浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

語る

2013-04-06 20:59:22 | 日記
 退職後、ボクは高齢者とばかり話している。そういうボランティアをしているからだが、今年4月から週三回だけ高校生に話すこととなった。時間に拘束されるのはいやでたまらないのだが、週3時間だけならと思い要請を受け入れた。

 ボクが最初に話したいことは、「人間の尊厳」ということだ。ボクが歴史を語る理由のひとつは、「人間の尊厳」への冒涜を歴史の中に見いだし、それがこれからの人間の歴史に現れ出てこないようにするための教訓を引き出すことだ。

 なぜ人間は、こんなことができるのか。歴史を繙いていくと、こうした事実を何度も見つけてしまう。人間の歴史は、「人間の尊厳」がさらにさらに尊重されていくというものでなければならないと思う。

 ところで、人間に対する冒涜について考えるとき、まず最初に思い浮かぶのが第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人虐殺である。

 その真実はすでに明らかにされているが、収容所から生還した精神医学者のフランクルによる『夜と霧』(みすず書房)という本がある。この本には旧版と新版とがあって、いずれも読む価値があるものだ。

 この本を読むと、人間とは何か、「人間の尊厳」とは何か、そういう根源的な問いに大きな示唆を与えられる。

 「人間の尊厳」を語るためには、この本のことを紹介しなければならないと思い、今日読み返した。絶望的な状況の中に生きる人間の姿を見続けてきた医学者の、深い深い思索がこのなかには散りばめられていて、ここに記されている教えられたところ、感動的なところを紹介しようとすれば、ほとんどこの本一冊分を紹介せざるを得なくなるという、素晴らしい本だ。

 この本には、黄色のマーカーが引かれたところ、赤線が引かれたところ、そして付箋が貼られたところが無数にある。

 12日から始まる近代史の話の最初に、この本を取り上げようと思う。

 その際、ボクは、学生時代に見た映画「夜明け前の子どもたち」から教えられたこと、そしてアニメ「どんぐりの家」で大きく心を動かされたことをまじえて、「人間の尊厳」について話そうと思う。

 
 今、遺稿集の制作に多くの時間を割いてきたので、あまり本が読めなかった。三校が来るまで、少しゆとりがある。読もう、本を。

 そういえば毎月一回のボランティアでの歴史講座の準備もしなければならない。

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不幸な国

2013-04-06 15:30:34 | 日記
 山下俊一氏。言わずとしれた、フクシマ周辺の人々に「安全」発言を繰り返し、ヒバクシャの「サンプル」を増やしている悪徳学者。

 彼が最近アメリカで講演した内容が明らかになってきている。

 アメリカでは「真実」を話し、日本では「安全」とか、みずからの研究を否定するような発言を繰り返している。

 その実例が下記のサイトで読める。

http://www.radiationexposuresociety.com/archives/2649
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フクシマ周辺の動植物の異常

2013-04-06 15:24:07 | 日記
 『東洋経済』のオンラインで、この点についての記事が読める。

http://toyokeizai.net/articles/-/13516
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これが官僚の本質

2013-04-04 22:43:38 | 日記
 まず次の記事を見て欲しい。『スポーツニッポン』の記事である。


山形大職員組合が抗議「天下り官僚を受け入れる非常識な人事」


 電力事業者に資料を漏えいして原子力規制庁審議官を更迭された名雪哲夫氏が山形大教授に出向した人事で、山形大職員組合が4日、「天下り官僚を受け入れる非常識な人事」として結城章夫学長に抗議文を提出した。

 山形大によると、名雪氏は1日付で「重粒子線がん治療施設」の設置準備室の専任教授に就任した。大学側が文部科学省に放射線の専門家を求めたところ名雪氏を提案されたという。結城学長は「既に処分を受けており、問題ない人事だ」としている。

 職員組合の執行委員長を務める品川敦紀教授は記者会見で、結城学長と同じ旧科学技術庁出身の3人の教授も活動実績が乏しいとして「予算獲得のための人事と疑われても仕方がない。あしき癒着構造だ」と指摘した。

 名雪氏は、日本原子力発電敦賀原発(福井県)の断層調査をめぐり、原子力規制委員会の調査団がまとめた公表前の報告書原案を日本原電に渡したとして、2月に訓告処分を受け審議官を更迭された。



 今、国立大学は国立大学ではなく、たとえば静岡大学は「国立大学法人 静岡大学」であって、国立ではない。公務員の削減という政策により、国立大学教職員は、それぞれの「国立大学法人」の教職員であって、国家公務員ではない。

 しかし、「国立大学法人」とはいえ、学生の授業料などの納付金だけではとても大学経営なぞできない。そこで国からのカネが流れてくるわけだが、カネを確保するためには文科省のご機嫌を損ねてはならない。そこで、教育・研究未経験の文部官僚が、たくさんある「国立大学法人」に天下りしてくるのだ。大学も、もちろん天下りを受け入れる。カネのためだ。

 科学や真理のための学問研究を行う大学までも、この体たらくである。

 山形大学だって、今までも天下りを受け入れてきた。今度の天下りは、あの名雪氏。反対したい気持ちもよくわかる。だけど、この大学の「民営化」の理由の一つは、こうした文部官僚の天下りポストを増やすためであった。

 国立大学の「民営化」は、官僚の支配を強めるために行われたのである。
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仙台(2)

2013-04-03 10:02:10 | 日記
 閖上地区。何ともない都市の郊外を走っていると、急に何もないところに入る。何もないというのは語弊がある。

 民家がところどころにあった。だがそこは誰も住んではいない。寺もあった。墓地もあった。しかし、民家はかつてあったところにはなくなっていた。それぞれの敷地をあらわす土地の境界は見られた。だが家はない。

 あの日、テレビでみた閖上地区へ津波が押し寄せ、すべてを呑み込んでいったさまが思い浮かぶ。ほんとうに呑み込まれてしまった。ただ風が吹いていた。

 そしてところどころに、生花があった。おそらく亡くなられた方を悼むためだろう。

 車を走らせていると、小高い山のようなところがあった。そこは神社があったところのようだ。小山の前に写真があった。津波の前と後とを明確に示すものだ。街並みすべてを、津波は呑み込んでしまったことがよくわかる。

 閖上中学校。中学生が14人、亡くなられていた。献花台があり、机に亡くなられて中学生の愛称が書かれていた。

 タクシーがつき、家族連れが黙祷を捧げていた。そして近くにあるプレハブの建物には津波を風化させまいとする地元の方が、訪れてくる見学者に説明をしていた。

 いつもこの地区には、地震があったとき津波の警報が出された。だが、いつも空振りだった。地震後、近所の人々が避難してきた。しかし津波は来ない。家に帰った人がいた。

 しかし、今度は津波は来た。そして多くの人を呑み込んでいった。

 油断があった、と言われた。どんな津波がくるのか、自然は事前には語らない。だから、来なくても、とにかく最悪のことを考えて避難することが大切だと、説明された方は語った。

 東海地震も、来る来るといわれながら未だに来ていない。だが東日本大震災を経て出されたのは、警戒は怠ってはいけない、ということだ。

 自然の脅威は、人知を超える。それを忘れた人間に、自然は襲いかかってくるのだ。
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仙台(1)

2013-04-02 15:15:24 | 日記
 昨日まで仙台に行っていた。レンタカーで、石巻市内や名取市内を走った。

 被災地区には、すでに新しい家が建てられていたり、あるいは家が建っていた痕跡だけのところとがあり、経済的な差がこういう状況をつくりだしているのかなと思った。

 石巻市内でもっとも衝撃的だったのは、大川小学校である。北上川と山に囲まれた地帯に、それはあった。建物の周囲にはたくさんの瓦礫があったのだろうが、今それはなく、校舎は流れてきただろう土と石の中にたたずんでいた。建物は、津波に襲われた当時のままで、津波のすさまじさを感じた。

 学校の前には慰霊碑があった。同行者も一様に押し黙り、慰霊碑に頭を下げた。

 学校の裏になるのだろうか、すぐ脇に山があった。なぜそこに登らなかったのだろうか、と思った。津波がくる直前まで、子どもたちは校庭におかれたという。山には登る道はなかったのだろうが、しかし登ることはできたはずだ。

 ここまでは津波は来ないだろうという思いがあったのだろうか。きちんと事実経過を明らかにするべきではないかと思う。

 下記のサイトで、新聞による検証記事を読むことができる。

http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html

 やはり市当局、あるいは教育委員会がきちんと検証し、教訓を導き出すべきである。そうしないと、子どもたちの犠牲は犠牲のままで終わってしまうのではないか。そうさせてはいけない。


 石巻市内や女川町は、雪が降っていた。真冬の寒さがあった。

 震災に遭った人々、本当に寒かっただろうと思った。

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