世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
メディアの社会的役割
我々がメディアの網の中にいると、昨日書いた。付け足したい。
地震や台風等の緊急災害時、メディアの情報は我々にとって命綱に等しい。
我々は得られる情報によって、命と暮らしを守っている。
しかし、目隠しされたまま、手を引かれているような事もまれではない。こうした中で、我々は周囲を感知し身を守り行動しなければならない。
タイタニックを思い出す。
乗客は船が氷山に向かっていることを誰も知らず、ご馳走を食べ、パーティーや音楽会で幸せな気分に浸っていた。舵を取っていた船長や機関士も(こんな大きな船だから)と船がゆれ、海の異変にも油断し、沈没するとは思わず、勇ましく目的地に向かっていただろう。
今の日本丸が同じように見える。特定の権力者やメディアが意識的に間違った方向に誘導しているとは思わない。多分それぞれが良かれと思って、前向きに、勇気をもって頑張っているだろう。だからこそタイタニックのような怖さを感じる。
今、日本丸の揺れや軋み(きしみ)は大きいのだから、一つ一つの兆候に注意深く目を配り状況を察知し、対処しなければならないはずである。
福田首相の所信表明演説で「時代(状況)は不透明で、環境や資源上も大量生産・大量消費の時代ではない。共生と自立が求められる。この変化に政治は舵を切らなければならない。」と述べた。のこのフレーズは正しくその通りだと私も思う。
ただ、全文を読み、国会の答弁を聞いていると、具体的な揺れに配慮し、処方しながら、既定の航路を(力強く)進みたいと聞こえる。
もし、本当に周囲や行き先の状況が違ってきていると言うなら、はっきり航路を変えなければならない。状況認識が本物かどうかは今後の実際の政治で問われる。
見ていると、与野党だけでなく、メディアもこの状況を心配しながらも、はっきりとは認識出来ないでいるようだ。
あまりにも氷山に向かうタイタニックに似ている。
内向きの論議をいくらしても始まらないのにやめようとしない。確かに目の前に、年金や格差の国内の問題や、インド洋での給油などの国際的な問題がある。この目の前の問題(船のゆれ)の向こうに見えるものを探れば、根源的で必然的な問題が見えてくるはずだし、その情報もなくはないだろう。しかし、内向きな論議の中からは明らかにならない。
福田首相の『舵を切る』のフレーズを痛み止めの絆創膏に使うことなく文字通り、舵をきってほしいと思う。
メディアは、緊急災害時、持っている情報が政府や国民の行動をも決定する現実を考え、今日の日本丸の先行きの情報をす早く的確に捕らえ、しっかりと伝達してほしいものだ。
それには、メディアが目の前の課題の背景になる情報を発見し獲得しようとする基本的な姿勢が求められる。(学校の教師が子供から学ぼうとする姿勢がなければ、本当の教育は始まらないのと同じ。その意味で田原総一郎の司会振りは、ジャーナリストとしての資質が疑問になる。相手の話をよく聞く真摯なジャーナリストにテレビではあまりお目にかかれない。周囲に異変を感じるとき、情報を発信する人たちは逆に、ジーと耳を澄まし目を凝らして情報を得る、慎重さが特に必要ではないないか。)
この姿勢そのものが、メディアの社会的役割だと思う。
世の風潮もこれとは反対のようだ。