長谷寺の参道から少し入ったところにあり、
西国観音霊場の開基者といわれる、
が、余生を過ごした、
番外の法起院。
病で仮死状態になった上人が、
夢の中に現れた閻魔大王から
「世に苦しみ悩む人々を救うため、
三十三か所の観音霊場をつくり、参拝を広めよ」と言われ、
起請文と33の宝印を授かり、
仮死状態から復活したのだそう。
上人は畿内に33の霊場を設け、巡礼を広めようとした。
それが、718年(養老2年奈良時代)。
しかし、人々に受け入れてもらえず、宝印を中山寺の石窟に納めて、
機が熟するのを待ったのだそう。
その宝印を約270年後に見つけ出したのが花山法皇西国番外 元慶寺。
名 称 法起院(番外)
山 号 豊山
宗 派 真言宗豊山派
本 尊 徳道上人像
創 年 735年(天平7年奈良時代)
開 基 徳道上人
御詠歌 極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮の へだてやはある
所在地 奈良県桜井市初瀬
巡礼日 H29(2017)6.16
境内に珍しい木があって、後日紹介・・・・・・・お楽しみに!