「教養主義」とは「読書を通じた人格陶冶」、「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」という価値観である(4頁)。
教養主義は、私が高校生の頃まで存在していた。そして今も、私はその教養主義の支配下にある。高校生の頃からずっと、みずからの教養を高めなければいけない、というある種の強迫観念をもちながら生きてきた。
私は高校から大学まで行ったが、本書は進学することなく中学校卒業で働くようになった人々も、その教養主義の支配下にあったこと、しかしそれは1960年代になるとそれが消えていくということを記したものだ。
青年団、青年学級、集団就職、定時制高校、人生雑誌(『葦』、『人生手帖』)の実態を追跡することにより、教養主義の支配下にあった「勤労青年」が教養主義から離れていくプロセスを明らかにしたものだ。
著者の福間良明は、歴史社会学者であり、歴史学者ではない。「勤労青年」と教養主義との関わりを、敗戦後から1960年前半までの変遷を描いたものであり、その変遷の理由を一定明らかにしているが、しかしそれは構造的な説明ではなく、表層的な説明に終わっている。社会学の限界であると思う。
「人文知を下支えする大衆的な基盤の喪失」がその原因であると言うが、ではなぜ基盤が喪失したのか、そこまで考えなければならないのではないか。もちろん、そうなると、竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)の指摘のさらにその先を考えなければいけなくなる。
今、人文知は「冬の時代」である。大学も、さらにそれ以下の学校においても、人文知を遠ざけて実務的な「知」を重視する傾向が強くなっている。文学部が消され、社会学が隆盛するのも、文学部で学ぶことは「人文知」、社会学は「実学知」だという認識を文科省などがもっているからではないかと思う。
いずれにしても、教養の「き」の字もないような言説が、ネットを中心にして、さらに政治の中枢でも跋扈している。
「教養主義」の復活は、もう望み得ないのだろうか。
教養主義は、私が高校生の頃まで存在していた。そして今も、私はその教養主義の支配下にある。高校生の頃からずっと、みずからの教養を高めなければいけない、というある種の強迫観念をもちながら生きてきた。
私は高校から大学まで行ったが、本書は進学することなく中学校卒業で働くようになった人々も、その教養主義の支配下にあったこと、しかしそれは1960年代になるとそれが消えていくということを記したものだ。
青年団、青年学級、集団就職、定時制高校、人生雑誌(『葦』、『人生手帖』)の実態を追跡することにより、教養主義の支配下にあった「勤労青年」が教養主義から離れていくプロセスを明らかにしたものだ。
著者の福間良明は、歴史社会学者であり、歴史学者ではない。「勤労青年」と教養主義との関わりを、敗戦後から1960年前半までの変遷を描いたものであり、その変遷の理由を一定明らかにしているが、しかしそれは構造的な説明ではなく、表層的な説明に終わっている。社会学の限界であると思う。
「人文知を下支えする大衆的な基盤の喪失」がその原因であると言うが、ではなぜ基盤が喪失したのか、そこまで考えなければならないのではないか。もちろん、そうなると、竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)の指摘のさらにその先を考えなければいけなくなる。
今、人文知は「冬の時代」である。大学も、さらにそれ以下の学校においても、人文知を遠ざけて実務的な「知」を重視する傾向が強くなっている。文学部が消され、社会学が隆盛するのも、文学部で学ぶことは「人文知」、社会学は「実学知」だという認識を文科省などがもっているからではないかと思う。
いずれにしても、教養の「き」の字もないような言説が、ネットを中心にして、さらに政治の中枢でも跋扈している。
「教養主義」の復活は、もう望み得ないのだろうか。