世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
このメディアの感覚と実態
朝日新聞の1面トップは、【時津風親方の解雇】で他にも、紙面を4面使っていた。新聞も今日のテレビもニュースは大相撲にジャックされたようだ。
昨日は午前午後とも国会の本会議があった。各党の代表質問に、総理大臣が答弁するものだった。今だから国の内外の重要な案件ばかりだ。
総理大臣が「国の内外の状況の変化で先は不透明で,今までのようには行かなく、舵を切らなければならない。」と言う。その認識は立場を超えたものだろう。
国会は今後の船の進路を指し示すもの。行くへが見えない今はなおさらのことなのに、テレビは言うに及ばず、朝日新聞も、昨日の国会の様子は殆ど報じない。(4面に言い訳程度で、事の是非は別にして昨日の国会論議の1割も報道されてない。昨日仕事をしていた人は目にすることが出来なかったはず。私達r暇人以外、どれだけの人が、国権の最高機関の様子をうかがい知れただろうか? 限られた情報も伝えるか否かから、伝える形や意味も一手にメディアに握られているようだ。我々は殆ど、この網(ネット) から逃れられないでいるに違いない 。 しかしここまでくると、権力への手練手管を超えて、メディア自身の存在価値そのものが問われることになる。 )
伝統文化である大相撲で不祥事のあったことは、日本の現状を表す重大な出来事であったことには違いない。ただ社会は有機的に関連しながら動く。社会現象や出来事は、ただ並列に並んではいない。朝日の扱いを見ると、ニュースの軽重のバランスや統一の感覚が全くと言っていいほど見られない。これではメディア情報に頼っている国民はまとまった状況認識は困難だし、社会的な判断や行動が困難になり、今日の状況になるのも致し方ない。
昨日、私と妻と一緒に、午前午後ともテレビにかじりついて見ていた。確かに、何時ものようにどうでもいいようなやり取りも見られたが、状況認識上、見逃したり聞き逃してはならない言葉もあった。
政治担当の記者や編集責任者もいるだろうに、無責任極まりない。安倍首相の無責任を指弾できる立場か、と思う。
一流のスポーツ選手は己の姿を見るもう一つの目を持っているそうだ。
この目は一流のスポーツ選手に限ったものではない。
待ってろよ!なんとかなるはずだ!
さっき突然例の猫が、窓の下でギャオーとないた。走っていって雨戸を開けて、ジーとこちらを見ている猫を、「こらっ!」と思いっきり怒鳴ってやった。猫はすごすごと不満そうに、さらに足を伸ばした。
この間から猫が隠れにくいように草取りをやったり、植木鉢を移動したりしている。
まだ、殆ど効果はないが、以前のようにすずめが来られるよう挑戦してみよう。
何とかなるはずだ!待ってろよ!
良かった!
先日、(たまたま知った)ケニア在住の早川千晶というフリーライターの方から、直筆の手紙と一緒に、現地の伝統音楽のCDと「ケニアを知る旅」の案内人独白!の文を送っていいただいた。
紹介する文章の中に、「スラムの子を迎入れた(貧しい村の)部族の長が『悪いことをしたら叱ってやれ!お腹を空かしていたら食わせてやれ!』と、集まった村の人たちに話した。」とあった。
私は特に長の後半の言葉に、まいってしまった。泣けて泣けて、あけた口が閉まらず、うめき声みたいなのを止められなかった。(ラッキーにも家の中は一人だった。)こんな泣き方は、生まれて初めての経験だ。
村の長も凄いけど、それをしっかり捕らえた早川さんも凄い。(私はこのことをどう言葉にしていいか分らない。)少し変かもしれないが、私は常々持っている(伝えきれない)もどかしさがフーと抜けていくようで、楽になった。
(偉そうに)あれこれ気にし心配している私よりはるかにスケールが大きく分っている人がいると、心底『良かった!』と思った。彼女からいっぱい力をもらった。
この間話を聞いたミュージカルの監督やゴールデンウイークに出会った若者も真似のできないスケールの大きさを感じた。
以前私は、人の「生の声」は点在か?と書いたが、(今の私には見えないが)面をなして、在るのかもしれない。