本日のNHK大河ドラマ「どうする家康」12:15~13:00を観ました。脚本家 古沢良太氏の「家康が信長を討つ」と宣言し、行動を図るストーリーが信長家康の範疇内での心のやり取りが主体で、幼少期からの狼と白兎の戦いの発想では、物足りなさを感じる。本能寺の変に至るには、多くの考えられる要因をうまく整理分析したうえで、新しい論述を展開して欲しいものだ。
天正10年6月2日に起こった本能寺の変は、西暦でいえば?年?月?日と聞かれたときに、正確に答えられますかと、3月の連続講座でクイズを出したいと思っている。兎に角、著名な歴史家やいろいろな出版物の間違いに唖然としてしまう。そのほかにも、明らかな誤りを堂々と発信していることが少なくないこともお話ししたく思う。その裏話から面白い話が展開できます。こうご期待!
NHK大河ドラマの「麒麟がくる」が終了した。真実を追求してほしい願望は、予想通り無理難題であった。視聴率至上主義のこの世の中では、国民に受けなければどうしようのない。だから、かっこよい、長谷川光秀がどこかで生きているといった伝承につなげていくのである。光秀は、道三、久秀、義昭、正親町天皇、にこれほどまでに密なる接触はなかったのだが、特にこのドラマの主人公にするためには、そうしなければならなかったのである。染谷信長も、岡村菊丸も好演し何とか無事に終了して、ほっとしている。
NHKBS「英雄たちの選択」で明智光秀の心理分析をしながら、『本能寺の変』について、その筋の著名な学者さんが論じていた。今までにない新しい試みということで、期待していたが、結論はいつものようにざわざわこういう分析解釈もありといった論議。脳科学者の史実分析の不安定さ、相変わらず受け狙いのタレント先生二人。まじめに自論を展開しようとする先生もメディアなれした三人には届かず。本能寺の変の真相は結局謎のままでした。戦前までど偉い先生の「野望説」が定説でその他の意見が言えなかったが、お亡くなりなってからは、自由に多説が飛びまわり制御ができなくなっている。そろそろ超有力説が出てきてもいいのですが、・・・。
NHK文化講演会の呉座勇一氏の「本能寺の変」をじっくりと聴き、自分なりの分析と考えを整理し始めた。歴史の真実を追求するには、出来事史料の信憑性を問わなければならない。しかし、的確な史料がなく、不十分であるのが、現実である。だから、消去法を用い、ありえないものをつぶしていくことが大切である。さあ、どこまで、進めることができるのか?調査研究が進んだら、また披露したく思っている。
歴史事件の分析考察は、古文書や古議録が有効ということで、新たに発見された古書をもとに、発表されるが、その関連の正しい事実との整合性を十分精査されず、見勝手な解釈をし、視聴を高めるがためのバラエティに、学者の知恵や人気取りの言葉が飛び交い、嫌悪感を抱いてきたことは、以前から何度も、訴えてきたことである。予想通り年末に向かって、来年のNHK大河ドラマ主人公、明智光秀関連の歴史番組が増えてきている。本能寺の変における展開ストーリーも稚拙で苦笑されないような時代考証をお願いしたい。勿論、伊賀越えについても、関係するイベント主催者に矛盾なき内容の追及を願うものである。
本能寺の変が起こったのは、天正10年6月2日未明で、講演時には、これをお話ししている。しかしこれは、和暦。西暦でいうと、1582年6月21日、あるいは、7月1日と書かれてあったのを覚えている。この違いがようやく分かった。6月は、ユリウス暦(紀元前46年ごろに使用)、7月は16世紀のローマ法王グレゴリウス13世の時にユリウス暦を修正したもので、グレゴリウス暦という。今日の西暦は、これを指すとのこと。だから、1582年6月2日というと間違いであると分かった。天正10年(1582)6月2日と言おう。
ついに、『本能寺の変 431年目の真実』で27万部のベストセラー作家明智憲三郎氏とお会いし、少しだけお話をしました。昨年の講演会が台風で流れ、本日が再度の講演会。予想通り枚方市市民会館は、1000名強の満席。すごい人気の明智さんのお話に魅了された1時間半。427年目、431年目の真実を読み、日々のブログ最新情報もみていますが、リアルのお話には、誠実・品格さに加えて、より真実を追求する真面目さがうかがわれ、人前で話を行う自分にとって大変勉強になりました。一番、魅了されたのは、言葉がはっきりと明確で、接続的な「え~~あ~~」というものが全くなく、非常に聞きやすいプレゼンテーションでした。パワーポイントの作成内容やユーモアを交えるテクニックも学ぶべきものがありました。さすがに人気ある作家さんでした。残念ながら、時間不足でもっとお話ししたかったのですが、ほんのわずかでした。京田辺の伝承ものは、結構地元では受けており、そのお話をと思ったのですが、独り占めはできませんでした。
戦国時代最大の出来事の一つである『本能寺の変』について、次から次へと、新しい出版物が発行されたり、ドキュメンタリー、ドラマ等で紹介されている。幾多の古文書、日記、軍記物、人物の公式記録・・・、これも多数あり。新たな書・資料が発見されるたびに、歴史ファンとして、胸をときめかすものになる。関心・興味が高まるのは、未だ、その真実が確証されていないところにある。昨年発見された石谷家文書等は、長曾我部元親、斉藤利三の不安な気持ちがよく伝わり、光秀の信長に対する思いも、伝わってくるようである。まさしく、一次史料から、社会状況を鑑みながら、当時を推測する面白味と自論を展開するところに、益々興味深いものとなる。6月に予定している、講演では、信長、光秀、家康、秀吉、朝廷、元親、義昭、本願寺、イエズス会、堺の商人の心の動きを出来事や事件に影響うけたものとして捉えうまくまとめて、お話ができたらと思っている。実は、いろいろ調べていて、もう一つ、興味深いことを感じている。少し長くなるので、別の機会に整理して述べてみたく思っている。
待望の安土城に行ってきました。ひと時の天下布武を味わってきました~
心地よい春の風が吹き、信長が人生五十年と謳い舞っているようでした。
心地よい春の風が吹き、信長が人生五十年と謳い舞っているようでした。