本気で(社会実験)と考えるなら

政治の世界で【社会実験や検証】の言葉が使われるようになって久しいいいが、特に現政権ではよく使われる。
 政治は全体的に(機能不全・崩れ・暴走)の印象だが、この言葉には以前から好感を持っている。どこか仮説を立てた理科実験のようなイメージになるからだ。
 
 ところで、先頃、オバマさんに普天間基地移設はオバマさんに検証してからと返答したが、それは尤もだと思う。
 しかし、本気でその技法を用いる考えがあるなら、基地そのもの、或いは国が軍事に掛ける負担そのものが人間の安全を脅かすもの全体の中で適切かどうかの検証をしてほしい。
 これまで、検証した話を立場の別なく聞いたことがない。
 【安全保障】は他の案件とは切り離して、特別席が与えられている観がある。
 
 専門的な知識がないからかもしれないが、常識的な疑問はたくさんある。
 過去10年間、日本で戦争でなくなった人はいないが、不慮の死を遂げたひとは80万は悠に超す。
 軍事力のバランスが国を守ったとするなら、せかいの軍事力の大小はまちまちだし、バランスは主観的な判断によるから、軍事拡大は際限ない事になる。
 立場や結論の如何を問わず是非検証作業をしてほしい。それと同時に、過去の政策も洗いざらい検証してほしいいと思う。そうしないとどこが政権を担おうと政治全体の崩れを自らの力で建て直すことは無理そう。
 
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世界に見えるもの

オバマさんのアジア行脚は世界の指導者 超大国アメリカ株式会社の営業担当のようだった。国内の雇用改善のため、どの国へ行っても内需を求め、所謂(2番底)すら心配してる事を率直に語っていた。
 世界の消費は超大国から僅かではあるがアジアを中心とした新興国へと移りつつある。
 アメリカの国内経済にとってもアジアの内需は切羽詰まった問題だ。
 しかし、このことは世界が貿易の自由化[輸出と輸入]を進めながら、他に輸入を求める国ばかりになった事をも意味してる。
 確かに自国の産物を外国に買ってもらわなければ国は繁栄しないが、他に消費を求める国ばかりで世界が成り立つはずはない。
 オバマさんのアジア行脚は、そんな矛盾した所まで世界が来ている事を見せてくれた。
 それにしても、経済の行き詰まりを営業に求め生産の在り様に求めないのでは
 基本的な解決にはならない。
 また、オバマさんだけではないが、温暖化対策や医療介護をビジネスチャンスだとする発想や論調が行き交っているが、動機が違うのではないか。
 世界のリーダーは(他には見当たらないが)もう少し丁寧で論理的矛盾を持っていない方がいい。
 今回の、オバマさんのアジア訪問で、迎えた指導者は東洋の伝統的な発想(自然重視)を語ってほしかった。世界の行き詰まりは人為優先・近代合理主義のあちらの土俵(西洋的発想)で話をしていたように思った。
 ちょっとした事でも世界のリーダーの世界への影響は大きいのに、せっかくの機会を逃した。準備が不十分だったのではないか? 普天間や温暖化、核廃絶もこれまでとは全く違う視点があってもいいはずだ。
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官僚よりたちが悪いメディア

長い事、官僚の上司 であって支持命令していた政治家は行政の失敗を実行部隊の官僚に背負わせてきた。メディアと一緒になって糾弾してきた。
 民主党は政治主導を看板にしているが、メディアは自分達が作った世論の名で、
これまで同様 政府に政策的な圧力をかけている。政治の主導者が分り難い。
今朝の朝日新聞の社説は
 《GDP4.8%成長 補正で民需の奮起促せ》と題したもの。
 GDPが国民生活に繋がらない事はいざなぎ以来の好景気で経験しているのに未だにそれを見出しの頭に持ってくる。GDPが重要な意味を持つヒトはごく一部のヒトであり、むしろその数字は多くのヒトに誤解を与え間違った行動を引き起こしたはずである。
 さらに、「補正で民需の奮起を」と政府のしりを叩いているが、ここで財政出動の追加は出口戦略とも相俟って世界的にも大いに議論のあるところのはずである。
 
まして膨大な財政赤字を抱え来年度の予算の財源に四苦八苦している時、
 この社説は景気対策・経済対策として有効なのか?
 景気対策としての道路やダムの公共事業とどう違い、有効性の根拠は何か?
 メディアの提案はあってもいいが、節度をわきまえて欲しいものだ。
官僚支配批判の太鼓持ちをしてきたメディアはいつのまにかある力をバックにしてメディア支配をやっている。メディア政治でメディアが批判され責任を取った話はきいた事がない。
 メディア主導で政治のシステムまで混乱している。
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国際間の目線

総選挙では(国民の目線で=国民の立場にたった目線の意味)を与野党が揃って使っていた。 
 先日オバマさんが来て記者会見や翌日のアジアへに向けての声明を話され、全体的に誠実さと庶民性を感じ好感を持ったが、時間がたつにつれて、アメリカやオバマさん個人からも上からの目線の印象が浮び上がってきた。よりましとは言え、彼自身日本や沖縄住民オ立場に立っていないことに気が付いていないようだ。
これまでの日米
はそれを感じさせないぐらいの上下の関係にあったのだろう。
 
この目線は日本だけでなく世界に対しても同じようだから、国際的な対立の解決は
 まだまだ手間取るに違いない。
 人間関係も国家の関係も相互の関係が一方的では基本的な解決は無理だと思う。
 この目線は歴史的な経過が作っただろうから、対等な目線になるにも歴史的な経過が必要と言う事か。
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知らぬ間に

「仏の沙汰も金次第」と言われぐらいだから、人々がお金を求めるのは自然だし、お金の外で生きる事はできない。
 ところで、現実のお金は、どうなっていてどう動いているだろうか?
 普通、働いてお金を稼いでお金を得る。貯まったら貯蓄して貯蓄したりする。
  貯蓄したお金に利息がついてお金は増えたりする。一方、働かなくても投資などお金がお金を生む。
  時には借りたお金で稼いだり、(空売り)のように実体経済が落ち込むことによってより稼ぐことも出来る。
 公的な金融緩和でおかねを印刷して増やし流れを変え、インフレになればデミノで貨幣価値を合法的に変え、国は赤字を軽くする事も出来る。
 
 要するに、実体が無くてもお金を増減させ移動させる事ができる。
 だから、人々は自覚のある無に関係なく実体のないマネーゲームの中に放り込まれ繋がり参加していることになる。
 
 現代の経済を(カジノ経済)と言われるのも あながち的外れとは言えない。
 
賭博は時代劇や、やくざ映画だけの世界ではなかったようだ。
 バブルからバブル、カジノからカジノへの綱渡り
 
ヒト はトンチンカンなミュージカル(MONEY RHPSODY)を挙行中‥
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平和と繁栄

 オバマさんの行く先々で、そしてどんな国際会議でも(平和と繁栄)を口にしないことはない。

平和と繁栄を願わない人はいないだろうし、願わない国のあることを想像すること自体、難しい。
 しかし現実は だんだん平和や繁栄の方向に進んでいるとも思えない。
 多くの人が立場を超えて、閉塞感を感じ行き先に不安を感じるのはそのためだろう。
 何故みんなが願っている方向に進まないのか?

人々が言い、我々が使っている(平和)と(繁栄)の言葉の具体的な内容がどうなのか、見直してみる必要はないだろうか?
   


我々は 本当に平和の準備をし繁栄の努力をしているのだろうか? 

 それにも増して、人間の安全をさて置いて武力紛争の準備をし、命を削って、子どもを減らして喰うか喰われるかの経済競争をしながら、繁栄を求めていないか?

平和も繁栄も言葉や思いや思惑で実現する事は無く、事実の関係で結果が出る。
  勘違いしているように見えてしかたない‥ 
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本当に「外交の基本は軍事」か?

例のサンプロで、日米首脳の会談を受け、普天間移転問題を中心に議論された。
安全保障に直接関わる 現政府の大臣と前政府の大臣、バックに専門家・識者?も数人参加して、何時ものように乱暴な議論が展開された。
その中で石破前防衛大臣は「外交の基本は軍事でしょ!」と言い切り、皆に問いかけたが、反論する人は誰一人居ないだけでなく同意したり頷く顔ばかりだった。
 これが、現在の日本の共通した立場場のようだった。
 「外国と付き合う時の基本が(軍事)にある」が共通した認識を公人がメディアを使い公に口にしたことに驚いた。
 これまでもそう言う認識を持っているかのような発言や行動は沢山見てきたが、あからさまに表に出したのを見たことが無かった。
 石破氏は世界の国々もそういう認識でいることを前提にした物言いだったが、
 (考えたくもないが)戦後日本が歩んできた道なら外国も同様である事は当然だと心底納得できた。
しかし、このことは 外交の基本が軍事なら、安全保障が軍事を指し、人間の安全の基本が軍事【武力】である事を意味している。
 人や政府がどう考えようと勝手だが、果たして現実の人間の安全の基本は軍事にあるだろうか?
 それは国であっても、個人であっても、外交であっても個人の人間関係であっても、【軍事】や【腕力】が安全の中心で基本だと言えるか?
 食料・水・空気・自然災害・環境・疫病等々基本の基本はどうした?

 基本の基本は人為を超えて人間の安全を脅かす。
考えが逆さまではないか。

あの(?)地球の ≪バカな≫と言えない現実に呆れ、そんな文化の中にいる自分の存在の意味を考えざるを得なかった。
                  2009・11・15 昼飯前  
            午後はミュージカルの追っかけに出かける。
 
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断ち切れない難しさ

 
子どもの頃の貧しかった戦後でも、将来に夢があり、今より幸せだった気がする。
 平和と豊かさを求めてやってきた教師生活を振り返り、満足感と同時に疑問も湧く。
平和と幸せを求めてやってきたつもりではいた。
 子どもたちを武力戦争には送らなかった。
 しかし、子供達を経済戦争に繋げるべく手綱の端を握ってはいなかったか?
 結局、同じような事を繰り返して来なかったか? 
 子どもや国民から離れた政治や経済教育を思いっきり批判し続けてきた自分自身は
 本当に無関係だったろうか?
 (飯を食い空気を吸わなければならないこともあるが)批判した文化の中にどっぷり漬かってこなかったか?
言い訳し、否定したくても否定のしようがない。 
  空気のような文化の中にあって文化やその中の自分の是非の分別は難しい。
  しかも、今だって断ち切れない。
つくずく、 己の批判の方が難しいと思う。
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地域産業

用事で市役所まで行って来た。
 通りのイチョウの並木の葉っぱはいつものようにダダ広いだけで透き通るような薄さで風になびかせていた。足元の太い木の幹から残したひげのように何本も突き出して似たような葉っぱをつけている。
 聞くところによると、枝を切り落とし過ぎてイチョウが炭酸同化作用をするために一生懸命葉を大きくしているらしい。
市役所の前の公園では【産業祭り】のテントが張られ、市役所にはかぼちゃ・大根・ねぎ・なしなど近くの畑で取れた農産物が並んだポスターがの廊下のあちこちに張られていた。小雨のせいもあってか外の【産業祭り】が侘しく見えた。
 祭りだから堂々と日野にある産業をアピールしたらいい。
 車・コンピューター・時計・カメラ・牛乳だってあるのに、地域には根付いていないからなのか。
 地域産業のまとまりは地域文化を育て、地域に共同体的な空気を作る。
 担当部署でバラバラに(自分の仕事)をするから、イチョウの切りすぎのようにへんてこな事になる。
 
 
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真空地帯

国会の議論も、子どもたちの教育も、暮らしも、メディアの情報も
ヒトが拠って立っている自然の事を忘れているかのようだ。
   産業は酸欠になっても放ったらかし。
 戦後<真空地帯>って言う映画があった。
 確かに、ヒトが集中する都市空間は  自然から切り離されて乾いている。
  こんな中に長い事いるから自然を忘れたのかもしれない。 
ヒトは 有明海の干上がったムツゴローに似ている。
 皮膚呼吸が難しいからパクパク口呼吸をしている。
 ≪ギロチン水門を下ろすのも人間なら、上げるのも人間、さー水門を上げよう!≫ムツゴロー ラプソディ より
 
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