浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「新聞の信頼感低下」

2014-10-19 07:48:49 | メディア
 今朝の『中日新聞』を読んでいたら、「新聞通信調査会」が行ったメディア世論調査の結果が、小さな記事で載っていた。

 「新聞通信調査会」については下記へ。

http://www.chosakai.gr.jp/index2.html

 それによると、新聞の信頼感が「低くなった」と答えた人が、昨年の5・6%から10・2%に増えた、とある。

 その理由として、「誤報があったから」とした人が最多で28・7%、「朝日新聞の誤報問題が影響した」と同会の編集長・保田氏は説明した、という。

 しかし「誤報」なんて、山のようにある。冤罪が証明された刑事事件なんかをみると、新聞・テレビなどには「誤報」の山が築かれている。「犯人」とされた方に対する、いわれなき誹謗中傷が堂々と記事としてまかり通る。

 また『朝日』だけではなく、他紙も大きな「誤報」をしている。「慰安婦」問題に関してだって『読売』は、1985年9月27日に吉田清治を「人」欄で写真入りで紹介し、1992年8月15日にも吉田清治の証言講演の記事を掲載している。この「誤報」は訂正されたのか。

 あるいは、『読売』の「ips細胞を使った世界初の心筋移植手術」(2012年12月)、『産経』の「中国の江沢民主席が死去」(2011年7月)などなど。
 
 『朝日』は、「誤報」を「誤報」として訂正した。よいことではないか。これこそ「信頼感」を高くすることである。

 信頼感を低下させたのは、自らの「誤報」を訂正しないでおいて、他紙の「誤報」をここぞとばかりにとりあげ、大キャンペーンを、極右の安倍政権ととともに繰り広げた『読売』『産経』、そして週刊誌なのではないか。

 『朝日』が「慰安婦」問題のうち、吉田清治証言を信頼できないことだとみずからの報道を検証し、あるいは東電の吉田証言の解釈が間違っていた(ボクはこれは「誤報」ではないと思っている)としたこと、それは新聞社の自浄作用であるとして、読者は「そうだったのか」とさっと済ましていくものだったのだ。

 それを、みずからの報道を検証もしないで、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立て、下品な攻撃を繰り広げた『読売』『産経』、週刊誌、かれらがつくりだしたのが「信頼感」の低下なのだ。

 保田氏の解釈は、間違っている。
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2014-10-18 22:47:00 | 政治
 「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て    Every man over forty is responsible for his face.」ということばがある。

 最近テレビ画面に、松島という大臣の顔が大写しになる。見たくはない顔だ。顔全体に奢りがみなぎっている。他人を平気で見下す顔。

 松島という大臣は、「うちわ」に、自らの姿を印刷して配布した。さすがに写真ではない。せめてもの配慮か。

 東京大学を卒業し、「朝日新聞社」に入社、その後政治家になったようだ。

 「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉は、彼女のためにある。
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同じ手口

2014-10-18 21:43:36 | 社会
 今日の『中日』に、「ニセ電話詐欺」事件が二件報道されていた。金儲けをネタにした詐欺だ。一件は2300万円、もう一件は1350万円。両方ともだまされたのは女性。

 しかし、同じような手口でだまされた例は、新聞でもテレビでも何度も報道している。それでもこうしてだまされる。

 ボクは、なぜ?と思う。

 同じような事件が起きているのを知らないのか、それとも知っていたけれどもだまされたのか。

 ボクは、こういう事件が起きたということだけではなく、なぜだまされたのかを調べて報道すべきではないかと思う。

 でも、なぜこんなにカネがあるの?
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エボラ感染を避ける方法

2014-10-18 21:33:42 | 社会
 日本ではまだこういう記事は見られないが、エボラ出血熱に感染しないための知識が、英紙に掲載されていた。内容は、かなり衝撃的。

http://www.theguardian.com/world/2014/oct/13/how-avoid-catching-ebola
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神社本庁

2014-10-18 21:10:59 | 政治
 全国の神社を統括している神社本庁、彼らの思考は、1945年以前の、とりわけ1930年代の日本の政治社会のあり方がもっとも「正しい」と考えている集団である。
 
 ここに神社本庁をとりあげた記事を紹介する。

「在特会より危険!? 安倍内閣を支配する極右団体・神社本庁の本質」

http://lite-ra.com/2014/10/post-558.html
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人類に希望があるか・・・?

2014-10-17 22:19:52 | 日記
 エボラ出血熱、欧米でも感染者がでている。アフリカの一定部分だけで流行していただけなので、世界は放っておいた。

 しかし、今、それが静かに流行し始めている。致死率は高い。

 このウィルス対策を早急に打ち立てないと、人類はたいへんなことになる。

 下記の記事を読んで欲しい。

http://lite-ra.com/2014/10/post-556.html
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シンポ「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」(深まるファシズム化)

2014-10-17 20:54:13 | メディア
 17日に行われたシンポジウムの報告。下記のサイト。

http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f7f5.html
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「おかしい!!」という声をもっと。

2014-10-17 20:51:38 | メディア
 『毎日新聞』が、次のような記事を掲載した。こういう記事は、どんどん掲載すべきだ。今のような流れを大きな流れにしてはならない。過去に、同じような歴史を経験した日本人は、同じ過ちを繰り返してはならないのだ。


慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国・国賊」

毎日新聞 2014年10月17日 17時34分(最終更新 10月17日 17時53分)

 ◇田原総一朗さん「メディアが使うのまずい」 渡辺治さん「右翼が攻撃に使った用語」

 売国、国賊、国辱……。21世紀、平成ニッポンとは思えない言葉が飛び交っている。従軍慰安婦問題などを巡り、誤報記事を取り消した朝日新聞に浴びせられるこのフレーズ、インターネットの匿名掲示板などではなく今やメディアが乱発している。さすがにおかしくないか?

 外国人観光客も多い築地市場を望む朝日新聞東京本社(東京・築地)。ここで週2回、保守系団体による抗議集会が続いている。

 10日昼の集会に参加したのは十数人。植え込みに日の丸やプラカードを林立させ、朝日新聞不買を訴えるTシャツを着たメンバーが「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」と記されたビラを配っていた。「こんなことは言いたくないが、朝日新聞は地獄に落ちろと言いたい!」。スピーカーを使った演説に、メンバーから「そうだっ」と合いの手が入る。

 向かいのブロックには国立がん研究センター中央病院がある。病院前でのスピーカーの音量は気になるが、その言葉遣いについて、もはや驚かない自分がいる。

 何せ、朝日新聞が記事を取り消した8月上旬から「朝日新聞 『売国のDNA』」(週刊文春9月4日号)、「中国共産党に国を売った」(同9月18日号)、「1億国民が報道被害者」(週刊新潮9月4日号)、「売国虚報32年」(同9月25日号)、「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(月刊誌「正論」10月号)、「言い逃れできぬ『慰安婦』国辱責任」(同11月号)……といった文字・記事が書店やら電車の中づり広告やらにあふれているのだ。

 例に挙げたのは、いずれも大手出版社や新聞社が発行する媒体だ。誤報は批判されて当然だが、このおどろおどろしい言葉遣いは何なのか。

 時に朝日新聞以上のバッシングを浴びてきたかもしれないジャーナリストに聞いてみた。討論番組の司会でおなじみ、田原総一朗さん(80)だ。

 「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」とストレートに切り出した。

 「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」
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農業

2014-10-17 20:25:53 | 日記
 今日、さつまいもを掘り出した。バケツ一杯になった。これからしばらく芋掘りが続く。今日掘ったのは、ほんの少し。今日掘ったサツマイモも含め、それらは、各地に住む血縁者に送る。先週、「芋はまだ?」などという電話があった。掘るという行為が肉体労働であるという認識を持たない者からの電話であった。
 畑での作業は、まったく苦にならないから、こういう言い方をされてもいいのだが、こちらにも農作業の計画がある。

 昨日から、タマネギの苗を160本植えた。各地に住む血縁者からの要求でもっとも多いのがこれ。

 今植えてあるのが、キャベツ、ブロッコリー、ダイコン、レタス、チンゲンサイなど。ほうれんそうは種を蒔いたばかり。

 ニンニクは芽が出て来ている。秋じゃがは、9月になって植えたので、芽が出始めたばかり。

 収穫できるのは、にんじん、さといも、サツマイモ、冬瓜である。

 最近、畑が広すぎるという気がしてきた。これだけ植えても、まだまだ畑には何も植えてないところがある。何を植えようか。

 鍬やスコップを振り上げていると、いつのまにか暗くなる。

 昨日、夕焼けのなかを帰ろうとしたら、稲刈りをした田に夕焼けが映っていた。刈られて残った根の部分が黒々とした線となって、赤(ピンク)と黒の二重奏となっていた。「美しい」と思った。

 こういう「美しさ」を知らないままに生きることは、大きな損失だと思った。
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歴史修正主義と闘う

2014-10-17 14:17:42 | 日記
 立花隆の『天皇と東大』第三巻(文春文庫)を読み続けているが、最近の日本社会の動向と、1930年代が相似形であるという認識を深めている。

 「天皇を神とする」信仰めいたものが社会を覆っていく契機となったのが、天皇機関説排撃事件だという、立花の立論は傾聴に値する。「慰安婦」問題を契機にした『朝日』バッシング、それに『読売』、『産経』だけではなく、週刊誌が加わり、国民意識を反『朝日』に持ち込み、「慰安婦」は問題にすべきではないというような歴史修正主義の言説が力を得ている。

 1930年代、偏狭なナショナリズムが、ナショナリストらの暴力的な言動と一緒に台頭してくるために、常識的な人々は彼らの言動を苦々しく思いながら、言論での批判は行うが、それ以外の行動は、「彼らのような言動はよくない、同じ穴の狢になってしまう」というようにしてこなかった。だが、その暴力的な言動が、後に破滅へ向かう進路をつくりだしてしまった。

 そういう歴史を振り返るなかで、あのヘイトデモに対するカウンターデモがヘイト集団とよく似た言動を行うことに批判的な言説が存在するが、しかしああいうヘイト集団に対しては、徹底的に抑え込むことが肝要であるという認識をボクは持ち始めた。おとなしい、言説だけのカウンターでは、彼らの動きを抑えることはできない。そもそも警察権力は右翼集団と手を携えてきたのであって、そういう歴史をみると、警察権力が彼らの暴力的な行動を抑えることはしない、とすると、彼らの暴力的な言動を徹底的に抑え込むためには、カウンターのある種暴力的な言動も許されるのではないかと思うのだ。

 デモクラットは、あまりに理性的に行動するために、暴力的な集団の動きは止められないし、権力も彼らを抑えない。しかし抑え込まないと、歴史の歩みを歪めることになりかねないのである。

 ヘイト集団をはじめとした偏狭なナショナリスト批判のメディアは少ない。『週刊金曜日』、『世界』、『現代思想』くらいだ。『週刊金曜日』は毎週、果敢に彼らと闘う姿勢を明確に示している。『世界』も、きちんとした論説を載せている。

 こういう「転換点」にある時、ボクたちは勇気を持って闘わないと、またあの歴史を繰り返してしまう。歴史に学び、歴史修正主義と闘うこと、これが歴史を学ぶ者に課せられている。
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女性に対する暴力

2014-10-15 22:43:48 | 国際
 イスラム教という宗教に、大いに疑問を持つ。ボクは、コーランを読んだことはない。現在の社会に生きているということは、イスラムについても知っておかなければならないと思う。日本には高名なイスラムの研究者に井筒俊彦がいるから、読まなければならない。

 だがしかし、最近イラクやシリア周辺を支配しているムスリムの「国」、「イスラム国」に関する情報をみていると、そこには、暴力が吹き荒れているようだ。

 「イスラム国」は、奴隷制を復活させたのか。以下は、時事通信配信記事。

少数派の女性を戦利品に=イスラム国「奴隷復活」宣言

時事通信 10月14日(火)14時30分配信

 【バグダッドAFP=時事】イラクとシリアで勢力を拡大する過激組織「イスラム国」は12日発行のプロパガンダ誌の中で、イラクで拘束したクルド人少数派ヤジディ教徒の女性や子供を「戦利品」として、戦闘員に分け与えていると明らかにした。
 イスラム国側がヤジディ教徒を「奴隷」として扱っていることを明確に認めたのは初めて。
 イラク北部シンジャル山周辺では8月、イスラム国に追われたヤジディ教徒が孤立。米軍がイラクでの空爆に踏み切る理由の一つとなった。現在も数百人の女性や子供の行方が分かっていない。
 プロパガンダ誌は「奴隷復活」と題した記事で、「捕らえたヤジディの女や子供は、シャリア(イスラム法)に基づいて、シンジャルの作戦に参加した戦闘員に分け与えた」と強調。キリスト教徒やユダヤ教徒には「税金」支払いや改宗という選択肢も与えるが、多神教のヤジディ教徒には適用されないと明言した。


 1993年、国連総会は、「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」を決議しているが、それから20年、今以て、女性に対する暴力はなくならず、「イスラム国」は女性を「戦利品」としてドレイとしているようだ。イスラム法はそれを正しいとしているのだろうか。

 それならば、イスラム教は否定されるべきものだ。
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【本】想田和弘『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)

2014-10-14 14:38:14 | 
 現在の日本は、ファシズムに向かっているのではないか、という現状認識にもとづき、想田はそれに対してどうしようとするのかという実践的な内容をもった本である。想田は、そういう現状から逃げずに、対峙していこうという姿勢をもつ。

 帯には、「現代的なファシズムは、目に見えにくいし、実感しにくい。人々の無関心と「否認」の中、みんなに気づかれないうちに、低温火傷のごとくじわじわと静かに進行するものなのではないか。」とある。

 「ファシズムに「熱狂」は必ずしも必要ないのではないか」(7頁)。確かにそうだ、日本社会全体を見れば、である。だがボクは、まったく「熱狂」がないとは思わない。一部に「熱狂」がある。その「熱狂」が、暴力的な行為と付随してやってきたとき、ファシズムは不動のものになるのではないかと思う。

 戦前日本の日本型ファシズムを「天皇制ファシズム」という。確かに1930年代後半から、日本社会に「熱狂」が覆い始め、1941年12月からは国民がその「熱狂」に没入するようになった。だがそれ以前は、日本社会には「熱狂」はなく、一部の「右翼」らが「熱狂」的に動いていたのではなかったか。そして彼らがテロなどの暴力を背景にして政治権力を動かし始めたとき、「熱狂」が日本社会を席巻していったのではないか。

 ドイツなどヨーロッパ的な「熱狂」のなかにファシズムが権力を掌握するということは、戦前日本でもなかったのではないだろうか。

 だからボクは、現在と戦前(1930年代)とは、現象的にはあまり変わってはいないと思うのである。

 「日本全体としてみれば、世の中は「恐るべき無関心」とでも呼ぶべき何かに厚く覆われている」(68頁)、そういう事態が1930年代にもあったのではないだろうか。そしてそのなかを「熱狂」した一部が盲動を始めた。

 その「熱狂」が、暴力と既成の権力機構を利用して、「ものを言いにくい雰囲気」をつくりだし、そして「熱狂」という一つしかない道に国民を導いていき、そして破滅した。その道を、今また日本は歩み始めようとしている。

 本書は、現在、ボクたちが生きる社会を、映像作家である想田が、ことばでもって分析し、そしてボクたちに警句を発する。

 日本人は、昔から「基本的な信頼感」、為政者は自分たちをひどい目に遭わせるようなことはしないであろうという、そういう「信頼感」、まったく根拠のないそれを、持ち続けているのだろう。為政者はそれを利用して、経済的支配層と共に、カネを儲け、権力をふるい、庶民を支配してきたのだ。そういう心性は、丸山真男ではないが、「日本の古層」として存続してきた。力ある者になびく、同調するという心性。

 だから、そうした心性を変えるのは、とてもとても難しい。「時流」をボクたちがつくり出さないかぎり、ボクたちが「力ある者」にならないと、変わらない。
 
 この本、よい本である。教えられ、考えさせられる。
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歴史に学ぶということ

2014-10-13 08:20:48 | 社会
 立花隆の『天皇と東大』(文春文庫)の第三巻に読み進む。第三巻には、『原理日本』(1925年創刊)と蓑田胸喜のことが記されている。

 蓑田は狂信的かつ戦闘的な日本主義者。自らの主義主張とあわない人々に果敢に攻撃を仕掛け、その攻撃に多くの人々は敗退していった。
 吉野作造、滝川事件、天皇機関説排撃事件、津田左右吉事件、人民戦線事件、河合栄治郎事件・・・その背後には、蓑田と原理日本社の動きがあった。昭和初期のマッカーシー旋風であった。

 自分たちが気にくわない人々に「反国体思想」、「不忠反逆思想」・・・などとレッテルを貼り、そして国家権力に弾圧を求める。

 まさに今、日本では同じようなことが行われている。自分たちの反知性的な情動に合わない者やメディアを、「売国奴」、「反日」などと攻撃し、さまざまなかたちで、犯罪的な手口で攻撃をしかける。

 1930年代の、日本が侵略戦争の拡大に突き進んでいこうとするときの政治社会情勢との相似形を感じる。それはボクだけではない。

 今、蓑田のような人物が、政治権力の頂点にあるのだ。そしてそれを閣僚、自民党、そして財界までもが支えている。

 1930年代の構図よりも、より悪いといってよいだろう。まだ彼らが「売国奴」などと呼ぶ人々が官憲に取り締まられていないのは、日本国憲法があるからだが、しかしもし改憲され、自民党憲法改憲草案が実施されたらと思うとぞっとする。

 今こそ、1930年代の歴史を学んで、「繰り返させない」認識を深めなければならない。
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ヴォンフォン

2014-10-12 23:26:15 | 日記
 今ごろ九州で荒れ狂っている台風19号。いずれこちらにもやってくるのだろうが、今はとても静かである。家の外では、秋の虫が涼やかな音をたてている。

 この静かな夜、ショパンのノクターンが聴きたくなった。CDをさがして聞き始める。

 さてこの19号、その名は「ヴォンフォン」。マカオがつけた名で、スズメバチの意味だそうだ。なるほど、そんな気がしてくる。この夏、スズメバチの巣を実家で見つけた。まだ作り始めの頃だったので、殺虫剤を噴霧した。スズメバチに刺されると死ぬこともあるというから、恐ろしい。

 昨日、遠鉄百貨店のお得意様セールに行った。お得意様では全然ないのだけれども、以前ボクの友人がその百貨店の部長だったので、その関係から年二回のセールの入場券が送られてくるようになった。それ以降、服や靴などはこのセールでしか買わなくなった。ここはかなり安いから、店頭では買えなくなってしまったのだ。その友人は、退職して得度した。その理由は不明である。
 
 スズメバチにでも、刺されたのだろうか。
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台風19号

2014-10-12 22:44:51 | 日記
 台風19号が明日当地にもやってくるという。最近台風がよく来る。地球温暖化の影響をもろに受けているということなのだろうか。

 明日午後、ボクが属している研究会の総会・記念講演が予定されていたが、参加される方々の「足」のことを考え、中止とした。

 昨年の9月16日、大杉榮らの墓前祭の時にも台風が襲来した。しかし台風は開始時刻の直前に、台風は去って行った。その時、伊藤野枝の「吹けよ、あれよ、風よ、嵐を」のことばが浮かんだことを思い出す。

 しかし明日は、総会/記念講演会の後に台風が襲来するが、それ以前から大荒れだと天気予報はいう。

 中止は、1979年の創立以降、はじめての事態である。


 
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