浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

私と同じ疑問をもった!

2020-04-23 20:28:15 | 政治
五輪予定通りと…専門家会議「連休に警戒緩んだ」の違和感
 
 ほらっ、 COVID-19の流行の原因は、行政ではなく、国民の「自粛」が足りなかったと言うのだ。「専門家会議」は、行政の責任を追及することはしないのだ。よくないことが起こったら、それは国民が悪いのだ、という論理。
 1945年8月に終わった戦争、なぜ負けたのか、国民の努力が足りなかったせいだ、だから「1億総懺悔」しよう、というあの論理。
 「3月の連休の頃」、政府も自分ファーストの都知事も、オリンピック開催を叫んでいたではないか。

 残念ながら3月の連休の頃、私たちの警戒がなんとなく緩んでしまい、都道府県をまたいだ人の流れにより感染が地方に拡大してしまった」

 3月20~22日の3連休の結果が、今の感染拡大につながっているということだが、「残念ながら」「なんとなく」というのはちょっと違和感がある。

 まるで国民の自覚が足りなかったかのような言い方だが、思い返せば、3月24日に東京五輪の延期が決定するまでは、政府も東京都も外出自粛の要請が控えめだったじゃないか。安倍首相は3月14日の記者会見で「我が国は一定程度持ちこたえている」「卒業式もぜひ実施を」と発言していた。

「今夏の東京五輪は予定通り」と言い続け、国民の警戒を緩めたのは、政府や東京都のせいじゃないのか。
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NHKスペシャルとモーニングショー

2020-04-23 20:15:19 | コロナ
 私はテレビを見ないので、モーニングショーはネットで見ている。しかしNHKスペシャルは見ることが出来ないから、私自身は比較出来ない。だが以下のように比較して論じている人がいる。

『Nスペ』より『モーニングショー』が信頼できる?岡田晴恵教授と玉川徹が国の専門家会議に注文した件

 「専門家会議」がPCR検査を積極的に実施することにたいへん消極的であり続けてきたこと、それはNスペにおける押谷教授の発言でも明らかだ。だがこれは厚労省の医系技官と同じ考えだ。官僚は、自分たちの意見に同調する人を「専門家」として各種の諮問会議に任命していく。 COVID-19の「専門家会議」も、そうした人びとである。
 
 NHKはそうした人びとの意見を垂れ流す。しかし、ほとんどのメディアはそうする。モーニングショーだけが、きちんと調べて意見を言い、疑問を疑問として提起する。本来ジャーナリズムとはそういうものだ。

 日本にはジャーナリズムが育たない。だが、少しだけ生きている。
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東京都の感染者数

2020-04-23 19:59:23 | コロナ
 昨日書いたけれども、慶応大学病院が院内感染しないように、 COVID-19関連でない患者に対してPCR検査をしたら(本来、どこの病院もこういうことをしないと院内感染を引き起こすのである)、約6㌫が感染していたという数字を発表した。この6㌫は、自らが感染していたことを知らなかった無症状の人びとである。

 この6%の数字について、岩田健太郎医師が見解を示している。

慶応のPCR6%の意味
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内田樹さんのインタビュー

2020-04-23 11:25:29 | コロナ
コロナ後の世界

■「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点
―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。

内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。
 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制に成功しました。逆に、アメリカはトランプ大統領が秋の大統領選での再選という自己都合を優先させて、感染当初は「まったく問題ない」と言い張って初動に大きく後れを取り、感染が広がり出してからは有権者受けを狙った政策を連発しました。科学的で巨視的な対策を採れなかった。
 この差は、コロナ禍が終息した後の「アメリカの相対的な国威の低下」と「中国の相対的な国威の向上」として帰結すると予測されます。パンデミックを契機に、国際社会における米中のプレゼンスが逆転する。
 中国は新型コロナウイルスの発生源になり、初期段階では情報隠蔽や責任回避など、非民主的体制の脆さを露呈しましたが、党中央が仕切るようになってからは、強権的な手法で一気に感染拡大を抑え込んだ。それだけではなくて、中国は他国の支援に乗り出した。中国はマスクや検査キットや人工呼吸器や防護服などの医療資源の生産拠点です。どの国も喉から手が出るほど欲しがっているものを国内で潤沢に生産できる。このアドバンテージを利用して、習近平は医療支援する側に回った。
 イタリアは3月初旬に医療崩壊の危機に瀕しました。支援を要請しましたがEUの他のメンバーは反応してくれなかった。中国だけが支援を申し出た。人工呼吸器、マスク、防護服を送りました。これでイタリア国民の対中国評価は一気に上がった。知り合いのイタリア人も「いま頼りになるのは中国だけだ」と言っていました。
 もちろん中国も国益優先です。でも、トランプは秋の大統領選までのことしか考えていないけれど、習近平はこれから5年先10年先の地政学的地位を見越して行動している。短期的には「持ち出し」でも、長期的にはこの出費は回収できると見越して支援に動いた。この視野の広さの差がはっきりした。コロナ禍への対応を通じて、中国は国際社会を支える能力も意志もあることを明示し、アメリカは国際社会のリーダーシップを事実上放棄した。コロナ禍との戦いはこれから後も場合によっては1年以上続くかも知れませんが、アメリカがどこかで軌道修正をしないと、これ以後の国際協力体制は中国が指導することになりかねない。

―― 今回、中国の成功と米国の失敗が明らかになった。それが「コロナ以後」の政治体制にもつながってくるわけですね。

内田 そうです。今後、コロナ禍が終息して、危機を総括する段階になったところで、「米中の明暗を分けたのは政治システムの違いではないか」という議論が出て来るはずです。
 米中の政治システムを比較してみると、まず中国は一党独裁で、血みどろの権力闘争に勝ち残った人間がトップになる。実力主義の競争ですから、無能な人間がトップになることはまずない。それに対してアメリカの有権者は必ずしも有能な統治者を求めていない。アレクシス・ド・トクヴィルが洞察した通り、アメリカの有権者は自分たちと知性・徳性において同程度の人間に親近感を覚える。だからトランプのような愚鈍で徳性に欠けた人間が大統領に選ばれるリスクがある。トクヴィルの訪米の時のアメリカ大統領はアンドリュー・ジャクソンでインディアンの虐殺以外に見るべき功績のない凡庸な軍人でしたが、アメリカの有権者は彼を二度大統領に選びました。さいわいなことに、これが中国だったら致命的なことになりますが、アメリカは連邦制と三権分立がしっかり機能しているので、どれほど愚鈍な大統領でも、統治機構に致命的な傷を与えることはできない。
 少なくとも現時点では、アメリカン・デモクラシーよりも、中国的独裁制の方が成功しているように見える。欧州や日本でも、コロナに懲りて、「民主制を制限すべきだ」と言い出す人が必ず出てきます。
 中国はすでに顔認証システムなど網羅的な国民監視システムを開発して、これをアフリカやシンガポールや中南米の独裁国家に輸出しています。国民を監視・管理するシステムにおいて、中国はすでに世界一です。そういう抑圧的な統治機構に親近感を感じる人は自民党にもいますから、彼らは遠からず「中国に学べ」と言い始めるでしょう。

■なぜ安倍政権には危機管理能力がなかったのか
―― そのような大勢のなかで日本の状況はどう見るべきですか。

内田 日本はパンデミックの対応にははっきり失敗したと言ってよいと思います。それがどれくらいの規模の失敗であるかは、最終的な感染者・死者数が確定するまでは言えませんが、やり方を間違えていなければ、死者数ははるかに少なく済んだということになるはずです。
 東アジアでは、ほぼ同時に、中国、台湾、韓国、日本の4か国がコロナ問題に取り組みました。中国はほぼ感染を抑え込みました。台湾と韓国は初動の動きが鮮やかで、すでにピークアウトしました。その中で、日本だけが、感染が広まる前の段階で中国韓国やヨーロッパの情報が入っているというアドバンテージがありながら、検査体制も治療体制も整備しないで、無為のうちに二カ月を空費した。準備の時間的余裕がありながら、それをまったく活用しないまま感染拡大を迎えてしまった。

―― なぜ日本は失敗したのですか。

内田 為政者が無能だったということに尽きます。それは総理会見を見れば一目瞭然です。これだけ危機的状況にあるなかで、安倍首相は官僚の書いた作文を読み上げることしかできない。自分の言葉で、現状を説明し、方針を語り、国民に協力を求めるということができない。
 ドイツのメルケル首相やイギリスのボリス・ジョンソン首相やニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事はまことに説得力のあるメッセージを発信しました。それには比すべくもない。
 安倍首相は国会質疑でも、記者会見でも、問いに誠実に回答するということをこれまでしないで来ました。平気で嘘をつき、話をごまかし、平気で食言してきた。一言をこれほど軽んじた政治家を私はこれまで見たことがありません。国難的な状況では決して舵取りを委ねてはならない政治家に私たちは舵取りを委ねてしまった。それがどれほど日本に大きなダメージを与えることになっても、それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。
 感染症対策として、やるべきことは一つしかありません。他国の成功例を模倣し、失敗例を回避する、これだけです。日本は感染拡大までタイムラグがありましたから、中国や台湾、韓国の前例に学ぶ時間的余裕はあったんです。しかし、政府はそれをしなかった。

 一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。最悪の事態に備えてしまうと最悪の事態を招待するかも知れないから、何もしないことによって最悪の事態の到来を防ごうとしたのです。これは日本人に固有な民族誌的奇習です。気持ちはわからないでもありませんが、そういう呪術的な思考をする人間が近代国家の危機管理に当るべきではない。
 先行する成功事例を学ばなかったもう一つの理由は安倍政権が「イデオロギー政権」だからです。政策の適否よりもイデオロギーへの忠誠心の方を優先させた。だから、たとえ有効であることがわかっていても、中国や韓国や台湾の成功例は模倣したくない。野党も次々と対案を出していますが、それも採用しない。それは成功事例や対案の「内容」とは関係がないのです。「誰」が出した案であるかが問題なのです。ふだん敵視し、見下しているものたちのやることは絶対に模倣しない。国民の生命よりも自分のイデオロギーの無謬性方が優先するのです。こんな馬鹿げた理由で感染拡大を座視した国は世界のどこにもありません。
 安倍政権においては、主観的願望が客観的情勢判断を代行する。「そうであって欲しい」という祈願が自動的に「そうである」という事実として物質化する。安倍首相個人においては、それは日常的な現実なんだと思います。森友・加計・桜を見る会と、どの事案でも、首相が「そんなものはない」と宣告した公文書はいつのまにか消滅するし、首相が「知らない」と誓言したことについては関係者全員が記憶を失う。たぶんその全能感に慣れ切ってしまったのでしょう、「感染は拡大しない。すぐに終息する」と自分が言いさえすれば、それがそのまま現実になると半ば信じてしまった。

 リスクヘッジというのは「丁と半の両方の目に張る」ということです。両方に張るわけですから、片方は外れる。リスクヘッジでは、「準備したけれど、使わなかった資源」が必ず無駄になります。「準備したが使用しなかった資源」のことを経済学では「スラック(余裕、遊び)」と呼びます。スラックのあるシステムは危機耐性が強い。スラックのないシステムは弱い。
 東京五輪については「予定通りに開催される準備」と「五輪が中止されるほどのパンデミックに備えた防疫対策の準備」の二つを同時並行的に行うというのが常識的なリスクヘッジです。五輪準備と防疫体制のいずれかが「スラック」になる。でも、どちらに転んでも対応できた。
 しかし、安倍政権は「五輪開催」の一点張りに賭けた。それを誰も止めなかった。それは今の日本の政治家や官僚の中にリスクヘッジというアイディアを理解している人間がほとんどいないということです。久しく費用対効果だとか「ジャストインタイム」だとか「在庫ゼロ」だとかいうことばかり言ってきたせいで、「危機に備えるためには、スラックが要る」ということの意味がもう理解できなくなった。
 感染症の場合、専門的な医療器具や病床は、パンデミックが起きないときにはほとんど使い道がありません。だから、「医療資源の効率的な活用」とか「病床稼働率の向上」とかいうことを医療の最優先課題だと思っている政治家や役人は感染症用の医療準備を無駄だと思って、カットします。そして、何年かに一度パンデミックが起きて、ばたばた人が死ぬのを見て、「どうして備えがないんだ?」とびっくりする。

■コロナ危機で中産階級が没落する
―― 日本が失敗したからこそ、独裁化の流れが生まれてくる。どういうことですか。

内田 日本はコロナ対応に失敗しましたが、これはもう起きてしまったことなので、取り返しがつかない。われわれに出来るのは、これからその失敗をどう総括し、どこを補正するかということです。本来なら「愚かな為政者を選んだせいで失敗した。これからはもっと賢い為政者を選びましょう」という簡単な話です。でも、そうはゆかない。
 コロナ終息後、自民党は「憲法のせいで必要な施策が実行できなかった」と総括すると思います。必ずそうします。「コロナ対応に失敗したのは、国民の基本的人権に配慮し過ぎたせいだ」と言って、自分たちの失敗の責任を憲法の瑕疵に転嫁しようとする。右派論壇からは、改憲して非常事態条項を新設せよとか、教育制度を変えて滅私奉公の愛国精神を涵養せよとか言い出す連中が湧いて出て来るでしょう。
 コロナ後には「すべて憲法のせい」「民主制は非効率だ」という言説が必ず湧き出てきます。これとどう立ち向かうか、それがコロナ後の最優先課題だと思います。心あるメディアは今こそ民主主義を守り、言論の自由を守るための論陣を張るべきだと思います。そうしないと、『月刊日本』なんかすぐに発禁ですよ。

―― 安倍政権はコロナ対策だけでなく、国民生活を守る経済政策にも失敗しています。

内田 コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。民主主義の土台になるのは「分厚い中産階級」です。しかし、新自由主義的な経済政策によって、世界的に階級の二極化が進み、中産階級がどんどん痩せ細って、貧困化している。
 コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。ささやかながら自立した資本家であった市民たちが、労働以外に売るものを持たない無産階級に没落する。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです。食い止めようと思うならば、政策的に中産階級を保護するしかありません。
 野党はどこも「厚みのある中産階級を形成して、民主主義を守る」という政治課題については共通しているはずです。ですから、次の選挙では、「中産階級の再興と民主主義」をめざすのか「階層の二極化と独裁」をめざすのか、その選択の選挙だということを可視化する必要があると思います。

―― 中産階級が没落して民主主義が形骸化してしまったら、日本の政治はどういうものになるのですか。

内田 階層の二極化が進行すれば、さらに後進国化すると思います。ネポティズム(縁故主義)がはびこり、わずかな国富を少数の支配階層が排他的に独占するという、これまで開発独裁国や、後進国でしか見られなかったような政体になるだろうと思います。森友問題、加計問題、桜を見る会などの露骨なネポティズム事例を見ると、これは安倍政権の本質だと思います。独裁者とその一族が権力と国富を独占し、そのおこぼれに与ろうとする人々がそのまわりに群がる。そういう近代以前への退行が日本ではすでに始まっている。

■民主主義を遂行する「大人」であれ!
―― 今後、日本でも強権的な国家への誘惑が強まるかもしれませんが、それは亡国への道だという事実を肝に銘じなければならない。

内田 確かに短期的なスパンで見れば、中国のような独裁国家のほうが効率的に運営されているように見えます。民主主義は合意形成に時間がかかるし、作業効率が悪い。でも、長期的には民主的な国家のほうがよいものなんです。
 それは、民主主義は、市民の相当数が「成熟した市民」、つまり「大人」でなければ機能しないシステムだからです。少なくとも市民の7%くらいが「大人」でないと、民主主義的システムは回らない。一定数の「大人」がいないと動かないという民主主義の脆弱性が裏から見ると民主主義の遂行的な強みなんです。民主主義は市民たちに成熟を促します。王政や貴族政はそうではありません。少数の為政者が賢ければ、残りの国民はどれほど愚鈍でも未熟でも構わない。国民が全員「子ども」でも、独裁者ひとりが賢者であれば、国は適切に統治できる。むしろ独裁制では集団成員が「子ども」である方がうまく機能する。だから、独裁制は成員たちの市民的成熟を求めない。「何も考えないでいい」と甘やかす。その結果、自分でものを考える力のない、使い物にならない国民ばかりになって、国力が衰微、国運が尽きる。その点、民主主義は国民に対して「注文が多い」システムなんです。でも、そのおかげで復元力の強い、創造的な政体ができる。
 民主主義が生き延びるために、やることは簡単と言えば簡単なんです。システムとしてはもう出来上がっているんですから。後は「大人」の頭数を増やすことだけです。やることはそれだけです。

―― カミュは有名な小説『ペスト』のなかで、最終的に「ペストを他人に移さない紳士」の存在に希望を見出しています。ここに、いま私たちが何をなすべきかのヒントがあると思います。

内田 『ペスト』では、猛威を振るうペストに対して、市民たち有志が保健隊を組織します。これはナチズムに抵抗したレジスタンスの比喩とされています。いま私たちは新型コロナウイルスという「ペスト」に対抗しながら、同時に独裁化という「ペスト」にも対抗しなければならない。その意味で、『ペスト』は現在日本の危機的状況を寓話的に描いたものとして読むこともできます。
 『ペスト』の中で最も印象的な登場人物の一人は、下級役人のグランです。昼間は役所で働いて、夜は趣味で小説を書いている人物ですが、保健隊を結成したときにまっさきに志願する。役所仕事と執筆活動の合間に献身的に保健隊の活動を引き受け、ペストが終息すると、またなにごともなかったように元の平凡な生活に戻る。おそらくグランは、カミュが実際のレジスタンス活動のなかで出会った勇敢な人々の記憶を素材に造形された人物だと思います。特に英雄的なことをしようと思ったわけではなく、市民の当然の義務として、ひとつ間違えば命を落とすかもしれない危険な仕事に就いた。まるで、電車で老人に席を譲るようなカジュアルさで、レジスタンスの活動に参加した。それがカミュにとっての理想的な市民としての「紳士」だったんだろうと思います。
「紳士」にヒロイズムは要りません。過剰に意気込んだり、使命感に緊張したりすると、気長に戦い続けることができませんから。日常生活を穏やかに過ごしながらでなければ、持続した戦いを続けることはできない。
「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。私はそう思います。

(2020-04-22 11:14)
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【本】静岡新聞社編『浜岡原発の選択』(静岡新聞社)

2020-04-23 10:57:32 | 
 今年の4月は寒い。2階にある自室でこれを書いているが、電気ストーブをつけている。 COVID-19の流行もあり、心も寒い。

 昨日図書館に本を返しに行ったのだが、休館になっていた。一昨日までは開館していたのだが、5月6日迄休館ということのようだ。仕方がない。

 本書は、今は稼動していない浜岡原発に関する本である。今、本の出版計画が進んでいて、ある人の書いた浜岡原発の原稿を点検するために原発関連の本を読んでいる。本書はその一冊である。

 静岡新聞紙上に掲載された「浜岡原発の選択」という連載記事をまとめたものである。東日本大震災の前に連載されたものだが、この本の出版は震災後である。

 連載記事だから、体系的ではない。字数がかなり限定された記事であるから(おそらく写真なども入っていただろう)、それぞれの記事は短く、深く掘り下げたものではなく、表面的な動きをまとめたものである。体系的なつくりにもなっていない。したがって、買って読むほどのものではない。

 浜岡原発は5号機まであるが、東日本大震災前に、1,2号機を廃炉にして、6号機を建設するという計画を中部電力はもっていた。本書はそれに関する記事である。6号機の建設については地元でも疑問を抱く人が多かったようだ。原発は一度つくると、次々と増えていく。一つには新たな立地をみつけることが難しいということであり、もう一つは一度原発をつくってしまうと、財政的に原発依存になってしまい、原発関連のカネがはいってこないとどうにもならなくなる、という事情がある。政府や電力会社は、札束を見せて、札束で頬を撫でながら原発を建設する。浜岡でも同じことが行われた。だから5つも建設させてしまったのである。
 6号機の建設についても、政府や中電は、今自治体が反対していても、いずれは合意すると高をくくっているのだろう。それほど自治体や人びとはカネに弱い。

 6号機の建設にまつわる地元や県、中電の動き、原発をめぐる外国の状況などを取材してまとめたものであるが、知識として頭に入ってくるようなインパクトはない。

 浜岡原発、東日本大震災以降、当時の管内閣が停止を要請してから稼動していないが、おそらく今後も稼動することはないだろう。ただ、ここにはたくさんの放射性廃棄物がたくさんあり、いつでも稼動できるような準備も続けられているようだ。
 しかし稼動はしない、という情報を、私は得ている。


 
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厚労省・医系技官、責任逃れを開始

2020-04-23 09:37:28 | 政治
 厚労省の医系技官たちが「推進」してきた「PCR圧力」。できるだけPCR検査をさせない方針を、全国の保健所などに押し付けてきた。

 しかし外国では、広汎にPCR検査をしてきた韓国などでは終息の兆しが見えてきたことにより、その方針が「はずれ」であったことが明々白々となってきた。

 そこで医系技官たちは、責任を問われないように逃亡できる「言い訳」をはじめた。医系技官と密な連絡をとっている「専門家」の尾身氏は、昨日、「入院や施設隔離やpcrの実行は、地域医療を担う都道府県の仕事で、国は、大まかなガイドラインを示すだけだ」と語ったようだ。

 PCR検査を受けるまでの手続き、どういう症状になったら検査を受けることができるのかなどの基準をつくったのは誰?

 言うまでもなく、厚労省の医系技官たちである。彼らの逃亡を許してはならない。


 
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「あの三連休」?

2020-04-23 08:55:55 | 政治
 昨日の「専門家」会議のあとの記者会見で、五月連休でも Stay Homeをお願いします、ということが言われていた。その際、「あの三連休」に油断してしまったから、東京など大都市との関連から地方に感染者を生み出した、という反省を示していた。

 それはどうしても、政治の責任だ、ということを指摘しなければならない。責任は、私たちが政治判断するときには、必ず考えなければならないことだ。

 「あの三連休」は、安倍政権も、「自分ファースト」の都知事も、オリンピックを開催すると叫んでいたのだ。彼らがオリンピックの「延期」を言い出したのは、連休の後のことだった。

 そういう経緯をきちんと記憶しておくことが大切である。

 昨日、「専門家」会議、保健所の強化を言っていたそうだ。政府・自治体が、今まで、「行政改革」という名目で、保健所をどんどん減らしてきたこと、その責任が問われる。
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COVID-19 は恐ろしいウィルスだ

2020-04-23 08:51:10 | コロナ

新型コロナ患者に錯乱やけいれん、脳への影響懸念
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東京都がウィルスの溜まり場

2020-04-23 08:49:52 | 政治
 東京都の人が地方に行って、あるいは地方の人が東京に行って、ウィルスを運ぶ。その意味では、東京にはウィルスがどこにでもあるという恐ろしい地域になっているというわけだ。

 したがって、東京のこういう状態を抑えない限り、感染者は減らないということだ。昨日行われた「専門家」会議で、西浦という人が感染者数の増加が「鈍化している」と語っていた。

 しかし、このグラフをみると、検査をしていないから、検査を減らしているから、じゃないかと思う。

 そのグラフ

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