奇妙な人の移動

各国は田舎から都市へ人は移動し、地球上は都市的な国から田舎の国へ人が移動している。
 人だけでなくものやお金も同じように動いている。
  要するに稼いでお金の儲かりそうなところへ動いているのだが、今都市的な国の田舎は地球上の僻地の中の僻地になるのかな? アフリカまで都市化したら、次はどこへ移動するのだだろう? その時は 戻るより他ない。
奇妙な人・物・お金の動きである。
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ノンフィクションではない

人類が地上に出てくる前から地球が内蔵していた地下の宝(資源)を
 24時間掘り起こし自分のものにして、カジノのような経済に明け暮れる人類。
 饗宴の派手さと影の悲劇は全体が盗賊団のようでもある。
 「やり過ぎた」かと各首領がコペンハーゲンに集まっては見たが、最強のドンが来ても示しが付かず、稼業の癖から足が洗えずコップの中の争いをやっていた。
 そんなマンガが ロンドンの博物館に展示されている。稼業が稼業なだけに
  話題作が沢山並んでいる。
(これはノンフィクションではありません。)
 
 
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COPの中の争い

COP15が(公正さ)をめぐって対立し困難を極めている。
ここでは人類の危機につながる地球の異常気象をめぐって(世界と自国)の関係やあり方が問われている。
 国や国境を超えたある意味で戦争や核より優先されるべき世界的地球的課題とも言える。
 何故話がまとまらないか?
 どの国も(自国)→(世界)の立場に立っている。課題は(世界)→(自国)の関係の問題である。
 内容的にも削減目標や援助資金で折り合いがつかないようだが、炭酸ガスの排出は産業の在り方から起きているのに、どの国も経済成長を国家の方針にしたままで経済成長(のあり方)が問題なのに、そこには触れない。
 表面的には公正さの問題に見えるが、もっと根は深いと思う。
 (世界あっての自国)の図で見ると そう見える。
 議論の結果はともかく、今後に繋がる世界的に良い経験だとは思う。
 もし、この会議で話がまとまるとしたら、世界→自国の認識に(特に先進国が)立った時ではないか。
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最善手

囲碁で最善手を見出すには碁盤をどれだけ広く見るかの大局観が大事だと言われる。
特に布石や中盤戦ではそれが求められる。
 碁盤は宇宙にも例えられる。
 宇宙や地球上の問題は囲碁と同じかもしれない。
 問題解決のための視座の狭さは先日の朝日新聞の社説だけではない。毎日流される国内のメディア情報、国会論戦から,オバマ大統領のアフガンへの3万増派演説、難儀しているCOP15 ,BSニュースで見る
世界の情報等、何れも立場や見解は異なっても、視座はほとんど先の社説と変わらない。
 問題を捉える背景が狭まく凝り固まっているようにすら見える。
 
子どもの教育問題も同じようだ。
 学力だ学力だと煽り立て、宿題やテストで追いまくった結果学力は落ち、体力低下が叫ばれて半世紀近くになり、
 毎年、全国体力テストを実施し、集会や休み時間まで取り上げ行間体操までさせながら体力が低下したと言う。
 当局やメディアはいつも今分ったかのように言うが、そんな言い方を何十年と繰り返してきた。
 それどころか、不登校や発達障害の問題はここ10年、顕著な変化が見られるのにその対応どころか実態すら明らかにされてはいない。ここでも背景をより拡げ深めようとする動きは殆ど見られない。
 
地球の異常気象も、経済も、教育も、勿論戦争や平和の問題も、
 今日のような視野狭窄で解決できる問題ではない。

囲碁ではないが、部分の意味は 見ている盤面の広さによって全く違う。
 19×19の碁盤ですらそうなのだから、地上の問題解決の最善手を見つける為、背景をどれだけ広くとり深めて見るかが、今我々皆に求められているように思う。

 

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