昨日は変な手紙のことがあって、あまりよい酔心地ではなかった。しかもルコが一緒だったせいもある。ルコは自分のことをルコと呼ばれることをわたしに強制する一ノ瀬瑠璃子だ。彼女はこの地区で大きな施設の居宅介護支援事業所でケアマネジャーをやっている。昨日は彼女も同席しての酒だった。
今日はこれから病院で飛田さんの退院にともなうカンファレンスだ。
午前中は外来があって加藤も忙しいらしく、カンファレンスは午後となっていた。事前に資料を渡してあるので確認だけですむだろう。
参加するのは退院後にお世話になる以前から関わっていた診療所の看護師さん、それと飛田さんの自宅に訪問して看護を行う事業所の看護師さん、ケアマネの私と家族が加わり、病院からは加藤ともう一人、加藤の上司という一村という女性が参加する予定になっている。ちょっと早いかと思ったが病院の受付に行くと既に看護師さんがきていた。一緒になって待っていると、しばらくして加藤が呼びに来た。
前のときとは違ってきょうは3階へ向かう。入った部屋は会議室として使われているようで10人が座れる円卓があり、壁には人物が描かれた絵がかかっていた。
部屋にはすでに飛田さんの奥様がいた。遠方のためか娘さんは来ていない。となりに見知らぬ女性がいたが、この人が加藤の上司かと思っていたら、やはり市村ですと紹介された。
食事や排泄の問題については事前に資料を配布してあったのでカンファレンスは退院後の療養、とくにマヒ回復をどうするかの一点である。在宅の看護師に確認するために病院側から飛田さんの状態があらためて説明された。それにたして看護師からは特に質問はなく、診療所での外来リハと訪問看護で行うリハとの調整と情報伝達の方法が確認された。要はそれぞれが相手に直接、その日に行なった施術内容と結果そして様子を伝えあうことにし、同時に私にも伝えてもらうようにした。私から訪問介護やトイレの改修状況などを伝えることにして、全員の了解を得た。
まずはこれで飛田さんも家族も安心するだろうと思っていたが、飛田さんから
「なにかあったらこの病院に入院できますか」といわれ、
市村は「なにかあれば連絡を下さい。入院できるようにします」と言い、診療所の看護師も
「何かあったときはこちらかも病院に連絡します、そのときは市村さんでいいですか」
「窓口は加藤でいいでしょう」と市村が答えたので、私は
「加藤さんが不在のときは市村さんでいいですね」と念を押した。
「それで結構です」ということで飛田さんも安心したようで、その日のカンファレンスは終わった。
市村さんとは初対面だったので、名刺の交換をしつつ、この病院でのMSWの仕事を聞いてみると、最近のMSWの仕事は退院調整が主な仕事になっているように、やはりこの病院でも加藤をはじめ数名いるMSWの仕事のほとんどが患者の退院を支援することになっているという。退院を支援する、という言葉を聞くたびに病院の都合なのかぁという疑問がつきまとう。病状で入院している日数を15日とか16日とかに区切るのは全体の平均値でいいはずだが、こうした数字を掲げると、その数値が基準となってしまい、知らず知らずのうちに患者に押し付けるように作用する。MSWにとっては、その業務を見据えて患者に対する支援という立場から、この退院調整支援を考えて欲しい。そんなことを市村さんにぶつけると、彼女も同じように考えているようで、「退院調整支援がほとんどになってしまってますが、ほんとうはそれをするためにはネットワークがないとできないんですよね」「それは地域活動って、捉えているですが、制約があってなかなかできないんです。そんな時に金子さんのようなケアマネジャーが持ってくる情報がとても役に立っているです」
と持ち上げられた。こんなふうに言ってもらって気分が悪かろうハズがない。もしかしてこの市村という女性は人をうまく使っているのかと思う。
市村さんの一言で気分がよくなったおかげかどうか、事務所に帰って早速その日の内容をまとめ病院と診療所、訪問看護ステーション、もちろん飛田さんにも送って、退院を待つばかりとなった。
今日はこれから病院で飛田さんの退院にともなうカンファレンスだ。
午前中は外来があって加藤も忙しいらしく、カンファレンスは午後となっていた。事前に資料を渡してあるので確認だけですむだろう。
参加するのは退院後にお世話になる以前から関わっていた診療所の看護師さん、それと飛田さんの自宅に訪問して看護を行う事業所の看護師さん、ケアマネの私と家族が加わり、病院からは加藤ともう一人、加藤の上司という一村という女性が参加する予定になっている。ちょっと早いかと思ったが病院の受付に行くと既に看護師さんがきていた。一緒になって待っていると、しばらくして加藤が呼びに来た。
前のときとは違ってきょうは3階へ向かう。入った部屋は会議室として使われているようで10人が座れる円卓があり、壁には人物が描かれた絵がかかっていた。
部屋にはすでに飛田さんの奥様がいた。遠方のためか娘さんは来ていない。となりに見知らぬ女性がいたが、この人が加藤の上司かと思っていたら、やはり市村ですと紹介された。
食事や排泄の問題については事前に資料を配布してあったのでカンファレンスは退院後の療養、とくにマヒ回復をどうするかの一点である。在宅の看護師に確認するために病院側から飛田さんの状態があらためて説明された。それにたして看護師からは特に質問はなく、診療所での外来リハと訪問看護で行うリハとの調整と情報伝達の方法が確認された。要はそれぞれが相手に直接、その日に行なった施術内容と結果そして様子を伝えあうことにし、同時に私にも伝えてもらうようにした。私から訪問介護やトイレの改修状況などを伝えることにして、全員の了解を得た。
まずはこれで飛田さんも家族も安心するだろうと思っていたが、飛田さんから
「なにかあったらこの病院に入院できますか」といわれ、
市村は「なにかあれば連絡を下さい。入院できるようにします」と言い、診療所の看護師も
「何かあったときはこちらかも病院に連絡します、そのときは市村さんでいいですか」
「窓口は加藤でいいでしょう」と市村が答えたので、私は
「加藤さんが不在のときは市村さんでいいですね」と念を押した。
「それで結構です」ということで飛田さんも安心したようで、その日のカンファレンスは終わった。
市村さんとは初対面だったので、名刺の交換をしつつ、この病院でのMSWの仕事を聞いてみると、最近のMSWの仕事は退院調整が主な仕事になっているように、やはりこの病院でも加藤をはじめ数名いるMSWの仕事のほとんどが患者の退院を支援することになっているという。退院を支援する、という言葉を聞くたびに病院の都合なのかぁという疑問がつきまとう。病状で入院している日数を15日とか16日とかに区切るのは全体の平均値でいいはずだが、こうした数字を掲げると、その数値が基準となってしまい、知らず知らずのうちに患者に押し付けるように作用する。MSWにとっては、その業務を見据えて患者に対する支援という立場から、この退院調整支援を考えて欲しい。そんなことを市村さんにぶつけると、彼女も同じように考えているようで、「退院調整支援がほとんどになってしまってますが、ほんとうはそれをするためにはネットワークがないとできないんですよね」「それは地域活動って、捉えているですが、制約があってなかなかできないんです。そんな時に金子さんのようなケアマネジャーが持ってくる情報がとても役に立っているです」
と持ち上げられた。こんなふうに言ってもらって気分が悪かろうハズがない。もしかしてこの市村という女性は人をうまく使っているのかと思う。
市村さんの一言で気分がよくなったおかげかどうか、事務所に帰って早速その日の内容をまとめ病院と診療所、訪問看護ステーション、もちろん飛田さんにも送って、退院を待つばかりとなった。