おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

特攻の「命中率わずか11%」、何度も生還し、戦後も生き抜いた反骨のパイロットもいた

2021年08月16日 | Weblog

午前6時です。

曇り空のお天気で気温はプラス15度。

きょうは、曇り昼過ぎから時々晴れのお天気。

お休みしていた薪割りも再開だ。

壊れたシリンダートップが過日届き、真狩村のTさんに修理していただいたのだ。

写真のエンジン上部は交換した新品なのだ。

そんなこんなのきょうは、ちょっと長文なので、お暇な方はヨロピクです。

太平洋戦争で約4000人が亡くなった、特攻という戦術について「データで見る太平洋戦争」(毎日新聞社刊)から読み解きます。

神風(しんぷう)特別攻撃隊は、昭和19年10月25日の海軍最後の艦隊決戦となったフィリピン・レイテ沖海戦で初めて投入されたそうです。

旧防衛庁の「戦史叢書」によると、「比島特攻作戦」では海軍436機、陸軍243機が出撃した。

命中率は約27%だったという。

その後、命中率はどんどん低下し沖縄戦では7.9%にまで下がった。

理由は3つ。

1.パイロットの技量の低下

2.特攻機材の性能低下

3.米軍の対策の向上

パイロットの技量は、

昭和20年3月時点でABCD4つのランクのうち、3か月未満の教程しか受講していないDランクのパイロットが44.3%だったという。

ようするに3か月も訓練していない未熟なパイロットが4割以上を占めたのだ。

特攻機の機材はというと、

疾風、ゼロ戦に一式陸上攻撃機などだったが、どんどん機材がなくなり、練習機の白菊も投入された。

白菊は時速225キロで、主翼は木製、そもそもスピードが遅く、そこに250キロ爆弾を積んだそうだから、のろのろ飛行して撃墜された。

一式陸上攻撃機、通称「一式陸攻」は、特攻専用の「桜花」を機体下の爆弾庫に積み込んだ。

この飛行機は防弾性能が低く、火を噴きやすいことから米軍は「ワンショットライター」と揶揄したそう。

桜花とともに多くが撃墜されたという。

その桜花の米軍のコードネームは「BAKA」だったそうで、あまりに悲しい。

米軍の対策はというと、

最新レーダーによる早期警戒網を敷き、機動部隊は輪陣形を組み対空砲火で対抗。

実際、特攻機は正規空母はもちろん、戦艦や巡洋艦も沈めることができなかった。

撃沈したのは「ウイークリー空母」「ジープ空母」と呼ばれた正規空母の半分の大きさの量産空母だったとか。

反骨のパイロットもいた。

陸軍の佐々木友次伍長は、特攻に出撃したが生還した。

陸軍は戦死と発表し、参謀はこれ以降「特攻しろ」と佐々木伍長を非難し続けたそうだ。

だけど、上層部を批判し、通常攻撃を繰り返して、佐々木伍長は戦後も生き抜いたという。

パイロットとしての誇りでしょう。

生き抜くのも辛かったろうけど、こういうお方に歴史のスポットを当ててほしいとも思った、終戦記念日翌朝のおぢでした。