(会話)ってこんなだったっけ?

 自分自身、他人の話をよく聞くほうだとも、会話が上手とも思ったことは無い。 むしろ、自分勝手な性格で会話は下手なほうだと、思ってきた。
 ところが今色んな所で会話する場面に居合わせたとき、会話ってこんなに一方的な言葉のやり取りをしていたのかと、新しい発見でもしたかのような驚きを感じてる。
 元々はテレビの政治討論会で会話の異常さに気付いたのがきっかけだが、その目で見てみると、色んな会議や、勉強会、懇談会、お寺や碁会所、飲み屋での談笑に至るまで、全部が全部とは言わないが
 やっぱり、一方通行の言葉のやり取りが多く(私の今考えてる会話)Aの話し→Bの話し→AとBを俯瞰し位置づけた新しいC→C+A とらせん形に発展。 
Cを生み出すには、双方の想像力の拡大や、言葉や文法を合わせる作業は手抜きできない。

外から見ると話し合っているようだが中味的に繋がっていない。
 その目で、テレビをひねると、コマーシャルは当然だが、箱の中で盛り上がっているお笑いやワイドショウも、あらかじめ筋書きが準備されているからか一見その場の会話が盛り上がっているように見えるが、
 思いは視聴者ににあり、相互の会話が発展しているのとは違う。
 ひょっとすると、我々は、暫く会話を忘れているかもしれない。
 ひょっとすると、我々は思いの他会話が出来なくなっているかもしれない。
 (社会の崩壊)などと、他人事のようには言ってられない状況に既に身を置いている感じがする。
 自分だけの映し鏡ならいいけど‥
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1人間は、いったい何をしているのか」。

この言葉は、長崎市の伊藤一長前市長が撃たれて亡くなる前年の06年、最後に読んだ平和宣言の冒頭の言葉だと言う。
 核兵器に限らず世界の全体的な様相に、同じ地球に生きる仲間としてこの言葉を自問自答したい。
 (かくれんぼ)のように、いつかきっと(みーつけた)の声が聞こえるだろう。
 
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俯瞰して見ることの難しさ

囲碁でも、世界経済を見るときも正しく見ようとすれば俯瞰力が決定的に左右する。
 どうしても、自分サイドから見て失敗する事が多い。人間の本能カと思わせるほど自分を離れてみる事は難しい。
 昨日今日と教育懇談会で、子どもの事を語る親を見ていて、自分の立場を離れられずにいる自分をを思い出した。
 自分の子どもを見る俯瞰力は囲碁で言えば初心者に近いかもしれない。
 簡単には避けられない現実かもしれない。
 <愛は盲目)と言うが、これは恋愛だけでなく親子であろうと同じかもしれない。愛の大事さはそれとは別だろうが、その事は知っておいた方が、囲碁のように上手く行くかもしれない。
 
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安全保障

午前中、政治討論会をしていた。
 専守防衛・集団安保・武器禁輸などの見直し強化が中心の討論だったが、
 このようなテーマの話し合いで何時も賛成する人も反対する人も
 何ぜか安全保障=防衛 の図式の中でのみ論じる。
 現実社会と合わない2つのことが何時も論外になっている。
 1、国や国民の安全は戦争だけではない。 地球環境、経済、パンデミック
   食料は関係ないか?

 2、社会に生起する出来事は全体的な社会的条件とつながっている。
   まして戦争ともなれば、国の存否が問われるわけで、時代と共に武力絶対的条件ではなく部分的な条件になっている。 まして現在は経済や外交や国際関係、情報の比重は増すばかりである。
 それはこの50年間、軍事力が戦争を避け平和を維持する決め手になってこなかった世界の事実を見れば分る事。
  軍事力を全く持たなかった国が戦争をしたり、巻き込まれ、逆に軍事大国で戦争に関わらなかった国はどこかにあっただろうか?
 武力は戦争を起こす(避ける)1条件ではなかったろうか?
 全体を見た安全保障の論議が聞きたい。
まして、「憲法上」を理由に反対するのは、理由にならない。
 学校で子どもが、<何故廊下を走ってはいけないの?>と質問され、<学校の決まりだから>と先生が応えるようなもの。理由になっていない。
仮に言うなら(憲法に書かれた理由は知らないのですか?)と問い返す所までではないだろうか。
 どっちみちお粗末な議論である。
 
 
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(民主主義)の次の(時代)言葉は何だろう?

 人類がたどり着いた概念が(民主主義)と言えなくも無い。
 解釈や形は色々あっても、多くの国は(民主主義)を建前として
法律や制度はが作られ、この概念や価値観を否定してかかっている国は知らない。
 ある意味で歴史的な理想的な到達点で、現実の多くはそうはなっていない。目下は進行形だと言っていいのかもしれない。
 ところが、地球規模で見ると、地球環境はその人類の活動によって壊されている。
 自然と人間を対峙させたとき、民主(人間が中心)でいいのだろうか?
 憲法の自由は(公共の福祉に反しない限り)の制限がある。
 それでも、今日の地球破壊は進んでいる。
 民主主義を否定するものではないが、自然と地球を合わせた地球を視座にした、新しい概念や思想、新しい制度や体制が(ちょっとしたら既に)必要になっているのではないだろうか?
 それがどんな言葉かは分らないが、歴史は壁に当たっては言葉を生み出してきたのではないだろうか?何だって、これでおしまいという事は無い。
(老人の白昼夢かもしれないが‥)
 
 
 
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当たり前を疑おう

 選挙報道を見ていると、全く白ける。
戦後、何度選挙をしても自民党ばかりが勝ち政権を担った。民主主義の名による独裁のようで、(巨人・大鵬・卵焼き)も負ける。
 1980年代の経済の行き詰まりを政治主導の政治改革で乗り越えようとし小選挙区制を取り入れ、欧米に見られる政権交代のできる2大政党制に導いた。
 中でもメディアの世論操作で果たした役割は大きかった。
 現在は、(政権交代選挙)の声も聞かれるから、狙い通りだったと喜んでいるかもしれないが、現実は当時よりさらに混迷を深め危機的状況に陥っているのを見ると、政治的には失敗だったと言えるだろう。
 現状は、選挙や民主主義そのものが問われている。
 かつて、民意がこんなに簡単に操作されるとは考えていなかったからだ。
 現在は(操作された民意による選挙)(多数決)(2大政党)これらの社会発展を阻害していないか?
 以前書いた(自然の理)と(人間の理)で言えば、自然の理が上記のシステムの中から生まれるとは考え難い。
 結局、地球や人類的な危機を救う方策はこれまで無かったような壁にぶち当たらない限り現在のシステムの重しで、 表に出てこれないのではないだろうか?
 近頃の社会の状況や世の中の様子をを見ていると、理想や当たり前のことを猶予のあるうちに、今1度疑うか、少なくても見直さないと、損害は大きくなるだけだと思う。
 
社会は 政治力学で行き詰まっても、政治力学で抜け出す事は出来ないと思う。
 政治の根っこには文化の問題があるからで、文化的な気付きは少数(または個人)から生まれるものだ。
 
 
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報道しないのもニュース

アメリカ大統領が、原爆投下の責任を口にし、核軍縮を世界に呼びかけている時、
 今日行われる広島の慰霊記念式典をメディアは殆どんど取り上げず、
 テレビは式典そのものも1局以外放映しない。(  夕刊は1面トップで取り上げ、 テレビも思っていたよりは多く取り上げていた。嬉しい訂正)
新聞も政府の要人はおろか総選挙だと言うのに各党の態度も聞けない。その上、朝日新聞などは主筆の船橋洋一氏が1面コラムで、「何を選ぶ選挙なのか?」と自らの責任は棚上げにして引っ掛き回している。(こんなのは俯瞰しているとは言えない、自分の責任が抜けているのだから。)
日本の核武装論も現存する中での配慮だろうが、議論するなら真面目にやって、国の内外に曖昧な印象を与える、「唯一の被爆国として世界平和に核廃絶のイニシャチブ取る」ような事は言わない方がいい。国の重要な柱だから不誠実さが問われる。
 (補足)
  テレビはどのチャンネルも朝から晩まで、酒井紀子と裁判員制度(現実的には司法の崩壊と考えている。)全く、臨時ニュースのようにやっている。
 
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何故、情報をきちんと伝えなのか?

ある意味で現代人はお金で動いてる。
 日本の選挙は、全政党、言い方は違っていても経済政策を第1に取り上げているといって良い。
連日のテレビ・新聞のニュースも経済や経済的観点で報道しているものが多い。
  なのに、何故か 経済の報道は訳の分らないものが多い。
 バブルが弾けて以来景気の動向と関係なく何時も(デフレ)と言われデフレ克服が課題だと、政府もどのメディアも言ってきて、今も言っている。
 他国のインフレは耳にしても、日本デフレばかりが続くばかりでインフレはずーっと、耳にしない。こんな事があるのだろうか?
 この間、歴史的な金融緩和と膨大な国債の発行は続けられ、貨幣の価値は落ちないはずはない。
 100年に1度の世界的不景気の予測は無く、事後報道から「不景気」は始まった。しかも1年前までは世界の中で
 (日本の損害は軽微なり)と政府ももメディアも報道してきた。
ところが 現在は、竹中平蔵氏(元大臣)が言う様に、景気の指標である株価を取り上げ、
 「中国は2年前に、アメリカは5年前に、日本は17年前のレベルに戻った。」、と言うように日本の経済的打撃が著しい事は、国の内外でははっきりしていると言っていい。
 国民が経済の実態を把握する客観的なデーターが流されず、都合のよい状況判断や予測ばかりが横行する。
 一般国民も困るが、これではリードする企業や政治家やリーダー達自身も困るし、間違えるのではないか。実際、間違えていないか?
これが「人間の理」と言うものなんだろう。
 
 
 
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iいいニュース

今、最も良いニュースはオバマ大統領がプラハでの演説で、自国の(道義的責任)を述べ、核軍縮のの必要性を説いた事ではないだろうか。
 11月には日本を訪れるとの事だが、被爆地では(核兵器の無い世界)を願い、(最後の好機)と、足を運んでくれる事を願い運動をしているとのことだ。
 上手く事が運ぶと良い。
 リーダーは最も困難な所へ出かけ、直接見て全体をリードした方がいいだろう。
 大統領が直接中東やガーナを訪問したり、クリントン元大統領が北朝鮮へ行き、
 ヒラリー氏がアフリカ7カ国を訪問した。今後の展開は分らないが、
 期待を持たせてくれるいい動きではないだろうか?
 他にあまり良いニュースが伝えられないので、特別良く感じた。

 
 
 
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動きは接点

(人・物・お金) の動き方だが、心と自然の接点如何ではないだろうか?
 接点をどこにどう持つか? その辺は自然が接点を探らないから、社会も個人も人間が探らない限り、上手くいかない感じがする。 要するに動きは自然との接点如何。
 
特に、政治・経済・教育は、その辺を探っているようには見えない。
  
 
 
  
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