世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
いじめや虐待の構造
いつの世も親は子に優しい。子供を育てるのだから。
社会が 子供に優しいとは限らない。子供を育てるより 金儲けで忙しい。
学校の社会的立場は 親の立場や心とは違ってる。
不登校13万5000に増えても 手を尽くさない 尽くせない現状が 立場の違いを物語る。
社会が子供の幸せを蝕み 親は取り込まれ 後押しさせられ 気が付いたら自ら虐待。
「知識人」の用い方
知と言えば すぐ「知識人」が思い浮かぶ。「専門家」や「学者」も似ているが
知の役割を果たすのは難しい立場にいないだろうか。
今多くの場で求められるのは「全体知」であって細分化された「分部知」ではない。
知識が専門化されてる現在 「知識人」は 最も「全体知」を把握し難い立場ではないか? 知識人の用い方が違ってる。
知が見えぬ
国の内外には 変化を理に求めるものと力に求めるものとの両者がある。
安易に力に頼る傾向が強いが 解決に至らず悪化させることが多い。
内外は行き詰まりは 山積した課題を抱えている現在 どちらに出口を求めるかが問われている。
何処へ行ったか 知が見えぬ。
ボーッと見ていると
子どもの頃好きだったやくざ映画では やくざがやられる時に拍手が沸き起こった。
時代が変わった現在 映画のような現実社会では やくざにやられるのを見て拍手が沸き起こる。
地球の円形劇場を見ていると ついそんなふうに見えてしまうが、よくよく見ると
勧善懲悪になっている。ボーッと見ていては分からない。
それでいいのだ!
完全無欠な人はいない。
天皇や皇太子の記者会見での話を聞いて やっぱいり「普通の人間「」だと思った。世界に対する知見は我々同様 ボタンを掛け違っている市民と変わらない。難民への思いも
生み出した背景に思いは至らない。返って ホッとした気分になり良かった。
極上の人生
神や仏は 自然を形象化したものだと思うが 信仰の多くは思考停止していないだろうか。
自然現象は争っているのではなく 循環し共生しているだけだと思う。
ぬれ落ち葉にでも枯れ落ち葉にでもなれば 天晴じゃ ましてこの世で おバカさんになれたら 極上!
理想を高く掲げて トランプさんや安部さんとおバカさんの背比べ」をしたら 惜しくも負けた 努力あるのみ。
彼らには筋金(筋からのマネー)が入っている。
国家間の作法
イギリスのEU[離脱 米中貿易戦争は 鍔迫り合いのようだが 長引くほど英や米に不利だろうと思う。
時の流れだろう。
どう収束するか 泥仕合にはならないだろう 国家間の鞘の納め方に関心がある。
近時代劇
イギリスのEU離脱 米中貿易戦争も結局は企業間の争い。
国家や市民から見るとスポンサーとスポンサー 言わば 後ろ盾と後ろ盾の争いになる。
世界経済の行き詰まりは スポンサーを表舞台に引き出し、世界の構図を見え易くした。
結局は 自然から離れ利に走る後ろ盾同士の内輪の喧嘩、長引けば長引くほど理が動き出す。
それも一つの道かもしらねぇが とにもかくにも 後ろ盾を笠に ぬくぬくしている連中が つながる つながる・・・
トランプや晋ゾー ドジの爺さんまでもが
つくずく思う
思い出してみると 高校を卒業するまで ほとんど好きで勉強をしたことがない。
今は 死ぬまで勉強したいと思ってる。
違いは 当時は やらないと困るから好きなことを犠牲にして勉強していたが 今は好きな勉強をして好きでないことはやらないだけ。
好きなことをやりたいのは昔も今も変わらない。 子どもの頃から好きな勉強をさせてくれていたら このドジも今より賢く
人のためになっていると思う。発達や教育のことも今より分かっていると思う。やり残しを急いで今やっている。
今の教育は 本当に自然や人のためになってるだろうか? 高学歴社会は人を幸せにしているだろうか?
私は今の子供には余計成りたくない。
« 前ページ | 次ページ » |