進化と思考停止

昔、飯島○○と言う100メーターのオリンピック選手がいた、途中でプロ野球に転向し代走そのスペッシャリストをめざしたが、活躍できず2-3年後に廃業した。恐らく、この選手はただ走るのが速いのではなく、100メーターのスペシャリストでそっちの方の走法・技術や感覚のスペシャリストだったのだろう。野球の代走の技術や走法は全く違っていたのだ。世の中は分業化し専門化し細し分化されているので、個人のもつ知見や技術は特定ジャンル内で有効なものが多い。特定の技術も、それを一般化しマニュアル化する傾向がある。特に組織的に対応する時は、合理的な道具になることが多いからこれは一定の役割を果すが1度そのマニュアルが出来るとそれを維持し、変えようとせず思考が停止しやすくなる。人間の「同一性の保持」と言う心理的本能が作用し安心しようとする。言わば安住する。しかし人の内外の状況は一時として同一でとどまることはなく、常に変化し続けている。だから人が何かの知見や技術を獲得したときは、思考停止しやすい危険な状態といえる。だからといって全体が試行錯誤だけだと、集団的な行動は難しくなる。結論は(マニュアルなどの)【公式と試行錯誤】を併せ持つことが求められる。しかしこの公式も状況の変化に応じて変化するものであることを忘れてはならない。例えば 行動の公式 は、昔   行動=刺激×環境今   行動=目的×刺激×環境  と変化している。 どんな遊びも仕事も繰り返すばかりでは発展しないどころかついていけなくなる。個人的な位置づけが組織的・職業的・専門的な位置づけになる時、特に心しなければならないことだろう。「型を持ち、常に型をも破る」発想が進化させそれを怠ると、思考停止が発生し停滞し後退する。

国であれどんな組織も運動も個人も同様だろう。

時間でも何でもいいから何かはっきりした区切りを設定して

やってきた今までの型をリセットし、

全てを0(ゼロ)にして新しい型を考えたいと考えている。

必ずタイムラグ(時間的ずれ)があるはずだ。

(誰でも必ず迎える死)の準備だって例外ではない。

 

 

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