『やまじろ研究』の師匠であるM氏のご指導をいただき、口駒ヶ谷遺跡の場所(京田辺市三山木)を見つけました。京都府教育委員会の学術的な調査報告書による、その位置(東経、北緯)をスマホで確認しながら歩き、場所がわかりました。その遺構は、殆どうかがえませんが、南北朝時代の中世の城館跡の位置に立ち、七百年も時代が経過した不思議な思いと歴史ロマンを感じました。
プロ野球のMLBワールドシリーズ、日本シリーズは熱戦が続き、なかなか面白い。短期決戦で選手の緊張感ある表情が画面に映し出されその真剣さが伝わってくる。昨夜の日本シリーズのホームランと本塁タッチの場面の判定は、人間の眼では困難なものであった。これぞ、ビデオの威力が発揮できたと思われれるが、テレビに映るリプレーでも、判定するには充分であったものではない。100台のカメラ目線でのホームタッチ判断、橘高責任審判の「セーフです。」の一声に、ラミレス監督も抗議もせずに、神の声として聞き、以降を戦ったのは、規則とはいえ、スポーツマンらしく、気持ち良いものであった。
本日は、京都府ウオーキング協会が主催する『伊賀越えウオーキング』(星田~京田辺草内:25km)の日です。つつきはっけん講座やウォーキングに参加された方が1年前から企画されたイベントです。京田辺を歩くときには、現地に行こうと思っていましたが、台風22号の雨風が強くなり、中止になったのかも知れません。このウォークコースにはその姿は見えませんでした。ふと、思いついて、伊賀越えウォーキングについて、インターネットで調べてみますと、5~6年前から、各地で行われていることがわかります。そして、ブログ等でその報告がされています。そのきっかけとなったのは、7年前に実施した、古民家「ビオ多々羅」主催の当方の神君伊賀越え講演ということもわかりました。このように、いろいろな団体や大小のグループが伊賀越えウォークをされて、伊賀越え人気が高まっていくことには、嬉しいと思います。お弁当持ちのハイキング、歴史のゆかりの地や真実を求めてのウォーキング、伊賀越えストーリーを熱心に聞く参加者、いろいろな参加のスタイルがあるのだと改めて思いました。また、主催者HP、ブログを読んでみると、大変参考になりました。
知り合いが多数活躍する京田辺芸術家協会展に行ってきました。各人を紹介する似顔絵がよく特徴をとらえて、中々面白かったです。
昨日のウォーキングで、珍しい「らっきょう」の花をいただきました。参加者の女性が野良仕事をしていたおばあさんと話をして、いただいたものでした。大根やにらの様に可憐な花の姿に思わず、感嘆の声を発しました。まさに、参加者が見つけた小さな発見、「つつきはっけん」です。昨日も、幾つかのほろっとする話しを耳にしました。異なる環境で暮らす人々が互いに接して、それぞれが一生懸命に生きている、これこそが、文化だと思います。そして、伝え合うコミュニケーション、文化を作り上げていくのは、人間同士の会話であると同時に、そういう場をこのつつきはっけんで作り上げたいと思った次第です。
予定どうりのウォーキングを開催。秋晴れの最高の天気で、先日の台風が嘘のようでした。普賢寺川は、濁った水がとうとうと流れ、激しい風雨を思い出しました。伊賀越えの逃走ドラマに聞き入る参加者、そのほかに、蚕飼育地、近衛公のこと、田宮の館、若冲の土地に残る話を興味をもって聞いていただけたと思います。特に、田宮の館は、貴重な市の文化財として、守ってほしいという意見も多く出ました。
本日は、つつきはっけんウォーク:「神君伊賀越え in 京田辺西編コース」です。合わせて、古代、中世、近世にわたる文化財と史跡を巡ります。つい最近仕入れ情報もお伝えしたいと思っています。いつも新鮮なニュースをお届けする、『つつきはっけん』に、今回は口コミで広がった参加申込者が多数おられ、この上ない喜びと同時に、満足いただける内容にしたく、ここ数日時間をかけ準備をしました。京田辺における若冲、イケメン男近衛基通の晩年、磐之姫の住んだ場所、時代劇に登場する田宮の館、家康一行が宇頭城の道を選んだ理由など、話題一杯の今回にご期待ください。観光ツアーは、参加者の要望や期待感がわかるとその内容を組み立て、ガイドがしやすくなることがあらためてわかりました。しかし、その準備は大変です。何回もガイドしてきたコースですが、一味違った内容にチャレンジします。昨日も、もう一回下見をしてきました。写真は、昨年の様子です。
本日は、つつきはっけんウォーク:「神君伊賀越え in 京田辺西編コース」です。合わせて、古代、中世、近世にわたる文化財と史跡を巡ります。つい最近仕入れ情報もお伝えしたいと思っています。いつも新鮮なニュースをお届けする、『つつきはっけん』に、今回は口コミで広がった参加申込者が多数おられ、この上ない喜びと同時に、満足いただける内容にしたく、ここ数日時間をかけ準備をしました。京田辺における若冲、イケメン男近衛基通の晩年、磐之姫の住んだ場所、時代劇に登場する田宮の館、家康一行が宇頭城の道を選んだ理由など、話題一杯の今回にご期待ください。観光ツアーは、参加者の要望や期待感がわかるとその内容を組み立て、ガイドがしやすくなることがあらためてわかりました。しかし、その準備は大変です。何回もガイドしてきたコースですが、一味違った内容にチャレンジします。昨日も、もう一回下見をしてきました。写真は、昨年の様子です。
徳島県が人工知能(AI)を使って記者会見などの内容を要約する実験に取組んでいる。人間が話した言葉をAIが音声認識し、PC画面上に文字表示し、誤字などを人間が修正したあと、「AI要約システム」で要約の割合を決めてクリックすれば完成。会議の議事録にも展開し、県知事は、「業務の効率化を通じた働き方改革にしっかりとつなげたい」と意欲的とのこと。業務量が増大し軽減するには、有用なものになるかもしれないが、このシステムに頼りすぎると人間がますます馬鹿になる恐れがある。相手との日常対話や会談、調整交渉などにおいて、相手の話す真意を理解する能力が衰えて、問題を起こすことにもなるかもしれない。頭は、からだと、同様、常に使わないと退化していくのがよく知られているだけに、どのように使い分けをしていくのかが人間として重要なことである。AIの発展進化における社会は、その活用の仕方、すなわち、人間の倫理的な正しい判断にかかっている。
村田君が、世界チャンピオンになった。自宅の近くの高校を卒業し、ロンドンで金メダリスト。プロになるかどうかで悩み、アメリカで修行し鍛え英語をマスター。ボクシングも重量級ということで、日本人としては、大変な苦労があったと思うが、無名の若者がじっくりと人生を歩み成長し、素晴らしい好青年となった。前回の判定にも不平も言わず、この日を迎え、相手の戦う意志をくじく、TKO勝ち。勝利インタビューが素晴らしい。「泣いていない。高校の恩師から教えてもらった『ボクシングは相手を踏みにじって自分が上に立つ。だから勝つ人間はその責任が伴う。』敗者の分の責任を持って、これからも戦いたい。世界には、もっと強い相手がいることも知っている。そこを目指す。」謙虚に、成長をし続ける村田諒太の人間としての奥深さをまた認識した。こわもてのあの子が、このようになるまでには、相当な努力やこころの葛藤があったろうと思われる。生きる勇気、精神的なこころの強さ、相手を思いやる優しさの大切さを村田君からまた教えてもらった。
台風21号は、深夜、京滋に接近、各地が激しい風雨に見舞われた。老朽化が進む我が家も風で吹き飛ばされるのではないかとひやひやしていた。たぶん、深夜の風雨の激しさは、今までで最大のものであったと思う。朝から、昨日片付けたものを元の場所にし、巻き散らかされた落ち葉やごみを掃除し、家屋周辺を見て
大きな問題はなく良かったと思い、家に入ろうとすると、お隣さんからの連絡で「2階からの雨樋いが無残に引き裂かれ、隣の家に吹き飛ばされている」ことを知る。お隣へのお詫びをし、無残に壊れた樋を見て、あらためて雨風の恐ろしさを知ったのである。築50年になろうとしている、この家も人間同様かなり傷んでいることは承知である。想定外のことが日常生活で発生しているのが、現在の世の中である。
大きな問題はなく良かったと思い、家に入ろうとすると、お隣さんからの連絡で「2階からの雨樋いが無残に引き裂かれ、隣の家に吹き飛ばされている」ことを知る。お隣へのお詫びをし、無残に壊れた樋を見て、あらためて雨風の恐ろしさを知ったのである。築50年になろうとしている、この家も人間同様かなり傷んでいることは承知である。想定外のことが日常生活で発生しているのが、現在の世の中である。
日経の連載記事~平成の30年、陶酔のさきに~『覇者・松下の失速、変化への感度鈍く』、『巨艦パナソニック、幸之助の影と戦った中村改革 中村邦夫相談役インタビュー 』が掲載されている。中村改革の一環として、間接部門の経営改革『iEPOCH』を担当させていただいたが、企業におけるITの経営貢献度の貧弱さを痛感したものである。中村流から言えば、全社的な根本課題にメスを入れ、トップが号令をかけるような場面つくりも必要であったように思う。きれいにまとめ、分かり易くをモットーが行き届いた部門が当時の本社の集まりであったように思われてならない。これでは、真の経営改革にはつながっていかない。組織、体制、部門トップにも勇気をもって、本質的な課題を掘り起こし、全社で解決しようとする心意気が必要である。このようなことは、企業に限らず、一般の社会でも通じることではある。特に、今、地域社会における行政・市政においても、強く感じる。PDCAでまわっていない行政や地方自治に対して、その改善・改革を求めても、賛同を得ないことが多い。そういうモードになっていない。のんびりと、問題が起こるまで、無視することの考えが行き届きすぎている。当事者にもう少し、色々と考えていきませんかと呼びかけると、笑みを浮べて無言となってしまう。難儀な世の中だと思ってしまう。本日は、衆院選挙。ますます、おかしな時代に突入していくとため息をついてしまう。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22512280Q7A021C1000000/?dg=1