駄場さん、と呼ぼう。彼は経歴にもあるが朝日新聞記者であった。朝日新聞記者として、浜松支局にいた。私はその頃の彼とつきあいがあった。記事原稿を書き終えた真夜中、しばしばわが家を訪ねてきた。彼は記事一つ書くときでも、厖大な資料をもとに書いていた。私の友人で、他社の記者がいたが、その記者は早々に記事を書き終えると夜の街へと出て行った。その際私も同行することがあったが、駄場さんは、それはそれは丁寧に資料を集めて書いていたので、記事なんてそんなに資料を集めなくてもかけるのではないか、そこまで集めるなら研究者にでもなったらどうかと言ったことがある。
彼と話をして、彼の頭の中には、たくさんの知識がきわめて整理されてしまいこまれていることが分かった。私の問いに、整理された知識がさらっと示されるという経験を何度もした。そのときに、この人の頭の中は、私とは構造が異なるとつくづくと思ったものだ。頭の良い人というのは、記憶したものをきれいに整頓して脳のどこかに格納できる人だと思った。
彼が朝日をやめて、東大の社会学の大学院に入った頃まではつきあいがあったが、その後途絶えた。そしてしばらくして、ネットで彼の名が、歴史研究者として出てくるようになった。そして南窓社から後藤新平の研究書を出版していた。彼の最初の本、『大新聞社ーその人脈・金脈の研究』(1996年刊行)はいただいた。その大新聞社というのは、朝日新聞社である。
彼の名をちくま新書の本に発見したのですぐに購入した。他に緊急の仕事があったので一度は中断したが、今日読み終えた。
読み終えて、多彩な内容について厖大な資料を博捜し、それらを見事につなげてみずからの思考・推測につなげていくという記述は、あの頃の駄場さんの能力の高さがまったく変わらないでいることを認識した。
それにしても、巻末に掲げられた文献・資料は尋常ではない。それらを読みとおす気力と、そこで得られたものを生かし切るという能力は、他の人にはない。もちろん私なんかは足元にも及ばない。すごい!という感慨をもちつつ、内容的にはどうしても看過できないものがある。(続く)
彼と話をして、彼の頭の中には、たくさんの知識がきわめて整理されてしまいこまれていることが分かった。私の問いに、整理された知識がさらっと示されるという経験を何度もした。そのときに、この人の頭の中は、私とは構造が異なるとつくづくと思ったものだ。頭の良い人というのは、記憶したものをきれいに整頓して脳のどこかに格納できる人だと思った。
彼が朝日をやめて、東大の社会学の大学院に入った頃まではつきあいがあったが、その後途絶えた。そしてしばらくして、ネットで彼の名が、歴史研究者として出てくるようになった。そして南窓社から後藤新平の研究書を出版していた。彼の最初の本、『大新聞社ーその人脈・金脈の研究』(1996年刊行)はいただいた。その大新聞社というのは、朝日新聞社である。
彼の名をちくま新書の本に発見したのですぐに購入した。他に緊急の仕事があったので一度は中断したが、今日読み終えた。
読み終えて、多彩な内容について厖大な資料を博捜し、それらを見事につなげてみずからの思考・推測につなげていくという記述は、あの頃の駄場さんの能力の高さがまったく変わらないでいることを認識した。
それにしても、巻末に掲げられた文献・資料は尋常ではない。それらを読みとおす気力と、そこで得られたものを生かし切るという能力は、他の人にはない。もちろん私なんかは足元にも及ばない。すごい!という感慨をもちつつ、内容的にはどうしても看過できないものがある。(続く)