京田辺市の生活情報誌『ぐってぃ』の7月号は、『家康の伊賀越え』が巻頭特集となるために、編集長とライターさんからインタビューを受け、伊賀越えに関係する現地4か所をカメラマンさんも含めて訪れた。あらかじめ、伊賀越えのストーリー概要は、お渡ししてあるので、それに基づき見出し分けとその詳細内容、写真・地図等について検討決定した。また、私のつつきはっけん講座・ウォーク活動も紹介するとのことで、紹介文もお渡しした。ライターさんから色々と質問を受け話す中で、興味を持たれたのが、伊賀を逃走するときに、服部半蔵が登場、伊賀・甲賀忍者200人をうまく使って、家康一行を無事成功させたということ。またその功績により、江戸城の西側の門が『半蔵門』という名前が付けられたということ。今までも、講演やガイドを通じて、京田辺の魅力を訴えてきてはいるが、まだまだ、竹槍的で、その影響度は低い。ぐってぃのような市内全家庭に配布される情報誌をきっかけに、伊賀越えの知名度を上げ、まちづくり向上につなげていきたいものである。
京都新聞の読書の声『窓』欄に我が投稿文が掲載され、そのプレゼントが郵送されてきた。窓欄を毎日さら~っと目を通すが、投稿は高齢者が多く若者が少なく、同じ人物の意見がよく掲載され、政治経済社会文化スポーツなど全般的な分野にわたっているものの掲載された理由が不明なものもある。
声だから、老若男女、いろいろな意見が自由に出るのは良かろうが、出来事における専門的に分析した見解や声が少ないのは、ややもの足りなく思っている。
声だから、老若男女、いろいろな意見が自由に出るのは良かろうが、出来事における専門的に分析した見解や声が少ないのは、ややもの足りなく思っている。
今朝の京都新聞山城版に、10/9『つつきはっけん講座とウォーク』の案内が掲載されている。また、やましろ100ちーたび事業:12/5『本能寺の変、家康逃走の京田辺を再現』がfacebook「宇治茶love」で紹介されている。しかし、閲覧したのは、本日でもう10日も経過している。ネットでの凄さと本人が知らない間というリスクが同居している。自ら発信する情報内容も十分留意しなければならない。
毎朝、ABCラジオ(朝日放送)の『おはようパーソナリティ道上洋三』を聴きながら、ラジオ体操、パソコン、朝食、新聞に目を通しての、ながら族なので、しっかりと聞いていないことも多い。道上さんは、政治・経済・社会問題、天候、スポーツ、音楽、文化、芸能、こども教育等あらゆる分野においてわかりやすく説明しようとする意識が強い人物である。ごく一般の人々がわからない、知りたい、なぜと思うことを同じように感じる道上さんが非常にタイムリーに感情を持って伝えてくれ、もっと詳細に本質的なことを明確に知りたい、伝えたいと思うときには、専門家を招いて、あるいは、電話で聞いてくれる。その内容が私にとっても知りたい、聞きたいことであり、聞いていて、大変満足をすることが多い。現在38年間継続し、国内最長の朝の番組である。とにかく、インタビューの相手が超有名なスポーツ・文化芸能人や専門家であれ、一般の市民であれ、誠に的を得た質問回答が限られた時間内に行われる。そのことにより、市民のメールやファックスもタイミングよく自分たちの周辺で起こったことも伝えてくれる。朝の交通渋滞事故情報などは、その場に出くわした情報こそが重要なのである。まさに、ラジオが情報交流サイトになっているといえる。私の地域活性化活動についても、4年前に突然放送されたのは、吃驚した。残念ながら、そのほとんどはしっかりと耳にできなかった。最近では、関西地区しか聞けない、この放送がインターネット有料アプリで聴くことができ、ファンは全国的に増えてきており、合わせて、話題の話は、ユーチューブで翌日にアップされている。
『つつきはっけん』講座の開催案内を京都新聞の地方版に掲載をしてもらうために、京田辺・学研総局を度々訪れていると、記者の方たちやデスクワークの人達とも親しくなり、市内の出来事の情報交換ができるので、楽しい。皆さんの時間の余裕のある時は、市内地区のイベント・歴史にまつわることをお話しすると、彼らも話にのってくることもある。情報交流していると、新聞の記事を読んでもわかりやすくなるので、これもメリットの一つである。それにしても、記事を書くプロだけに、公平性・真実性に加えて、素直な表現が快く感じる。
急に飛び込んできた、全国放映番組のロケの話。これからじっくりと関係者と調整しますが、もっと、エキサイティング出来る番組に仕立てるために、~~~。また、そんなに頑張らなくても、プロのディレクターがおり、カメラマンがいて、・・・。そして素人のわれわれ。
本日、200年前の古民家オーナーと打ち合わせ、来週のロケと出演をお願いしました。素人集団で企画し演技する?内容をこれからストーリーつくりをします。私って本当に、何者かな。
本日、200年前の古民家オーナーと打ち合わせ、来週のロケと出演をお願いしました。素人集団で企画し演技する?内容をこれからストーリーつくりをします。私って本当に、何者かな。
突然、京都新聞の新聞連載『親鸞』が『夢はまことに』のタイトルと画に変わる。新聞社の大チョンボです。でも、このことに気付いたのは、読んだ8時ではなく、切り抜きを行った19時でした。
下段が9月1日(日)の 『親鸞』 62
上段が9月2日(月)の 間違った『夢はまことに』 63。
『三浦雄一郎さんが史上最高齢80歳でエベレスト登頂に成功』のニュースは、国民、そして高齢者や病気と闘っている人たちにも、明日への勇気や希望を与えたと言ってもよい。昼過ぎにニュースで、その朗報が届く場面が登頂数分後にTVで観れ、日本国中で瞬く間にそれを知り生々しい三浦さんの声までお茶の間で耳にするこの時代、何かすべてがお膳立てされた作られたもののようにも感じてしまう。リアルがバーチュアルのように錯覚してしまう。一人の快挙のために、多大なるサポート、支援があり、エベレストに挑む姿は、その有様を多く知ってしまうと大拍手をしながら、何か痛々しく、偉大なるチャレンジが不幸な結果になってしまった時の失望的なものが頭を霞む。距離感・自然環境感がなくなってしまう恐ろしさみたいなものも感じたりする。すべてがそのタイミングで目に見えてしまう、見れるように努めることが、いわば人生の味気なさ、虚しさみたいなものを感じたのである。