市場経済と世界経済への自覚

 

     世界経済への関わり方は国それぞれだが 市場経済である世界経済の一体化は止めようがないことを各国は自覚しているだろうか?

 

     世界経済の一体化に対して 東西陣営の争いが整合されて機能しているとは考え難い。

     世界経済に対する自覚が 国家の経済を左右する時代だろう。脱工業経済としての金融経済が支配的な国家(アメリカ  日本 イギリス)は その矛盾が大きくなる。

     

    

       

   

       

    

  

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やっと沿えたかもしれない

 

  軸足を教育に置き 世界を見ながら台所に立ち 家に客を呼ぶ。 考えられる最高の一日を送らせてもらってる。

   父や母の希望にやっと沿えたかもしれない。生まれてきて本当に良かった 有難いことだ。   

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歴史は希望

 

  経済学者ジョセフ氏(ノーベル賞受賞者)の資本主義の

行き詰まりには同感だが 原因や対策の見解は全く違っていた。

 名声高い彼も 自然と人の関係を対峙せずに論を展開している。 

 長い道のりが想像されるが 希望へ繋がる歴史的な動きが見え出した。 

 

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人の子も色々

 

   世界のてんやわんやぶりと同時に 大将たちが皆 ならず者に見えてくる。

  ならず者でも 可愛さがあると良いんだけど  思い浮かばない。

  どの国もどうしてこんな大将ばかりを選ぶんだろう? 

   他の生物には見られない 面白い現象だ。 特に鼻声で美しい言葉遣いの紳士風な恰好をする同党のならず者も 好みではないが人の子、 大事にしなきゃ。

 

   

 

    

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人は探索的な生き物

  

 近所の同郷の親しい人から「天理」を聞いた。

 日本神道 仏教 キリスト教 回教 など全ての宗教や宗派を宇宙的世界観で包含していているようで好感が持てた。

    宗教と科学の関係はどうなっているんだろう?

 そこを はっきりとは聞けなったが 宇宙や大自然を基に理や法を考えると矛盾してはならない と思う。

 人間がする科学を包も包含するのが本当の宗教ではないか。

 科学が永遠の問いかけなら 宗教的真理も永遠の探索ではないか と思う。

  人は何かを探さなくなったら ある意味でお終いだ。

   探す人に魅力を感じるのはそのせいかもしれない。

 

  

 

 

  

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ホラ話し

世界はズーと西高東低の気圧配置だったが 気候変動か? 最近は風向きが変わってきた。

 各種の国際会議は 風力・風向計・のようで興味ある。

 今回の中・韓・日の会談も世界の気圧配置の変化を意識したものだった。

  仮想敵国の中国や大嫌いな韓国と どうして仲良くやらないといけない?と思う日本人は多いのではないか。これまでの情報が一面的・断片的で全体的な図が描き難いから、必然性が見え難い。。首相が言う世界の中心で輝きリードするには 条件が整っておらず 大将のホラ話にしかならない。

 

  

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事実と言葉

 

   子どもの褒め方に「大きくなったね」と言うのがある。

  Aさんは背丈を見て

  Bさんは 太り具合を見て

  Cさんは 動きを見て

  Dさんは 一年前を思い出して

    4者の「大きくなったね」の言葉の内容は 違っている。

   事実より言葉を優先させると 事実や現状がどんどん遠のき 話者と聞き手の描いてるものが違ったものになって来る 商業優先 キャッチフレーズ優先の風潮の社会では 特に気を付けないと 今日のように容易い取り返せなくなっては 後の祭り。

   

  

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本音のささやき

 

日本の先々の安全がこれだけ損なわれているのに 自覚なくオリンピックだなんだと言って 年中お祭りのような空騒ぎをしているのは 外国から「日本病」の声が聞こえて来る。

  公やマスコミは 仕方ないとして 市井の庶民までもが異口同音で罷り通ている。

  本音はどうなっているんだろう?本音のささやきが聞きたい。

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空洞化した議論と論調

 

  宗教が科学的思考を停止させないか?の問いかけは昔からある。

   日本の宗教人口は 人口の数倍との指摘もあるから 仮に宗教が思考停止を促すとしたら

 日本人の思考力は劣ることになる。

 思考停止は宗教だけでなくイズムや信念にも通ずるところがあるかもしれない。

 要するに事物の事実関係を優先し追求する姿勢が大事なのだが それを感じさせない事実より観念を優先させる風潮のようだ。 反戦も軍国主義も科学的な論証を放棄したら単なる観念論に過ぎない。日本の主張の賛否の論調にはそれを感じることが多い。

  空洞化した議論は言葉遊びに通ずる。争いの具にした議論の陥るところ。

   科学的センスをかぎ分ける感覚が必要か。

 

 

   

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科学は永遠

科学が大事な時代である。

  科学至上主義のように言われても絶対的な科学的真理は存在しない。

あくまでも相対的な真理である。

 モグラ叩きのような科学ではなく より広い範囲で通用する科学が必要で 科学的真理は 永遠の目標。それが自然と人の関係であって 人類が全てを解明する日は来ない。

 だから希望や夢は果てなく永遠に続く だから良いのだ!

   社会科学が名ばかりになってるのは 人の自覚の問題。

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