隠しにくい言葉の真実性

 

  日本政府は SDGsを若者に担ってもらえるよう努力すると明言したことを NHKニュースは伝えていた。

   先の グレタ・トェンベリさんの言葉に答えたとも言う。

  勿論 内山節さんの言う 「権力者の 扇動ゲーム」 グレタさんが付け加えた「見せかけ」 この二人の言葉により真実性を感じていた。

    公人やマスコミの伝える言葉に対する信頼感や真実性は 隠し難いかもしれない。

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真の教育

教育が社会に従うか人の幸福に従うかが問われている。

 経済の危機に教育を問う動きもあるが 原理を外している。

 身の安全も幸福も棚に上げ弱肉強食の経済競争に走るこの社会とそれに役立つ教育をどうして変えられないのだろう。

        人は幸福になるために教育が必要なのに そのことを世界もこの国も 忘れてしまっているようだ。

 「 教育とは何か」を世界の一人一人が 大人も子供も 考えなくてはいけないようだ。

   (地球の自然を無くして一人の人も世界もどの国も存在出来ない 経済危機どころではないことに気が付けば良いだけなんだ。)全くもう!昔の人は皆知っていたのに‥

   

   

 

    

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50年後に期待

 

   「今年は 世界の中心で輝いていた日本」日本の首相が一年を振り返っての一言である。

   果たして 日本の実態はどうだったか?

    首相の言葉と実態の乖離 どう輝いたか  情報と実態の関係を天下に晒した感すらした。

    社会は情報によって動く部分もあるが 本質的には事実関係で動き変化するから やがて輝きの意味も判明し 成るように成る。

    今日は不登校親の会  

      不登校は現行の旧体制が生んでいるウミのようなものだが 50年もすれば減少に転じるのではないか と期待している。

      気を長くしないと命が持たない。

 

     

    

     

 

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年賀の言葉

 

 

   大きな成りっ放しの柿の木に 小鳥が群がりさえずる

    人の子は 今 いずこ?

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