おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

吉田所長を悼むけど…

2013年07月11日 | Weblog

 

午前8時の気温はプラス18度。霧が立ち込めております。

どうやらきょうは暑くなる気配でござる。

きのうは、久々に涼しい一日でござった。夏風邪も残っておって、日中は夫婦してあんまり体調がよろしくないことに。

それでも夜はスンバの日ってことで、なんとかこの夏風邪を吹き飛ばそうとムリヤリ出かけましたです。

とにもかくにも体を動かしたのですが、ガチガチでさっぱり動かないわ、リズムにも乗れないわ、と散々だったのです。

それでも終盤には汗が全身からしたたり落ちてきて、なんだかずぶ濡れ状態。

そしたら、風邪の方もスッキリしてきたのです。

家に戻ってからは、シャワーを浴びて、免疫力を高めるという明治のR-1ヨーグルトを食べ、葛根湯を飲んで、酒も呑まずに就寝。

今朝は久々に夏風邪から抜け出た気配でござる。

ついでながらこの2ヶ月あまり、毎朝「体重の記録」を続けておるのですが、ようやく体重が60キロを切る日が何度か出てきましたです。

喫煙していたころは、58キロがこの30年ほどで一番重い体重でしたが、禁煙してからは最大62.5キロまで増えておったのです。

でもって、血圧が140なんかになって、ハタと気がついて、減量に取り組んでおります。

ようは、炭水化物を減らしておるのです。大好きなご飯、必ずご飯の朝食ですが、ふたりで1合炊くご飯を0.8合ほどにしております。

そしてご承知のように、血糖値を上げないためにまずは野菜サラダを食べてしまう生活をこの2カ月余り続けておったわけ。

2キロ減らすって、大変なことです。なんとかこの調子で、年内にあと2キロの減量をする所存なのじゃ。

大好きなご飯減らすのはしんどいけど、ガンバゥ~

さて、

福島第一原発の事故当時の所長だった吉田昌郎さんが、きのう亡くなったそうな。

享年58歳は若すぎます。事故当時の相当なストレスが、食道がんにつながったことは想像に難くないのです。

社長自ら「東電らしからぬ人柄」と申しておりました。

そんな方だからこそ、事故があの程度で済んだともいえるのでしょう。

そんな吉田さんですけど、以前は福島第一原発の津波対策の部長でもあったとか。

大津波の可能性は指摘されておったけど、東電はこれを無視したわけで、吉田さんに責任がなかったとは申せません。

また、過日も書きましたけど、リーダーとしては極めてニッポン的な方でした。

過日の当ブログ「日本型リーダーはなぜ敗れるのか」でも書きましたけど、吉田さんは長期戦を闘う体制ではありませんでした。

以下、過日のブログ再掲載します。

 

アメリカのサイト支援部長のチャールズ・カストナーさんという方が会ったとき、カストナーは吉田さんに「作業員たちはちゃんと寝てますか」と聞いたそうな。

 アメリカ人は長期戦を念頭に置いて、危機に対処しようと考えている。

 一方吉田さんはというと、「被災者が、寒いなか食うや食わずで、雑魚寝を強いられている。それを思うとき、現場の待遇を良くすることはできない」と。

 また、吉田所長の最終戦闘プランは「特攻隊による玉砕」だったというから、アメリカがニッポンに対して危惧したのは、実はそこではなかったかとしておる。

 作業員の健康を考え長期戦で臨もうというアメリカ、場合によっては玉砕する覚悟の吉田所長。

 まさに先の大戦の再現でござる。

…と書きました。

そして、フクシマ第一原発ではいまもヤバいことになっておる。

どうやら高濃度汚染水は、海に拡散しておるのです。

3日には港湾で採取した海水から2300ベクレルのトリチュウムが検出されたそうな。

福島にいまだ終わりは、見えませぬ。再稼動なんかしている場合かねぇ、、、