NHKディレクター、ウクライナ人のカテリーナが 『ウクライナのいま』を自ら企画し、現地を取材する番組を見た。日々、ウクライナに起きている生の姿がよく伝わってきた。自分の両親やクラスメートに起こっている暮らしには、日常の当たり前の生活と同時に恐怖心高まる戦争が及ぼす姿がひっきりなしであちこちに現れていた。今までの報道には、あまり見られない希望・将来・未来とかいった人を勇気つけるものも感じた。そして、取材中にクラスメートが戦死した知らせがあったにもかかわらず、ウクライナのきれいな夕陽を友と見て、前を向くカテリーナのこころの強さを感じた。
ロシア・ウクライナ戦争を考えると、民族・国土・文化の大切さをあらためて感じる反面、尊い命をかけて、守ろうとすることが果たして現実的に、最善策なのか大変迷っている。人は生きてこそだが、有史以来、極悪権力に屈することも多々あった。今日の世の中における矛盾ややるせなさを思うと、もうどうしようもない状態である。アメリカを敵対視し育ったプーチンの異常なまでの執念は、たとえ大勝利に終わろうとも、その後生きる道がなくなり、世界中から歴史上排斥されることは間違いないであろう。だからこそ、戦争終結とともにその後の逃げる場を作っておかないとプーチンは終結の決意を下さないと思う。ゼレンスキー大統領も人の命を犠牲に戦うことは、決して最善策でないと思う。終結には、ロシア正教、ロシア有識者・国民の力が重要なファクターである。
ウクライナ情勢は、悪化が増し、キーウ近郊で、市民が大量に殺害されるという戦争犯罪が発生。生々しく、夫が3日間拷問の末殺害された。顔の見分けもつかず、衣服で判断し、泣き叫ぶ妻をインタビュする記者。そして、それを見る世界の人々。ヒトラーやかつての日本陸軍が犯したかもしれないような残虐極まる犯罪が、今の21世紀に起こっている。戦争とはそういうものであるのかもしれないが、人間としての精神状態が狂い、善悪の行為の判断を失い、自己の命だけを守るためには、何でも行うことなのだ。ただ批判するだけでは、同じ人間として恥ずかしいことであるが。何もできない。・・・
18時、NHKラジオ『ウクライナ侵攻から1か月』を聴いている。その場にとどまり戦う市民、遠距離を避難してきた市民の生々しい、素直な声が届く。「自分たちの土地であり、国家であるから、自分たちが守る」「肉親が、友が倒れた。いつまで続くのか」7才の子供が「飼い犬、どうしているかな」と心配する言葉に、通訳の方が涙声になり、その悲惨さ、悲劇さをまたまた痛く感じている。神に祈れば・・・、と思っていたが、全く先が見えない。プーチンは、歴史上、最も非情なる犯罪人になった。
国家間の戦争を避けるには、外交である。大国ロシアが武力でウクライナを攻める現実は、悲惨悲劇の現場であり、胸が締め付けられる場面の連続である。だから、当事者の間に入る仲裁・仲介役を立てねばならない。そのために、国連があるのだが、機能を果たしていない。常任理事国の拒否権は、いつでも米国ロシアが自国の有利なように利己的に使用している。これでは、利害関係にある対外交渉はいつも大国有利に働く。今回の国連決議において、大半の国々がロシア非難に賛同するならば、常任理事国としても、無条件に厳しい罰則制裁を受けねばならない規則を定めて実行されるべきである。科学技術文化が向上し、より幸せな社会生活実現に向うはずの21世紀において、プーチンの血も涙もない野蛮的行動が、地球規模ですべての人類や動植物だけでなく、尊い自然も破壊する行為であることを決して忘れてはならない。日本をはじめとする東アジアにも中国・北朝鮮の脅威が迫ってきていることは、誰もが疑ってやまないのである。
父親に抱かれた幼い息子が泣きじゃくりながら、父親との別れを叫び、父親の頭を両手で何度もたたく。ウクライナの国を守るために残る男性は、市民兵士として戦うのでしょうか。昨夜は、父の頭をたたく男の子の健気さが脳裡に残り、寝付けなかった。1000kmも一人ぼっちで避難してきた11歳の少年等々、まだまだ、知られざる想像できない悲劇がこの戦争で日々止めどなく起こっている。有史以来、専制独裁政治体制の崩壊は、必ず起こることをわかりながら、自己のために突き進むプーチンの頭脳が壊れている。