午前6時です。
曇り空のお天気で気温はプラス15度。
きょうは、曇り昼過ぎから時々晴れのお天気。
お休みしていた薪割りも再開だ。
壊れたシリンダートップが過日届き、真狩村のTさんに修理していただいたのだ。
写真のエンジン上部は交換した新品なのだ。
そんなこんなのきょうは、ちょっと長文なので、お暇な方はヨロピクです。
太平洋戦争で約4000人が亡くなった、特攻という戦術について「データで見る太平洋戦争」(毎日新聞社刊)から読み解きます。
神風(しんぷう)特別攻撃隊は、昭和19年10月25日の海軍最後の艦隊決戦となったフィリピン・レイテ沖海戦で初めて投入されたそうです。
旧防衛庁の「戦史叢書」によると、「比島特攻作戦」では海軍436機、陸軍243機が出撃した。
命中率は約27%だったという。
その後、命中率はどんどん低下し沖縄戦では7.9%にまで下がった。
理由は3つ。
1.パイロットの技量の低下
2.特攻機材の性能低下
3.米軍の対策の向上
パイロットの技量は、
昭和20年3月時点でABCD4つのランクのうち、3か月未満の教程しか受講していないDランクのパイロットが44.3%だったという。
ようするに3か月も訓練していない未熟なパイロットが4割以上を占めたのだ。
特攻機の機材はというと、
疾風、ゼロ戦に一式陸上攻撃機などだったが、どんどん機材がなくなり、練習機の白菊も投入された。
白菊は時速225キロで、主翼は木製、そもそもスピードが遅く、そこに250キロ爆弾を積んだそうだから、のろのろ飛行して撃墜された。
一式陸上攻撃機、通称「一式陸攻」は、特攻専用の「桜花」を機体下の爆弾庫に積み込んだ。
この飛行機は防弾性能が低く、火を噴きやすいことから米軍は「ワンショットライター」と揶揄したそう。
桜花とともに多くが撃墜されたという。
その桜花の米軍のコードネームは「BAKA」だったそうで、あまりに悲しい。
米軍の対策はというと、
最新レーダーによる早期警戒網を敷き、機動部隊は輪陣形を組み対空砲火で対抗。
実際、特攻機は正規空母はもちろん、戦艦や巡洋艦も沈めることができなかった。
撃沈したのは「ウイークリー空母」「ジープ空母」と呼ばれた正規空母の半分の大きさの量産空母だったとか。
反骨のパイロットもいた。
陸軍の佐々木友次伍長は、特攻に出撃したが生還した。
陸軍は戦死と発表し、参謀はこれ以降「特攻しろ」と佐々木伍長を非難し続けたそうだ。
だけど、上層部を批判し、通常攻撃を繰り返して、佐々木伍長は戦後も生き抜いたという。
パイロットとしての誇りでしょう。
生き抜くのも辛かったろうけど、こういうお方に歴史のスポットを当ててほしいとも思った、終戦記念日翌朝のおぢでした。