~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

先人たちの郷土愛・誇り、そのこころをつなぐ役割と責任

2014-08-31 06:24:30 | 郷土の歴史
先日、ブログで『京田辺ゆかりの人物~神功皇后』を記述しましたところ、幾つかの問合せ・コメントを頂きましたので、少し付け加えさせていただきます。

写真は、10年ぐらい前のものです。JR同志社前の鉾立ての杉は、現在では、バッサリ切られ、案内板もなくなり、ポツンと一つ道の片隅に申し訳なさそうに石碑が建っているだけ。この前を通るたびに、これが京阪奈学術都市の第1クラスター地域が成すこととは思いたくないと、機会あるごとに市民の方々にお話してきました。いにしえの時代から言い伝えられてきた地域の先人たちの郷土愛と誇り、そしてそのこころをつなぐ役割と責任を行政や市民はもっともっと大切にしたく思いませんか?
特に、これからの将来を担う若者さんたちよ、しっかりと考えてください。

『芝ケ原古墳と卑弥呼の時代』展

2014-08-30 02:53:54 | 郷土の歴史


お隣の城陽市で開催されている『芝ケ原古墳と卑弥呼の時代』展に行ってきました。常設展示も含めて、1時間半、じっくりと観て学んできました。史跡整備完成記念の夏期特別展で実にうまく解説、展示されており、久々に感動した展示でした。説明文、図式化、動画、程よい閲覧数量、シンプルさ、に加えて、係員の適切なコメントもあり、少しばかりお話をさせていただきました。まさに、3世紀の卑弥呼時代に大いに関係した古墳であり、副葬品も数多く、じっくりと観ることができたのである。この種の出土品(鏡)が出てくると、国立博物館等に奪われてしまう文化的視野の低いどこかとは大いに異なる、城陽市の頼もしさを感じた。また、許可を頂き、常設されている三宅安兵衛の石碑(実はレプリカ)の写真を撮らせていただいた。残念ながら、小雨が降りだしたので、芝が原古墳には、行けなかった。

京田辺ゆかりの人物~神功皇后~

2014-08-29 11:23:24 | 郷土の歴史
京田辺ゆかりの人物~神功皇后~
15代応神天皇を生んだ、神功皇后と京田辺との関係は奥深い。
●神功皇后が三韓征伐(任那救済)を行ったのは4世紀後半。その時のエピソード。(百済記)
・御髪を洗うと二つに分かれ、みづらに結い、男子の装いをして船出。(古事記・日本書紀)



・三韓征伐の行き帰りに不違の池(京田辺市興戸若宮、八幡木津線沿い)を通った。帰りも必ず通ると約束。池の側には、皇后が腰掛けたとされる「御床の石(通称とこいし)」が今もあり、遠征の酒盛りをしたときの盃の跡が、5、6ほど残っている。
・その時の戦隊行列は、鉾立て杉(南鉾立、JR同志社前)から松(北鉾立)まで続いたとのこと
 ・三個の酒壺を酒屋神社背後の山上に安置し、諸神を祀る。(酒屋神社の絵巻物)

●神功皇后の祖父、迦爾米雷王(かにめいかづちぎみ)は、天王の朱智神社の祭神。
●神功皇后は、息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)と言い、京田辺の所縁の息長氏(滋賀県坂田)の子孫。
●伏見の御香宮神社の祭神は、神功皇后、仲哀天皇、応神天皇。
●石清水八幡宮の祭神は、神功皇后、応神天皇。

大人の後ろ姿で子供は育つ

2014-08-28 10:48:06 | 教育
■いつの時代でも世界上のどこかで民族紛争があり、人間社会間での悲劇的な集団殺害が発生している。
■生まれながらにして先祖から受け継いだ憎しみ恨みや宗教的な闘争、またつい最近の政治経済圧力紛争にともなうものなど、自分としても避けられない環境条件に基づく半面、逆に言えば、それらに基づかないものについては、暴力的な闘争を避けることができるのではないかと思っている。
■争いごとの単位は、民族、国、地域、まち、そして、最小の単位は家庭であり、家族である。■小さい時から、よくよく見てみると、子供は、身近な大人、特に日々時々刻々、見て聞える親の言動・行動に似ていくのである。「これなに?」と聞きながら、いろいろなものを知り会得していく。本来ならば、親は、子供に付き添い多くの教えを伝えるのであるが、それが常にできないところが逆に良いところで、親の言葉や姿を見て、自ら考え、会得するところに子供の成長が増進される。
■いつも教えることが子供にとっての最高の教育ではないことを親たちは知り、子供の自立心を環境的に手助けすることこそが大切なように思う。
■親が何をして働いているのか、何に夢中なのか、苦労したり楽しんでいるものは何か、なぜかを子供が知ると、大きな好奇心や自己の考えの推理性や判断力を高めていくのである。
■だから、親、身近な大人の無言の後ろ姿は本当に大切だと思う。

郷土史家を訪ねる

2014-08-27 14:44:38 | 郷土史会
久し振りに、近くの郷土史家を訪ねた。前日、電話が入り、以前から、入手したいと思っていた資料の準備ができたということで、頂きに行った。実は、予想もしなかった郷土史に興味を持ったのも、この方からいろいろなことを学んだからといっても過言でない。お父様が郷土史会の元会長ということもあり、多くの郷土資料に加えて、市内外の著名人との接触もあり、機会があるごとに、私を紹介をしてくださった結果、沢山の師ができた。それ以来、知りたいことがある時は、その件に通じている師に尋ねることをくりかえしたために、短期間に多くの情報を得ることができたと思っている。本日は、継体天皇皇居故趾の石碑を最初に建てられた場所の写真と朱智神社の祝詞に「つつきのみや~~~」と記載された資料を手にすることができた。益々、筒城宮は、昔の多々羅(高木~普賢寺)であるかもしれないと思わせるような写真と資料である。

多々羅は、製鉄製造法、生糸を金の糸車で巻きつけるもの(金のたたりという)のほかに、広い地域ともいうことを思い出した。多々羅は、普賢寺郷の中の一村と思われているが、実はその反対で、現在の三山木から天王、打田、高船の広域を総じて、多々羅と言っていたのではないかと思う。

郷土歴史資料のデジタル化を早めよう

2014-08-26 15:12:49 | 郷土の歴史
市の教育総務が音頭を取り、市が所蔵している歴史資料の整理を行うという。市民ボランティアを募集し、以前から要望していることをやり始めるので、担当部署に話を聞きに行ったが、明治以降の活字資料の寸法計測、目録作成、写真撮影と聞いて、まずは一歩だが、やるべき優先度から言えば、紙ベースのアナログ情報をデジタル化すべき大切なものが多くあるので、そちらからか、あるいは、並行して実施すべきであるとお伝えした。これらの紙ベースの資料は、陳腐化しいずれ見えなくなったり、使用出来なくなったりすることは必至であり、幾つかの会議等で、その指摘がなされても、誰も手掛けない。これも市の文化活動に対する理解度の低さである。それでよいと思う市政の弱点である。やり方については、お金もかけずに、資料整理保存ができるのに、毛嫌いなIT実施するのがいやだと発するばかりである。行政は、今現在に視点を置くのではなく、今後の将来のことを考えた行政であるべきである。だから、新たな手段戦略で改善改革が必要なのである。なぜわからないのか?愕然とする。もう人質を問われる問題になっているのです…。

45年ぶりの夢は、消えてしまった、甲子園。でもよくやったね。

2014-08-25 15:44:31 | スポーツ

残念、無念、三重高校、決勝戦は、ほぼ互角で、ミスしたほうが、負けると思っていたのだが、桐蔭は、ミスがなかったが、三重高校の作戦がやや策におぼれたと言うか、3-2で勝ち越して、四番に送りバンド。三重最高のスラッガーにバンドとは?、45年ぶりの夢は、消えてしまった、甲子園。でもよくやったね。スクイズも完全に見破られていたし、8回の投手交代や、野手交替など、少し、おかしな作戦、・・・。でもよくやったね、三重校ナイン。一丸となった応援団の声援。球場内に響く声援は凄かった。

昼から豪雨、広島の悲劇がないように

2014-08-24 17:27:54 | 暮らし
朝から、雲が厚く、いつ降り出すかわからない空模様。昼から、急に激しい大雨となり、断続的に、集中豪雨。午前中に、知人におすそ分けの梨を持っていく。昼からも外出しようと思っていたが、いつ降り出すかわからないので、取りやめる。案の定、夕方になっても、激しい音を立てて大粒の雨が降っている。大雨注意報も出てない?。不思議でしょうがない。新聞で、広島の数々の悲劇を読み、胸が詰まる。

京都講演大成功、ファンクラブ第二号設立

2014-08-23 18:19:14 | 家康伊賀越え








京都五条烏丸下る東入る「ひと・まち交流館京都」で『伊賀越え、本能寺の変の真実』を2時間、講演した。予想通り、質の高い歴史ファンが沢山で、多くの質問にも丁寧に答えたつもりであるが、もっといろいろ尋ねたいということで、以前からの講演に参加している方が中心となって、終了後私に詰問する懇親ランチ。甲賀忍者の発祥の家系という人も現れ、大変盛り上がり、今後の友好を約束した。その後も、伊藤若冲の邸宅跡や、三宅安兵衛の旧宅を探しにみんなで行く。世間話もしながら、ワイガヤで大いに盛り上がった。お別れしてから、本能寺跡や、南蛮寺跡、茶屋四郎次郎邸宅跡に1年9か月ぶりに訪れた。久し振りに充実し、こんな良い日はなかったのだが、家に帰ると、いろいろなことが待っていた。

三重高校、準決勝に進出

2014-08-22 11:59:52 | スポーツ
野球好きな私は、なぜか、高校野球はあまり観ないのだが、今夏は、龍谷平安の春夏連覇を期待して観たが、あっさり負けいつものように、プロ野球に熱中していたら、ふるさと松阪の三重高校が今朝も勝ち、ついに準決勝に進出することになった。中学三年の三学期に名古屋の中学から、突然三人の転校生があった。三重高校に野球特待生として入学するためであった。そのうちの一人が、わがクラスに入った。捕手のK君で、体ががっちりしていたのを覚えている。彼らは、三重高校に入学し、三年間野球で活躍し、三年生の時に、甲子園に出場した。残念ながら、1回戦で負けたのだが、そのうちの投手のM君は、大会一のピッチャーとして、ドラフト1位で阪急に入団、その後巨人に移籍し、まあまあ活躍した。野球で有名な三重高校もその後、春の全国優勝や甲子園にも出られない時期なども経験しながら、ここ数年は、常勝チームとなっている。今年の選手には中学校の後輩もいて大変活躍している。故郷を離れて、いろんなところで、活躍するふるさと人を見つけると途端に、ふるさとに帰りたくなる。ふるさとはいいなあ、私も日本人だと、感じている。

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