←と→

←と→は人間の最も基本的(文化や経済を成り立たせるベーシック)な進行方向を単的に表してみた。国会の与野党の質問や応答を見ていると,どの政党のどの議員も世界のベーシックなな認識を欠いた←をしっかり共有した上での意見の違いに見えて仕方ない。批判する野党も、答弁する与党も共に足の向きが←になっている。私が言いたいのは現在の産業経済の構造そのものがやがて必然的に成り立たなくなるはずなのに、現在の産業経済を受け入れそれを前提に論議している。富を得る方法が地球内で賄う自給自足からかけ離れ地球を掘り尽くし、焼き尽くす最も安易な今の産業経済の構造と発展の方向が、いつまでも持続し成り立つはずはない。既に、資源や地球環境に問題は顕在化してきているし、身近なところでも、「勝ち組負け組み」とか「格差」とか言っている以上に「共食い共倒れ」が蔓延している。しかし産業発展の向きを誰も問おうとはしない。土台となる矢印と言えども固定的ではないはず、少なくても現状を見れば、疑問ぐらいもっていいのではないだろうか?自分でも「偉そうに」と変な感じなのだが、これが私が今、親からもらった感覚で(普通だと)最も強く感じる事である。

文化・芸術の世界だって同じ。 

 

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