浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

秘密保護法に反対

2013-11-24 20:42:20 | 政治
 ジャーナリズムの精神をなくした数紙を除いて、報道の自由を根底から崩壊させる特定秘密保護法案に対する批判が、新聞各社の論説で行われている。『中日新聞』、『信濃毎日新聞』は毎日繰り広げている。もしこんな法案が成立してしまったら、『東京新聞』(『中日新聞』)の「特報」欄には書くことがなくなってしまうだろう。

 今日の『中日新聞』社説。その末尾の「国民は国家の付属物ではないのです」は、今こそ主張しなければならないことばだ。なぜなら自民党がめざす社会を記した「憲法草案」が、まさに国家主義的な、国民を国家護持のための手段とする精神に貫かれているからだ。

 以下に、『中日新聞』と『信濃毎日新聞』の社説を紹介する。
 

週のはじめに考える 日米合意超える秘密法案  2013年11月24日

 政府・与党が制定を急ぐ特定秘密保護法案。その原点は第一次安倍政権の二〇〇七年、日米で軍事に関する秘密保護協定を締結したことにあるようです。

 協定は「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」で、二〇〇七年八月に締結されました。それまで日米の軍事秘密の保護対象は、日米相互防衛援助協定(MDA)に伴う秘密保護法に基づき、米国から導入した武器技術に限られていました。

◆日米軍事協定が原点

 GSOMIAは違います。日本全体に軍事秘密の保護を義務づけ、漏えいを禁じる包括的なものです。作戦計画、武器技術などあらゆる軍事分野におよび、口頭、文書、写真、録音、手紙、メモ、スケッチなどすべての伝達手段による漏えいを禁じています。

 今から二十五年ほど前にも、GSOMIAの締結をめぐって国会で議論がありました。中曽根政権で世論の反対で廃案になった「国家秘密法案(スパイ防止法案)」の二の舞いになるのを恐れた政府は「このような協定を結ぶつもりも意図も全くないということに尽きる」(一九八八年五月十七日衆院内閣委、岡本行夫外務省安全保障課長)と締結を否定しました。

 方向転換したのは、〇三年十二月に小泉政権が閣議決定した米国からのミサイル防衛システムの導入がきっかけでした。弾道ミサイルをミサイルで迎撃するこのシステムは、衛星でミサイル発射を探知する米国からの情報がないと使いものになりません。

 〇五年十月、自衛隊と米軍の一体化を打ち出した米軍再編中間報告は「共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置をとる」と明記しています。具体的な秘密保護策が必要だとの認識で日米が一致したのですが、まだ日本政府は動きません。

◆事件摘発で急展開

 事態が動いたのは第一次安倍政権の〇七年一月です。防衛省情報本部の一等空佐が秘密漏えいの疑いで自衛隊警務隊の事情聴取と家宅捜索を受けたのです。南シナ海で中国潜水艦が火災を起こし、航行不能になったとの読売新聞記事の情報源とみなされたのです。

 報道から実に一年八カ月も経過していました。事情聴取後の同年五月には日米がGSOMIAの締結で合意し、八月には締結と長年の懸案が驚くべきスピードで決着します。強制捜査に踏み切ったのは、秘密保護が必要だと国民にアピールする狙いだったのではないか、との疑いが消えません。一等空佐は起訴猶予となり、刑罰を受けることはありませんでした。

 当時、国会では秘密保護法の制定につながるとの懸念が示されましたが、政府は「国内法の整備は必要ない」(〇七年五月七日衆院特別委、久間章生防衛相)とかわします。その言葉に反し、「秘密保全法制の在り方に関する検討チーム」を発足させ、民主党政権でも検討が引き継がれて今回、特定秘密保護法案になったのです。

 第一次安倍政権では、首相ら四人の閣僚が安全保障政策を決定する国家安全保障会議(日本版NSC)を設置する法案を国会に上程しています。福田政権が廃案としたので、日の目をみませんでしたが、安倍晋三首相の再登板により、再び上程されています。

 米国からのマル秘情報を日米で共有するためにGSOMIAを締結したのですから、政府からすれば、情報の受け皿になる日本版NSCを設立したり、特定秘密保護法を制定したりするのは、当然の帰結ということなのでしょう。

 GSOMIAが締結されて、米国の軍事技術が提供され、日本の防衛産業でも米軍の最新兵器の生産や修理ができるようになりました。米国製の最新鋭戦闘機F35の国内生産は、その典型例です。F35の生産をきっかけに、安倍政権は武器輸出三原則の見直しにも着手しようとしています。

 すべては、ミサイル防衛システムの導入を決めた十年前に始まったのです。

◆国民は国家の付属物か

 安全保障上、公表できない情報があるのは当然です。しかし、政府は最近十五年で公務員による主要な情報漏えい事件は五件とし、安倍首相は「(前出の)中国潜水艦に関わる事件以外は特定秘密に該当しない」と明らかにしています。二〇〇一年、自衛隊法が改正され、情報漏えいの罰則を懲役一年以下から五年以下に厳罰化し、民間人も罰するとした抑止効果が表れています。

 日米で合意した「共有された秘密情報を保護する」を飛び越えて、保護対象を無限定に拡大するのは明らかに行き過ぎです。

 民主主義の生命線である「知る権利」など、もはやどこ吹く風の安倍政権。国民は国家の付属物ではないのです。



秘密保護法 共謀罪 心の中も取り締まる 11月24日(日)

 戦前、思想や言論、結社の弾圧に使われた治安維持法は「協議罪」が多用された。

 この法律は特定の思想を持った結社を組織することやその組織への加入を処罰することを主眼とした。そこに、話し合うだけで処罰する協議罪を盛ることで、組織に加入するという実行行為の前段階での取り締まりを可能にした。

 典型が全国で1600人近くが逮捕、拘留された1928(昭和3)年の3・15事件だ。逮捕された人の多くは、共産党や労働農民党などに入党していなかった。

 この協議罪が「共謀罪」と名前を変え、今、衆院で審議されている特定秘密保護法案の中に入り込んでいる。しかも、共謀罪については自首すれば、刑を軽くするだけではなく、免除するとまで規定する。これが何を意味するのか―。国会審議でもほとんど論議されず、修正協議でも取り上げられなかった隠れた重要問題だ。

   <監視社会になる心配>

 日本の刑事法では、犯罪は実行行為があって初めて処罰する。国の統治機構を破壊する内乱罪などごく一部の例外を除いて、謀議(犯行の話し合い)だけでは罰しないのが原則だ。

 刑事法の専門家によると、心の中の問題で人を処罰した治安維持法の苦い教訓によって、戦後、共謀罪を規定することには抑制が働いてきた。

 それが働かなかったのが01年の自衛隊法改正による共謀罪の新設だ。ただ、その対象は秘密漏えいに限られている。

 特定秘密保護法案では、情報を取得しようとした側にも共謀罪が適用される。秘密をつかんでいなくても、何とか得ようと誰かと話し合っただけで、処罰される場合がある。

 しかも、共謀は言葉を交わさない「暗黙の了解」でも成立するとされる。罪は心の中に及ぶ。

 捜査側から見れば、共謀罪があれば情報漏えいという結果が発生しなくても、治安維持法のように、その前段階で取り締まることができる。

 それにしても、どうやって話し合っただけのことを知ることができるのか―。実はそこに、自首による刑の減免規定が密接に関わっているのだ。

 捜査当局は、あなたは罪に問わないから話し合った内容を教えなさいと密告を促すことができる。あるいは、市民団体などの中に協力者をつくったり、潜入させたりし、共謀が行われた時点で協力者に自首させる方法もある。

 実行行為がなく物証が乏しいので、逮捕された人の取り調べも自白強要になりやすい問題がある。

 実際に立件されなくても、この規定があるだけで、人々を疑心暗鬼にさせ、相互監視社会をつくりだす。非公開の情報にアクセスする市民の行為を萎縮させるのは明らかだ。

   <通信傍受の拡大も>

 この法案と前後して進む気がかりな動きがある。通信傍受法の対象拡大だ。

 この法律は、犯罪の首謀者らの摘発を目的に2000年に施行された。対象の犯罪を薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4分野に限り、捜査機関が裁判官の令状に基づき電話やファクス、電子メールを傍受することを認めている。

 この傍受対象の拡大が、法相の諮問機関、法制審議会の特別部会で検討されている。一昨年に発足した部会は本来、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を契機に、取り調べの録音・録画(可視化)を法制化するのが主なテーマだった。

 ところが、可視化によって組織犯罪などの摘発が困難になるとする検察、警察が見返りとして、捜査をしやすくする通信傍受の拡大を求めている。

 拡大されれば、特定秘密保護法案の共謀罪のように立証しにくい罪が通信傍受の対象になる可能性は高い。法案の検証に取り組む弁護士グループはそうみている。

 86年に発覚した神奈川県警による共産党幹部宅電話盗聴事件で、公安警察の違法な情報収集活動が明らかになった。傍受対象の拡大は、こうした活動に法のお墨付きを与えることになりかねない。政府に批判的な個人や団体には、秘密取得の共謀の恐れがあるという理由で盗聴される可能性がつきまとうことになる。

   <憲法を掘り崩す>

 共謀罪新設をめぐる経過は、もぐらたたきのようだ。

 03年以降、組織犯罪処罰法の改正案の中に盛り込む形で国会に3回提出された。恣意(しい)的な適用の恐れがあるとして野党のほか日弁連、市民団体などが強く反対。いずれも廃案になった。すると今度は特定秘密保護法案の中に顔をのぞかせた。

 「内心の自由」は、思想・良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由として憲法で保障されている。共謀罪という“もぐら”は、これを掘り崩す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィールドワーク

2013-11-24 19:49:45 | 日記
 「田中正造ワーク」というフィールドワークに参加した。台東区、墨田区内の、田中正造との関わりの場所を歩くという内容だと思った。しかしそうではなかった。

 田中正造と関わりがあった人物の、たとえば旧居跡や石碑を訪ねるというものだった。勝海舟、榎本武揚らは関係があった。しかしそれだけでは少なすぎたのか、森鴎外、幸田露伴、大倉喜八郎らの旧居跡なども訪ねた。彼らは正造とは関係がない。
 そして旧居跡といっても、ただそこに「○○の旧居跡」という看板があるだけだ。そこは民家だったり、マンションだったり・・

 田中正造没後100年だから、田中正造と関係あるところ、と勝手に思い込んだのがいけなかった。おそらく参加者は、正造と関係あったところを毎年歩いていたのだろう。そうなると、今度は正造と関わりのある人物について学び、その人の足跡を訪ねるということになっていくのはやむを得ないことだ。今度は、内容をきちんと確かめて参加しよう。

 だからボクは、一眼レフカメラを持って行ったのだが、ほとんど撮らなかった。撮ったのは、あのスカイツリー。そして墨田区役所。後者は、なんとまあ立派な・・・・・・。その庁舎に、東京への富の集中を感じざるを得なかった。

 このフィールドワーク、主催は「田中正造に学ぶ会・東京」であった。午前中は、それぞれの人物に関する説明会だ。分厚い資料を渡された。しかし、なんと印刷物のなかに、wikipediaからの引用があった。これはいけない。ボクは、wikipediaは、決して使わない。wikipediaの内容は、果たして学問的に依拠できるものであろうか。辞典でもいいから、きちんと文献に依拠して欲しいと思った。また文献からの引用(コピーの貼付)もあったが、典拠の書き方が統一されていなかった。著者名、書名、出版社名、発行年は必ずいれるべきだ。

 このフィールドワークに参加するために、上京した。しかし、こう書いてしまって申し訳ないが、往復の交通費を投資した割には成果は少なかった。

 毎年11月23日に開催しているフィールドワーク。来年はどうなるかわからないが、田中正造没後100年という年だからこそ、田中正造と関わりがあったところのフィールドワークであってほしかった。田中正造と関わりがあった人物の銅像や旧居跡を見ても、何の感慨ももてなかったというのが正直な感想だ。

 ****************************************************************************************
 このブログ。関係者も読まれると思いますが、正直なところを書きました。失礼な内容になっていますが、ご容赦ください。今後、よりよいフィールドワークにしていただきたいと思います。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランチ

2013-11-24 16:53:43 | 日記
 しばらく留守にしていた。

 一昨日、横浜周辺で町田の住人と待ち合わせて、ランチを食べた。「さくら水産」という店だ。町田の住人はご飯がことのほか好きなようで、ご飯をたくさん食べられるところで昼食をとるという。その話しの中で、しばしば「さくら水産」という店の名があった。

 残念ながら、私の住む周辺にはそういった店はない。どんなところかを知りたくなって、町田の住人に案内してもらうことになった。
 
 横浜中華街手前の日本大通り駅で待ち合わせて、その駅構内の「さくら水産」に入った。ボクは650円の刺身定食を注文した。町田の住人もそれを注文した。いつもは500円のものを食べているという。

 さて料理はすぐにきた。ご飯と刺身と味噌汁。テーブルの上に卵と海苔があった。それらは自由に食べられるというのだ。刺身はまあ新鮮だった。ボクは卵かけご飯にして食べた。ご飯のおかわりも自由だという。ボクは、結局卵2個、ご飯2杯であった。味噌汁は、うすくてダメだが、他はまあまあであった。

 客は男性が多いようだったが、若い女性一人だけという客もいた。若い女性の多くは、グルメにこっているはずなのに、こういうところにも来るのかと驚いた。

 「さくら水産」は合格点です。町田の住人さま、しかしたまには高くておいしいものを。そして牛肉も食べましょう。ただしアメ牛は危険です。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読むべき

2013-11-21 22:59:15 | 政治
 ジャーナリストの江川紹子さんの指摘。読むべき。


http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20131121-00029991/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秘密保護法案反対運動、全国で!

2013-11-21 22:45:07 | 政治
 インターネットでNHKニュースをみたら、なんと反対運動を報じている。NHKにしては珍しいことだ。反対運動が強まったので、無視できなくなったか。

 以下は、『信濃毎日新聞』の記事。ほんとに、戦時体制下を想起してしまう。歴史の転換期、平和から戦争へという、そういう転換期。

斜面 11月21日(木)

 踊るスパイに心を配れ/防諜(ぼうちょう)は銃後を護(まも)る鉄兜(てつかぶと)/口と財布はしっかり締めよ/皆に言ふなと一人に言ふな―。秘密が漏れることを防ぐ防諜。その活動に参加を要求するスローガンが戦時中、街にあふれた
   ◆
〈一億が一つ心で防諜団〉と国民総動員を求め〈舌と心に銃後の武装/防諜に国の眼となれ耳となれ〉と密告を促す。「傑作国策標語大全」から引いた標語だ。1941年5月には全国一斉の防諜週間が実施され、防諜と相互監視は生活に浸透していった
   ◆
この年の3月。国防保安法が制定される。日中開戦以降、国は軍事秘密保護の法制を整えてきた。この法律が仕上げだった。対象の国家秘密は事実上、範囲に限りがなく、漏えいや収集などの行為はもちろん、未遂や陰謀も処罰する。外国に漏えいすれば、最高刑には死刑を科した
   ◆
纐纈(こうけつ)厚山口大副学長の「防諜政策と民衆」によれば、同法は防諜の普及に利用された。国民をどう喝しつつ、スパイ監視者に仕立てた。地域社会では住民も自ら役割を担い、監視の網をつくった。沖縄戦では、住民が仕立てたスパイ容疑者を軍が処刑した
   ◆
審議中の特定秘密保護法案をひとごとで済ませられない。いつか、自分や家族や友人が監視対象になり、あるいは密告の当事者になるかもしれない。今また国防が個人より優先されようとしている。防諜の過去は忘れたころに、繰り返す。
http://www.shinmai.co.jp/news/20131121/KT131120ETI090004000.php
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

必見

2013-11-21 08:52:12 | 政治
 必見である。


http://iwj.co.jp/wj/open/archives/112468
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党、公明党、維新、みんな・・・は民主主義の敵 

2013-11-21 08:42:08 | 政治
 安倍政権を支える自民党、公明党。そして秘密保護法案に賛成する野党。いずれも日本の民主主義の破壊に手を貸す者たちだ。

 しかしいくら選挙制度が「悪」であったとは言え、国民の多くはこれらの政党に投票している。つまり国民も、民主主義の破壊に手を貸しているということだ。

 さて、その秘密保護法案。この法案は、いずれ牙をむくこと必定である。この法案こそ、葬り去らなければならない。

 『中日新聞』社説は、その事例を報告する。
 
特定秘密保護法案<4> 捜査が暴走し始める   2013年11月21日

 普通に生活する町のクリーニング業者が、まさかスパイであるはずがない。でも、米軍の機密情報を入手したとして起訴され、有罪判決を受けるという、信じ難い出来事が過去にあった。

 米海軍の横須賀基地(神奈川)に所属する軍艦の乗組員を相手に商売をしていただけだ。クリーニング店の支配人は、営業上の必要から、基地に勤務する軍人を料理店でもてなしたりした。そして、基地に出入りする軍艦の入港予定日や時間などを記したペーパーをもらっていた。

 これが米海軍の機密にあたるとされた。「不当な方法で、探知し、または収集した」とし、一九五七年に横浜地裁は、懲役八月執行猶予二年の判決を出したのだ。罪名は日米地位協定に伴う刑事特別法違反である。

 安全保障条約に基づく法律で、機密漏えいばかりでなく、探知も陰謀、教唆、扇動も処罰する。最高刑は懲役十年である。陰謀は共謀と同じだ。骨格が今回の法案とそっくりなのだ。もてなしも「不当な方法」と認定された。

 特定秘密保護法案は防衛や外交、特定有害活動やテロリズムの防止-の四つの分野を対象にしている。しかも、「その他の活動」や「その他の重要な情報」など、「その他」の言葉が、三十六回も散乱する。いかなる解釈もできるよう、官僚が意図して曖昧に書いているのではないだろうか。

 社会の幅広い場面で法律が適用される懸念は大きい。しかも、何が秘密であるかも秘密にされる。必然的に、どこまで処罰の範囲が広がっているのか、国民には全く手掛かりがつかめない。

 民間人が秘密に近づく事前行為さえ処罰する。「話し合い」は共謀であり、「呼び掛け」は扇動となる。近代刑法は犯罪の実行を要するのに、その前段階で取り締まることが可能なのだ。

 刑事裁判の場合も、秘密は公開されないはずだ。「外形立証」という、秘密指定の理由や手続きなどの審理だけで、「実質的に秘密に値する」と認める手法だ。

 被告人は内容を知らないまま罪に問われる。無実の証明は困難になるだろう。「裁判の適正手続きを侵害する」などと、刑事法学者らも反対の声をあげている。

 捜査当局は新たな“武器”を得るのに等しく、どんな運用をするかもわからない。歯止めのない法律は、やがて暴走し始める。 (論説委員・桐山桂一)


 そして『毎日新聞』は、ニューヨークタイムス記者の意見を載せる。



特定秘密保護法案に言いたい:米国と同じ失敗するな−−ニューヨーク・タイムズ東京支局長、マーティン・ファクラーさん

毎日新聞 2013年11月20日 東京朝刊


 ◇マーティン・ファクラーさん(47)

 秘密の範囲があいまいで官僚の裁量が大きいことや、国民、国会のチェック機能が不十分なところが問題だ。

 ある程度の秘密管理は必要だが、米国ではエドワード・スノーデン米中央情報局(CIA)元職員の事件で分かるように過剰な秘密主義の弊害が目立っている。秘密機関がいったん大きな力をつけると、なくすのは大変だ。日本は米国と同じ失敗をすべきではない。

 日本政府は、米国などと情報共有するには法案が必要だと言う。自民党議員は米高官からの要請があると言うが、口実に過ぎないのではないか。日本側に「情報を共有するために体制を作ってほしい」と伝えたとされるアーミテージ元国務副長官らは共和党で、オバマ政権とは関係がない。

 確かに米軍は兵隊の命に関わるから情報管理の徹底を要求しているだろう。だが日本の官僚が力を得ることは望んでいない。

 罰則の最長懲役10年も重い。本当の軍事秘密、国の安全そのものに関わる情報なら厳しくして仕方がない。だが、沖縄密約事件のように日本国民の知るべき情報が隠される恐れがある。

 安倍晋三首相らは、米国に頼らず、英国や豪州のように対等な同盟国になることを目指しているのだろう。「情報管理をしっかりすれば相手にされるのだろう」と考えているのかもしれない。【聞き手・青島顕】=随時掲載

==============

 ■人物略歴

 1966年、米アイオワ州生まれ。慶応大や東京大大学院に留学。2003年、ウォールストリート・ジャーナル記者として来日。09年に現職。


 国会議員が、この法案に賛成することは、自らの職責を放棄することにもつながる。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「歴史は繰り返す」

2013-11-20 09:53:16 | 読書
 最近、「歴史は繰り返す」ということばを、あちこちで聞くことが多くなった。安倍政権になったら、平和と民主主義を象徴する「戦後」というものが、遠くかすんでいくようになった。

 その後ろから、新しい「戦前」が垣間見えるようになってきた。秘密保護法など、まさに「戦前」である。あの暗い時代を、再び生きていかなければならないのか。

歴史は繰り返す

(2013-11-15更新)

 「これもあれも秘密となると、非常に危険なことにはならないか」
 「決して国民に目をふさぎ、耳をおおえというような、昔の代官時代の立法でない」

 これを読んで、国会で審議されている特定秘密保護法案のやりとりだと思う人もいるだろう。そうではない。今から76年前、1937年(昭和12年)8月にあった帝国議会の衆議院軍機保護法改正法律案委員会での議員と陸軍の担当者の質疑応答だ。

 軍機保護法は戦前の国家秘密法だ。国家機密のうち軍事機密を保護の対象とし、探知、収集、漏洩を処罰する。最高刑は死刑で、軍人以外に民間人も対象だった。当たり前だが、秘密が広がって大丈夫なのか、と心配する意見が当時もあった。それが杞憂でなかったのはその後の歴史をみれば、わかる。

 例えば、1937年のこの法律による摘発者は76人だったが、1941年には749人に上ったという調査がある。そして、日本がアジア・太平洋戦争を始めたその日、冤罪事件が起こる。北海道帝国大学の学生・宮沢弘幸が、旅行の見聞を北大予科の教師ハロルド・レーン夫妻に話したことが軍機保護法に違反するとして逮捕された「レーン・宮沢事件」だ。根室の海軍飛行場などの存在を探知し、漏洩したという容疑だったが、秘密でも何でもなく、公知の事実だった。

 獄中で患った結核が悪化して27歳で亡くなった宮沢の妹さんが心配していた。「戦前のように機密の範囲が何の歯止めもなく拡大していくのではないでしょうか」(朝日新聞8日付朝刊)

 歴史は繰り返す。こんな法律を作ってはならない。


http://www.kenpou-media.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=63
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道徳を説く人間こそ道徳とは無縁の人々だ

2013-11-20 09:32:16 | 政治
 長い間生きてきて、道徳を説く人の胡散臭さを肌で感じてきた。道徳を説く人間こそ、唾棄すべき存在である。道徳は、説くものではなく、人が生きていきながらその態度や姿勢で示すものだ。

 政治家とか、安倍がお友だちとする有識者たちは、道徳を説くことがとても好きなようだ。次のリンクは、そのメンバーである。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/096/maibo/1333161.htm

 ここで出された意見には、国家主義的なものもある。ああ怖い!!

○ 国をつくる、維持するためにどういうことが必要か、自分の命、子々孫々に至る命を守り続けるために何が必要かを子供とともに考えることも大事なモラルの教育。

○ グローバル社会だからこそ誇りを持って発信できる日本特有の伝統的な価値観について考えていくべき。

○ 生徒がいろいろな課題に直面する中で、武道など日本文化を支えるものとの技術的な関わりを通して、自分なりの自信と技術を習得しながら成長していくことが大事。


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/096/shiryo/attach/1340568.htm

 もちろん中には、安倍政権の意向を阻害するような意見もある。しかし、安倍政権や文部官僚の既定路線の上では、単なる参考意見となるだけだ。参加する「有識者」の多くは、安倍政権のお友だち。だからそのような意見は絶対に多数にはならない。政権が多用する「有識者懇談会」は、安倍政権の腹黒い野望を隠すものでしかない。

 メディアには、正当な批判をするところもある。『信濃馬日新聞』の主筆は、中馬清福氏。きちんと言うべきことを指摘している。

道徳の教科化 心に成績を付けるのか 11月12日(火)


 松本市の手塚英男さん(74)が作った紙芝居「ぼくらは開智国民学校一年生」に、こんな場面がある。

 6歳の子どもたちの入学式で校長先生が白い手袋をして当時の道徳の基本「教育勅語」を読み上げる。その後、「日本は神の国です。きっと神風が吹いてアメリカを負かします。天皇陛下のお役に立てるよう励みなさい」と呼び掛ける。

 「はい!」。1年生たちは元気に返事をする。手塚さんも「戦争に行ったら天皇陛下の御ために潔く死のうと思いました」。

 戦前や戦中、日本では国家が「教育勅語」のような一つの価値観を教え、国民はそれに従うことが求められた。

 民主主義下では、多様な価値観の中から自ら選択し、価値を紡いでいくことが求められる。道徳教育とは、子どもたちにさまざまな価値観を提供し、体験などを通して自らが考える力を養っていくことではないだろうか。

 文部科学省の有識者会議がきのう、今は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」を教科に格上げする報告書案を示した。同省は中教審の議論を経て2015年度にも教科化する方針という。

 教科化とは、検定教科書を使い、子どもたちを評価することだ。国家が価値観を教え込んだかつての時代に逆戻りする恐れがあり、賛成できない。

 報告書案は、他教科と同様に民間会社が作成し、国の検定に合格した教科書を用いるのが適当としている。

 さまざまな色彩を帯びた教科書を国がどのような基準で検定するというのか。時の政権の意向に沿ったものだけが合格し、そうでない価値観が排除されることになりかねない。

 評価も同様だ。他教科のような数値による評定ではなく記述式の評価を求めているが、何が達成目標なのか。どこまで目標に近づいたのかをどう判断するのか、子どもの心の動きを評価できるのか―など多くの疑問がある。子どもを特定の価値観に誘導する危険性もはらんでいる。

 道徳の教科化は、第1次安倍晋三政権からの悲願だ。第1次では中教審が教科書検定などに難色を示して見送られた。第2次では、首相直属の教育再生実行会議が、いじめ対策に絡めて提案した。

 気になるのは、天皇を元首にしたり、国防軍を創設したりする憲法改正の動きと軌を一にしていることだ。子どもたちに教育勅語と同じ時代を歩かせてはならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秘密保護法という闇

2013-11-20 09:23:03 | 政治
 日本政府は、アメリカとの軍事作戦を共同で展開するため、とくにアメリカから寄せられる軍事的な情報を隠すためにこの法律をつくろうとしているのであるが、しかしこの法案の恐ろしいところは、どこまででも拡大解釈が可能であるということだ。

 日本の議員たちは、治安維持法の時代、治安維持法がいかなる役割を果たしたのかを知らない。ノーテンキな議員たちが国会を跋扈している。そうさせた日本国民の失態である。

 今は、とにかく反対の姿勢を示しつつ、法案の中身をきちんと理解することが肝要だ。『中日新聞』は、明確に社説その他で、その問題点を指摘している。


特定秘密保護法案(1) 自由に壁が築かれる   2013年11月18日

 特定秘密保護法案は「戦争をしない国」から「戦争ができる国」に進める歯車の役目さえ果たす。

 日本版NSC(国家安全保障会議)を設ける法案とセットで提案されているうえ、その先には国家安全保障基本法案が見えているからだ。自民党の法案概要では、憲法九条を改正しなくとも、集団的自衛権の行使ができる魔法のような法案だ。

 同党幹部は米中央情報局(CIA)のような諜報(ちょうほう)機関を新設することも公言している。この文脈が示すのは、軍事や治安分野への傾斜度を格段に高めることだ。秘密保護法案をめぐる国会の議論は、この大きな視野が欠けている。

 政府は米国から情報をもらうために秘密保護法が必要だと説明する。だが、他国の軍隊や治安機関から情報を得るには、相互主義が基本である。「ギブ・アンド・テーク」が鉄則とされる。

 「秘密保護」という表面の言葉に惑わされず、裏面の「ギブ」にも注意を払うべきだ。米国に提供されうる重要情報である。現状は不明だが、その収集活動にあたるのは防衛・公安当局などだ。

 対象は中国や北朝鮮、イスラム系など在留外国人の動向にとどまらないはずだ。米軍基地の反対運動や反原発運動など、幅広い市民活動に対しても監視が強まるだろう。これを正当化し、本格化させるのが裏面の目的といえよう。

 そもそも、法案の前提にされる「日本はスパイ天国だ」という指摘は本当だろうか。安倍晋三首相が「過去十五年間で情報漏えい事件を五件把握している」と答弁したのが、正直な現状ではないか。現行法でも十分に対処できるうえ、立法事実も存在しない。

 もし、この法案が成立すれば、蛇口を閉じるように、行政機関からの情報量が大幅に減る心配がある。何が「特定秘密」かも明らかでないため、公務員側はジャーナリストの取材にたじろぐ。一般情報さえ口にしにくい空気が役所内部に醸成されよう。

 個人情報保護法ができたとき、さまざまな名簿が忽然(こつぜん)と消えた。それ以上の萎縮効果が広がるだろう。民主主義社会は自由な情報に基づいて築かれている。厳罰法制は、知る権利や報道の自由などに鎖をつけるに等しい。

 行政機関の情報漏えいならば、内部の情報保全を徹底すれば済む。社会全体に投網をかける必要はない。情報統制色を帯びる法案を成立させてはならない。 (論説委員・桐山桂一)

特定秘密保護法案(2) 情報は国民のものだ   2013年11月19日

 「迷ったら、公務員は情報を開示することが原則だ」

 米国のオバマ大統領は一期目の就任初日に、こんな趣旨のメモを記した。軍事大国で、元CIA(米中央情報局)職員スノーデン氏が告発したように、通信情報を広範に収集している国だ。

 だが、基本的に情報はオープンという伝統を持つ自由と民主主義の大国である。情報公開を促す「情報自由法」を持つ。国家機密でも解除は十年未満に設定され、二十五年たつと「自動解除」原則がある。五十年、七十五年の例外的なケースもあるが、行政機関がずっと秘密を持ち続けることの方が困難な制度をつくっている。

 機密の指定段階でも大統領令で、行政機関の「長」はフリーハンドで行えず、常に「説明しなさい」という状態に置かれる。疑念があれば、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部の委員会に審査請求できる仕組みもある。

 ここで機密解除された裁決は二〇一〇年度で68%にのぼる。秘密の範囲が無限定になると、民主主義が危機に陥ってしまう。同年には過剰な機密指定を削減する法律もつくったほどだ。

 秘密保護法案は秘密の指定や保管、解除、処罰に大きな欠陥を抱えている。海外メディアの特派員でつくる「日本外国特派員協会」が「報道の自由および民主主義の根本を脅かす悪法だ」と声明を出したのも、うなずける。

 そもそも行政情報は国民のものである。国民主権原理が常に働いているからだ。外交上の秘密であっても、必要最小限のみを指定すべきであり、秘密保持期間も本来は一時的でなければならない。その外交政策が後に適切であったかどうかの検証も必要である。

 「国政に関する情報が基本的に国民に開かれていることが原則である。(中略)なんでも秘密だというのでは、自由の原則が崩れてしまう」

 一九八〇年代にスパイ防止法案が論議されたとき、谷垣禎一法相は月刊誌にこう書いた。「刑罰で秘密を守ろうという場合は、よくよく絞りをかけておかないと、人の活動をいたずらに萎縮させることになりかねない」とも記した。まっとうな意見だ。

 現在、谷垣氏は「当時と状況が違う」と語るが、「自由の原則」は不変のはずだ。民主主義の根幹を揺るがす法案には、外国特派員とともに「悪法」と呼びたい。 (論説委員・桐山桂一)


特定秘密保護法案(3) 崖っぷちの「知る権利」  2013年11月20日

 国民の「知る権利」と安全保障は、いわば綱引きのような関係である。政府は「秘密にしたい」と言い、国民は「情報を公開してほしい」と願う。調整をどのように図ったらいいのか。

 「あらゆる人は、公的機関が保持する情報にアクセスする権利を有しており、その権利を制限する正当性を証明するのは、政府の責務である」

 今年六月にできた「ツワネ原則」はそう定めた。安全保障と情報に対する権利の国際原則である。世界七十カ国余りの専門家約五百人で作成した。兵器開発や軍隊の作戦など、限られた範囲での情報制限は認めているが、政府に証明を負わせる点は重要だ。

 秘密指定を行政機関の「長」に委ねる特定秘密保護法案と出発点が決定的に異なる。さらにツワネ原則は国際人権法に反する情報など、「何を秘密にしてはならないか」を明確にしている。どこまで秘密に覆われるか不明な日本の法案とは、まるで正反対である。

 国家の公衆監視も規制し、裁判所で秘密が公開され、審理できる保障も定めている。ことごとく考え方が逆方向なのだ。国連や米州機構、欧州安保協力機構などのメンバーが加わった最先端の原則から、わざわざ踏み外す法案をなぜ政府はつくるのか。

 秘密に対する日本の官僚のおそまつさを示す一例を挙げよう。二〇〇六年と〇八年に当時の「原子力安全・保安院」の審議官クラスらが渡米した。原発への航空機衝突や火災などの場合について、対処法の説明を受けた。

 だが、米国側から「秘密だ」と注意された。そのため、保安院側は原子力安全委員会にも、電力会社にも伝えなかった。原発の過酷事故に関する重要情報をせっかく米国から提供されていたのに、全く生かせなかったわけだ。

 秘密情報であっても、関係機関内で共有され、活用されなくては何の意味もない。重罰で秘匿化をより強める法案は実用的でないうえ、官僚をさらに束縛する。

 逆に官僚は公文書の公開には無関心すぎる。一一年度に保存期間が満了した行政文書のファイル約二百三十万件のうち、廃棄された割合は実に92・5%にものぼる。国立公文書館に移管されたファイルは、たったの0・7%にすぎない。

 このうえ秘密の密封度を高める法案とは何事か。国民の「知る権利」は崖っぷちに立っている。 (論説委員・桐山桂一)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013-11-20 00:35:26 | 日記
 ここ数日、新聞以外の活字をよもうという気がおきない。木曜日にはTPPについて話さなければならないのに、それに関する本は買ってあるのに、なぜか読もうという気がおきないのだ。

 今まで忙しすぎたからか、いろいろなところにエネルギーを費消してしまったのか。目前の課題に対応する日々が続いていたので、じっくりと腰を落ち着けて何かをするという気持ちが失せたようだ。

 一昨日は、買ってあった花の種をまき、今日は畑で野菜の種をまいた。こういうことをしているときは、無心でいるのだが、これだけでは気分転換にはならないようだ。

 生活には波があるようだ。今は、下り坂かもしれない。

 今週金曜日、上京する。土曜日に、東京で田中正造に関するフィールドワークがある。その前日、猫を数匹飼っているS宅に宿泊することになっている。新築の家だ。

 はたしてどういう家か。何でも山小屋風だとかいっていたが。

 今度の上京が、気分転換になればよいと思っている。



MEMO:田中正造ゆかりの地を歩く

毎日新聞 2013年11月08日 東京朝刊

 足尾銅山鉱毒事件解決のため奔走した政治家、田中正造のゆかりの地を歩くフィールドワークが23日、東京都台東区で実施される。題して「田中正造を巡る人々を向島に訪(と)う」。午前8時半、台東区民会館9階に集合。同会館で学習会の後、午後から浅草寺、勝海舟像、榎本武揚邸跡などを歩く。主催は「田中正造に学ぶ会・東京」。今年は正造没後100年にあたり、同会は多くの人の参加を呼びかけている。資料代1000円。昼食は各自が用意。事前申し込みは不要。問い合わせは同会の鮎澤さん(03・3966・1715)。


 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天下国家を論じる」

2013-11-19 20:42:59 | 読書
 渡辺京二の『近代の呪い』(平凡社新書)を読んだ。渡辺の論説は、いつも刺激的である。

 フランス革命のとらえ方の再考を迫る「フランス革命再考」も触発されたが、「近代と国民国家」がもっとも刺激を受けた。渡辺は、近代が「自立的民衆世界」を消した、という。民衆は、本来天下国家を論じるまでもなく、自立的な民衆の世界で生きてきた。しかし、近代国民国家は、民衆に「国民意識」をつくりだし、「天下国家」を意識せざるをえなくなった。

 なるほど、民衆は、本来、天下国家なんか論じたくはないのだ。考えてみれば、天下国家を意識せずに生きていけたら、確かに幸せだろうと思う。ところが、近代は、国家が民衆を、精神的にも、あるいは時には身体的にも、ある意味「虜囚」のようにする。その最たるものは、徴兵である。しかしこれは社会科学的な理解。

 そうではなく、この論考を読んで、ボクは考える。庶民は、今も「天下国家を論じる」という世界には住んでいない。ほとんどの人がそうだ。天下国家を意識せずして、あたかも自立的にいきているように生きている。

 しかし、国家の側は、そういう民衆の意識とは無関係に、国家の側の都合で、民衆を放っておいたり、ときには「虜囚」にする。国家の側からすれば、民衆は操作の対象でしかない。

 国家と民衆の生活との関係を、渡辺の指摘にもとづきながら考えることをしていく必要がある。

 ボクは、若いときから「天下国家を論じる」ことをずっと続けてきた。おそらく、この世を去るときまで、そうしていくことだろう。民衆が生きる世界が、国家から決して自立的ではあり得ない近代・現代の社会のありかたをどうやって、民衆に自覚してもらうか。難しい問題だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラック企業 日本郵便

2013-11-18 23:08:57 | 日記
 『朝日新聞』11月17日の記事に、「年賀はがき「自爆営業」 局員、ノルマ1万枚さばけず」があった。

 http://www.asahi.com/articles/TKY201311160403.html?ref=com_rnavi_arank

 このノルマは、毎年のことだ。

 昨年も書いたが、こんなバカな話しはない。年賀はがきは買う人は買う。郵便局員にノルマを課さなくても、販売総数はあまり変わらないだろう。

 結局、人々は、郵便局員の犠牲のもとに、金券ショップで少し安い年賀状を買うことができるということになる。ただそれだけだ。

 日本郵便の幹部はアホだ。同社の社員を苛めているのである。

 日本郵便も、立派なブラック企業である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理念なき市政

2013-11-18 20:10:09 | 日記
 今日ボクは、午前11時頃から午後7時頃まで浜松市役所にいた。市政について、担当者から話を聞くためだ。

 市の担当者と話していて思うことは、まず役人には二つのタイプがあるということを感じる。一つは、与えられた仕事を、余分なことをせずにとにかくこなしていくタイプ、上からの指示にロボットのように従っていても平気でいられる人。もう一つは、どんな仕事であっても、そこに自分自身の創意を組み込もうとするタイプ。どちらが多いかというと、もちろん前者。

 出世する役人にも二つのタイプがある。一つは能力はないけれども、何らかの人的つながりで役職に就くタイプ。こういうタイプは、いろいろ問いかけても、正確に対応した回答がかえってこない。要するに説明ができない。ある課から3人が説明にきたが、もっともよく説明できた人が役職ではもっとも下のランクで、説明できずにメモばかりとっていた人が課長であった。
 もうひとつのタイプは、明確に能力がある人。資料はすぐ出るし、説明もクリア。
 浜松市の管理職は、半々というところか。

 いずれにしても、今の浜松市政には、理念がない。それはなぜかというと、首長が理念を持っていないからだ。浜松市の首長は、某社の会長兼社長が推薦する者が就任する。市政の中身は、彼と彼を取り巻く人々が決定する。首長は、ただそれを実施していくだけ。

 理念なき行政に、理念を訴える。もちろん理念だけではなく、それに基づいて、具体的な政策を提示するのだ。

 そのために、ボクは昨日まで、地方自治に関する文章を書いていた。

 そういえば、『朝日新聞』の10月31日の夕刊(全国版)に、浜松・中田島海岸(県は篠原海岸と呼んでいる)の海岸浸食の記事が載った。これに関する新聞記事は、はじめてだ。メディアは、なかなかこの問題に関心を示さなかったのだが、やっと関心をもつ記者が現れたのである。
 ところが、この記事について、最近ある市議会議員が担当課に話したら、その記事を知らなかったという。浜松市には広報広聴課がある。この課は、浜松市に関する記事を当然集めているはずだ。しかし担当課の誰もこの記事を読まず、広報広聴課などからも連絡がなかったようなのだ。

 今、広報広聴課は、ゆるキャラの「家康くん」の売り込みに、市長の意向を受け、全力を傾けている。だからかもしれない。海岸浸食よりも、天然記念物のウミガメよりも、「家康くん」。それが、浜松市政なのだ。 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013-11-17 21:04:00 | 日記
 学生時代、展覧会によく行った。つきあっていた女性が美術が好きで、彼女に誘われるままについていった。

 西洋の風景画を集めた展覧会もあった。ボクは、画面の半分以上を空が占めるという絵に違和感をもったことを覚えている。東京に住んでいたとき、ボクの心に、空はなかった。空は単に頭上にあるものであって、見るものではなかった。それに、東京の空は濁っていた。

 最近、畑で農作業をしていると、空を意識する。ボクが耕している畑は、市街化調整区域。周辺はすべて田畑だ。だから、遮るものがない。四方には家並みがあるが、近くにはない。だから、西洋の風景画のように、頭を上げると、空が無限へと広がっている。青空を雲が流れる。夕方になれば雲が赤く色づく。その赤も、一色ではなく、無数の赤色に染まるのだ。雲と沈み行く太陽の光が織りなす空は、美しい。ボクはその美しさに佇む。

 西洋の風景画家が、キャンパスに、空をいっぱいに描いてみようと試みた気持ちがわかる。

 それ以前に、ボクが空を意識したときが二回ある。

 一回目は、夕焼けのあまりの美しさに、この世に生まれてきてよかったと思ったとき。もう一回は、つきあっていた女性が語学留学でロンドンにいってしまったとき。ボクは寂しくて、ロンドンとつながっている空を飽きもせず眺め続けた。

 キリスト教では、亡くなると「昇天する」という。いい言葉だ。無限に広がる空に昇っていく。

 そういえば、時々線香を焚くが、その煙もゆっくりと風に揺られながら空に昇っていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする