8月19日
8月23日
8月26日
伸びすぎちゃってるので、
食べちゃいました。
種の成熟度がまちまちなので
の成長もまちまちのよう。
食べ始めは、スイカの味?
娘は、「せんわぁ」と言ってました。
鰹節としょう油で、
チョッと苦かったですが、食べれんほどじゃない。
野菜の種、捨てずにとっとこ。・・・・と思った。
お金が欲しかったのかな・・・・・
助成金詐欺で訴えられてる。
減る一方で、収益、がた落ちしてるらしい・・・・・
利用者さんあっての仕事だもんなぁ
営業に行かねば・・・・・
津山林業センターの花壇にあった変わった南瓜
東北に行く前の夜に
8月19日
野菜ジュースのパックをカットして容器にし、
キッチンペーパーを敷いて、
その上にの種を蒔いて、
水をひたひたに入れて、
台所の流しの下に置いといた。
東北から帰って
取り出して見ると、芽が出てた。
光が当たらないので、もやしになると気づき
窓際に置き換え、
昨日、仕事から帰って、のぞいて見たら、
8月23日
が出揃ったら、
つまんで食べてみよ。
の味がするかな
それにしても、発芽まで4日ぐらい。
早いな~!
ボランティアの内容は
仮設住宅を回って、
コスモスとマリーゴールドの花の苗を、
被災者の方と一緒に鉢に植え替えたり、
自分達が植え替えた鉢を
仮設住宅の玄関先にお届けしたりすること。
チームによっては避難されていた公民館の清掃。
活動を開始した当初は、
朝早くから仮設住宅を回り、被災者の参加を募って・・・・
「これって、意味あるのかな」
「こちらの自己満足じゃないのかな」と悩んだ。
最初に訪問した、津山林業センターの仮設住宅
高齢の方が、
「これは、ただのひまわりじゃねぇんだよ」と
案内してくれた。
おそらく、阪神・淡路大震災のとき亡くなったはるかちゃんの
「はるかのひまわり」だと思う。
今、被災地はこの阪神・淡路大震災の復興のシンボル
「はるかのひまわり」の種が 広がっている。
私達も、鉢植えだけじゃなく、
急遽、この仮設住宅の一角を耕し
コスモスとマリーゴールド、しその苗を直植えして、
花壇を作った。
花が咲いたとき、皆さんの笑顔がほころぶように。
その後、同じ津山町の他の仮設住宅を2箇所、
南三陸町の歌津の仮設住宅を1箇所回った。
最後の歌津の仮設住宅には、小さい公園があり、
ベンチもあって、被災者の方と話をすることができた。
被災当時は食用油を買うにも7時間並んだ。
今月にやっと、水道が通った。
仕事もない。
もらえる物は何でもありがたい。
これから寒くなるけど、冬物どうしよう。
不便しているのは自分1人じゃないから
我慢しなければと話されていた。
住まれている辺り、お店がなく
食料品などは巡回販売で調達されているよう。
また、定期的にベイサイドアリーナで
物資の支給があるそう。
物が満ちたり、好きなものを選べる時代に、
「もらえる物は何でもありがたい」というこの言葉に、
少しショックを受けた。
最初、花の苗を届けることに
意味があるのかなと悩んだけど、
笑顔や、辛い思いを吐露してくれる姿を見て、
このボランティアに参加してよかったと思った。
「僕せか」で若い力はすごいなと思ったけど、
今回も企画、準備、現場での指示・進行は
中部大学の学生さん。
貴重な経験をさせていただきました。
これを機会に、
被災地の支援活動を続けられたらいいなと思っています。
学生さんはじめ、
現地で私たちや荷物を運んでくださった方々、
この中にはお身内を亡くされた方もおられたよう、
本当にありがとうございました
がれきの上は駅
TVや新聞で被災地の様子は情報として入ってくるけど、
実際、目の当たりにし、ただ、驚愕するばかり。
見渡す限り荒れ野原。
がれきやへしゃげた車が転がり、
こんな所まで船が流されてきたんだと驚かされた。
倒壊した建物、原形はとどめているものの住めない家が
ぽつぽつと残り、
それはそれは悲惨な状況です。
復興には相当な時間がかかるだろうな・・・・と思った。