午前6時の気温はマイナス6度。
雪も降っておりません。
こう毎日穏やかな日が続くと、このまま春になるんじゃないかと期待もするわけですが、たぶん、そうはイカキン。
過日も書きましたけど、少雪の今シーズンとはいえ、たいていの場合、それなりに帳尻があうことになっておる。
「雪はまだこれからじゃんじゃん降るに違いない!!」という、覚悟だけはしておかないといけません。
人間、「最悪を想定」しておくと、ほぼ怖いものはない。
ときに楽観的になることも必要ですけど、「備えあれば憂いなし」なのでござる。
そんなきょうは、
阪神淡路大震災から22年だそうな。
早いもんです、もう22年だ。
とはいえ、当時生まれた子どもはすでに成人し、大学をそろそろ卒業するというのが22年という歳月でござる。
阪神大震災の実態はテレビニュースでしか知りませんが、高速道路が傾き、あちこちから火災が起きた空撮映像はショッキングでござった。
その後の東日本大震災の空撮映像はもっと衝撃的だった。
避難する車やバスが、次々津波に呑み込まれるライブ中継に息を呑みました。
NHKヘリの中継カメラは水に呑み込まれるバスや乗用車を、アップなどせず通り過ごしておるのが、あまりに印象的でしたわ。
話は阪神淡路に戻りますが、大震災が起きるまで、関西の人たちは「大きな震災など関西では起きまへん」と思っておった感がある。
ある方から関西にお住いの方の話を聞いたことがあるのですが、この方は芦屋のおカネ持ち。
自宅地下にワインセラーを設置し、高価なワインをごっそり貯め込んでおった。
それもこれも、「関西は地震がない」と信じておったため。
だけど、その高価なワインは震災でほぼすべてオジャンになったそうですわ。
これ以降、この方の人生観は一変したそうです。
美味しいものはトットと食べて、いいワインも即座に呑むことにしたのだとか。
高価なワインを「いつの日にか呑もう」と後生大事にとっておいても、一瞬の大地震でアジャパー。
高級ワインを眺めて、眺めてひとり悦にいっても、あっという間にオジャンになるのが地震国ニッポンなのでござる。
そんなことで、ウキペディアで戦後に起きたニッポンの大地震を見てみましたです。
昭和27年の「十勝沖地震」では死者行方不明33人。
昭和35年には地球の裏側チリで起きたチリ地震による津波で、国内では142人が死亡しておる
これはおぢもまだ子どもでしたが、地球の裏側で起きた地震で日本に大きな被害があったことはちゃんと記憶にある。
そして、昭和43年に再び十勝沖地震、これは死者52人だそうですわ。
その後は中部日本海地震(昭和58年)で104人、北海道南西沖地震(平成5年)で230人が死亡・行方不明。
阪神淡路大震災(平成7年)では6400人あまりが死亡・行方不明だ。
そして東日本大震災(平成23年)が2万2000人の死者・行方不明ですわ。
おぢが記憶にあるのはこの程度ですけど、実際にニッポンで起きた地震はこれより一桁も二桁も多い。
ニッポン国は地震大国で、この先は南海トラフに首都直下などなど巨大地震が予想されておる。
そんな不安定な土地に計57基の原発がある。
もう一度、福島の悲劇が繰り返される可能性は大いにあるのだと申しておきましょう。