競や争いの陥りやすい所

(赤ちゃんが競争をしないように)人類は、もともとは競争する文化は持たず、共生・協力する文化を持っていたと言われている。どの時点からか競争を覚え文明文化を急速に発展させ、今日の競争社会になり行き詰まっている。
本来、競争は目的ではなく手段のはずだが、競争はヒトを麻薬のようにエスカレートさせ、理性的判断を奪い、コントロールできずに目的と手段の本末転倒まで起こす。 
オリンピックのメダル競争から,環境を壊し借金してまでする経済競争、学力の競争で勉強嫌いや学校嫌いの大量生産‥等々
 
 
戦争でしている自爆テロも手段と目的の転倒か?
 もしそうなら、自爆の目的が無い筈はなく、本当の目的(願い)を知りたい。
 どうしても願いの共有が出来ないなら、軍隊を増派しても解決する筈はない。
 オバマさんの判断かアメリカの歴史的な背景かは分らないが、増派の決定にも手段と目的を転倒を感じる。(民生支援の論拠も今一はっきりしない。)
どれだけ手を尽くしたのか(増派のオバマさんの演説はアフガンやパキスタンに窓口があるにも関わらず手を尽くしていないことを裏打ちしていなかったか。)実際、前大統領が≪ならず者≫と言った以外、自爆テロする人たちの願いをはっきり聞いたことがない。普通、ならず者は 命乞いしても自らの命を断つような事はしない。昔から、ならず者は 命根性が汚いとされている。
こんな事では子どもの喧嘩も諌められない。 
オバマさんには悪いが支持率の低下がせめてもの救い。
 
 
 
 
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何故、教育も経済も

昨日、(発達障害)の講演を聞きに行ってきた。
 講師は専門的な立場のお医者さんだった。講演はお人柄を表すような穏やかで楽しく世界的視野で全体的な状況を分りやすく話してくれ勉強にはなった。
 しかしここでも最後まで(自然)の観点からの話は聞けなかった。
 子どもが大変だと言うのに、何故自然との関係が語られないのか?
 今は教育関係の会合はどこへ行ってもその話≪視点≫は(私は)聞けない。
   午前中の政治討論会の経済の議論もも同様である。
 子どもの教育や経済と自然との関係はないのだろうか。
 誰が考えても子どもは生き物であり、経済の基本は自然を対象にした人間活動である事は分りきっているのに 何故?
 人間自身が自然であり、周囲の自然の中で存在し活動しているのに、なぜ
 それを抜きに教育や経済が語られ、対処するのか分らない。
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想像力②

 社会状況によって 個人の想像力は低下するが、同時に個人を束ねた社会の想像力をも低下させ、想像力低下の循環が起きても不思議ではない。
 実際に、そうなっていないだろうか。
 午前中、例によって3っつの局で政治討論会が行われた。中でもテレビ朝日のサンプロは、番組が【徹底討論】と幾度と気張るが、司会者も参加者全員の話が 漂流しているようだった。
 普天間と経済対策を話題にしていたが、守りの政府も責めの野党も、専門家も
 誰一人地球全体を脳裏において話している人は見当たらない。
 基地の問題なら世界の経済と切り離した当面の対米関係、経済なら成長戦略をと言いながら、財投や金融緩和など借金を前提にした需要拡大の話ばかりだった。
 とりわけ現政権を追求する前政権の大臣だった石原氏は需給のアンバランスが30兆円に及ぶ事を論拠にして需要拡大を迫り、挙句の果ては、大企業の供給を更に高めるべく要求する。
政府の代表は、デフレの認識による対応や、エコポイントや環境関連産業を振興(ビジネス化)でと応じる。
 地球環境や資源の枯渇など、ここでは全く念頭にない。
 世界は一昔前とは違い富国強兵はおろか、経済を抜きに軍事を語たり、資源や環境を抜きに経済を語っても意味のない状況に既になっていないか。
 資源の消費的な生産を前提にした話や、まして借金して消費を増やすなど経済の話をしているとは考えられない。
 出口に向かっての話しでなく、壁に向かってどうつき進むかの話ばかりしている。
「 徹底討論」と言う度に、氷山に向かって進む客船タイタニックの客室を連想してしまった。
    
    我々は目先の自分達の利益(快楽)を追って堂々と子供達につけを残す。
    我々の想像力の低下はそこまで至っていないか。

      小さい星にいるボケ老人は そう思い込んでいるようだ。
 
      「いやいや、変なことが見えやすくなってよかった」と胸をなでおろ       しながら  相変わらず戯言を繰り返している‥


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