さんのハラハラドキドキ司会でその後の大物タレント歌手が続々と登場する。変なガイジン(EHエリック)、上を向いて歩こうの坂本九、とぼけた渥美清、黒柳徹子の会話、中村八大・永六輔の今月の歌は、多くのヒット曲を生み、その後の大物歌手を誕生させた。生放送で、数々の失敗、またそれが素人っぽく新鮮味ありで楽しかった。世の中が変わり、社会環境・生活スタイルや家族関係も大いに変革したが、人間社会で最も大切な人のつながりや優しさ他を思う気持ちが底辺に流れている番組であり、半世紀たった今でも、茶の間の人気をさらうであろう。
プロジェクトXがまた始まる。中島みゆきの地上の星のメロディに、田口トモロヲのナレーションが帰ってくる。モノづくり世界一の日本が返ってくるようで、大変楽しみである。
毎朝、NHK連続ドラマ「ブギウギ」を見ている。笠置シヅ子の一生を趣里さんが大阪弁で、多くの困難に前向きに立ち向かっていくところが、朝一番を気持ちよくスタートさせてくれる。踊りの専門家の趣里さんが踊って歌うのは、無理で、別に収録した歌を口パクパクで歌っているのが少し残念である。趣里さんの両親は、水谷豊、伊藤蘭であると知ってから、それまでと現在の努力度を知り、大変好感を持っている。
NHK朝の連続ドラマを7時15分から「まんぷく」、「ブギウギ」を観るのがルーティンとなった。チキンラーメンを作った安藤百福さん、東京ブギウギの笠置シズ子さんの自伝的なドラマ。苦難の連続だが、常に前向きに困難に立ち向かう姿が大成功につながる。その間、ハラハラ、ドキドキの連続。朝の15分間の短さがその魅力を醸し出す。明日はどうなるのかと視聴者に思わせる脚本・演出が本当にすごいと称賛したい。
NHK大河ドラマ「どうする家康」を毎週見ながら、事実はどうであったのだろうかと探ろうとしている。史実を追求するには、古文書や古議録がベースとなるのは言うまでもない。多数の原文を読むことはできないが、専門家や学者の出版物を目にすることも少なくないが、結局、事実は不明で、著者の主張である真実を述べるだけである。そして、最後の言葉は、今後の研究に期待したいと結ぶことが多い。だから、大河のような脚本家が自己の興味本位につじつま合わせを考えながら、大胆に物語を展開していくのである。このことは致し方がないが、ここ数年、学者が表舞台に出て、視聴者の好むようなポピュリズム主義で言動しているのはいただけない。