喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

平岡仁展

2015-01-24 | 手作り及び市販の雑貨

酒器と食器と日本酒が好きな
岡山の田舎者さんで、
http://blog.goo.ne.jp/toubi1956/e/0f18b75019badea9a4cc45df68dd4872

紹介されてた、



を見てきた。







お父様も陶芸家で、
備前で修行され、生まれ育った和歌山で
親子で作陶に励まれているようです。

いやはや、器を見ると欲しくなる。
おまけに学校が岡山という事もあって
備前焼には愛着がある。
山口県出身なので、萩焼にも。
しかし、情けないことに、いづれも持っていない



火襷のあるお猪口。
備前焼は窯変が面白い。





目的はお猪口だったけど
家に帰って、このお猪口に合うお銚子も買えばよかった・・・・と。

そして、



この片口の器と目が合って。

最近は、使ってこそ器だと、
さっそく、使う。



盛りすぎたかな

器を買うと、この器には何盛ろうと、
想像するのが楽しい。

ちなみに今日の夕食は他に、



オータムポエム(食べた時の歯ごたえと甘い風味が
アスパラガスとよく似ている事からアスパラ菜とも言うらしい)の、



ベーコン巻き(ベーコン、
昨日で消費期限ぎれだった)と、



さざえ(山口県産)がお値打ちだったので、酒蒸しに。
あと、玉葱とえのき、わかめの味噌汁。

料理下手で、レパートリーも少ないけど、
器に助けられる。



コメント (2)
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京茶ラスク

2015-01-23 | 食べ物・飲み物

先日、大阪へ行った時、駅のホームで見つけ、
買って帰った。
娘が持って帰り、私の口には入らず仕舞い。

美味しかったと言うので、早速、取り寄せた。









裏は
裏も付いてるといいな・・・・・。

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難しい問題だなぁ

2015-01-22 | 徒然日記

「人命第一」
「テロに屈しない」

人命第一で身代金を払えば、
テロに屈したことになるし・・・・・・
身代金を払わなければ、人命が失われるし・・・・・

元シリア大使で、中東地域に約10年勤務した国枝昌樹氏は、
「日本政府は、テロには屈しないという基本姿勢を貫くでしょう。
犯行グループによる不法な要求に対しては、従来どおり
〈ノー・コンセッション(譲歩しない)の原則〉に従って毅然と対処する。

しかし、人命の救出にはあらゆるチャンネルをつかって
最大限の努力をするということです。
わたしたちは、今政府の交渉を全面的に信頼し支援して、
同時に努めて冷静に推移を見守るべきです。
それが政府の交渉力を高め、イスラム国に対する抑止力になります。
イスラム国は、日本の報道をつねにウオッチしています。
フィーバーした国民的反応は、
アピールが目的の彼らを利することになりかねません。
この卑劣な事件が無事解決してから、
さまざまな論点を明らかにしていくべきなのです」と。

 

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6才のボクが、大人になるまで。

2015-01-18 | 映画・コンサート・ミュージカル・演劇等



まさに題名通りの内容の映画だけど、
同じ主要キャストで12年間撮りし続けた映画。
メイソン役のエラー・コルトレーン自身が
約3時間の上映時間の中で、
6才から18才に、実際に成長していく。
撮影方法において、これまでにない映画。

NYタイムズに
「21世紀に公開された作品の中でも並外れた傑作の1本」
と評された、映画史に残るマスターピースだそう。

最後の台詞がよかったけど、忘れた
「瞬間、瞬間」は「その時、その時」。
パンフレットに
“すべての瞬間に、「大切」が宿ってる”

「その時、その時」を大切にしろ、ってことかな・・・・・

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最先端の城と町

2015-01-18 | 小牧市

先日の中日新聞の朝刊に、



私が住んでいる小牧市に現在ある
小牧山城(日常的には小牧城と言っている)は、

名古屋市の実業家が寄贈したもの。

織田信長が1563年から67年まで居城していて、
従来の定説では、美濃攻めの砦で、
本格的な城ではなく、城下もなかったと。

しかし、その後の発掘調査(現在も進行中)で、全国的に見ても、
当時最先端の城と町だったことがわかってきたのだそう。

城下には直線道路や基幹排水路を建設し、
効率的に町家を配置していて、
のちの近世城下町にも受け継がれた
計画的な都市設計だったそう。

信長は小牧山城ですでに
天下を見据えて動き始めていた。
だから小牧山城は尾張の城から突き抜け、
信長の思いを私たちに伝える城になった。

小牧山城の歴史的意義は、
もっと評価されていいと、
この記事を書かれた千田先生は言われている。

毎日、小牧城を見て出勤しているけど、
小牧の誇りだな。

子どもが小さい頃、登ったきり。
結構ハードだった。
桜の頃、お花見がてら、久しぶりに登ってみるか。

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