浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

本が来た

2014-10-24 22:42:52 | 読書
 大野更紗さんが推薦していた『病院の世紀の理論』(有斐閣)がきた。その価格は、4000円+悪税。ボクはひとが推薦した本をよく読む。その人が本を読んで知ったことを知りたくなる。大野さんが知ったことを、僕も知りたいというわけだ。この本は図書館にはなかったので仕方がないから購入した。医学史というか医療の歴史の本である。

 もう一冊は、井筒俊彦『イスラーム文化』(岩波文庫)。ボクはほとんどイスラームを知らない。現在のイスラーム圏の混乱はアメリカをはじめとした欧米諸国が導き出したものではあるが、イスラーム文化を知ることはとても大切なことだと思う。井筒氏は、イスラーム思想の権威である。

 昨日オタワでテロ事件が起きた。ボクもカナダ・オタワに行ったことがある。友人のカナダ人がオタワに住んでいたので訪問したのである。彼の父はオタワの市議会議員、自然保護運動をしている。
 ついでにケベック、モントリオールにも行ったが、カナダは自然が豊かでとても落ち着いた地域であった。そういうところでテロ事件が起きた。

 世界は危険な時代に入っているように思う。エボラ、テロ・・・・経済生活の不安定を含めて、不安の色が濃くなっている。

 エボラの場合は、アフリカのなかで抑え込むこと、テロはイスラエル・パレスチナ問題を解決すること、そして新自由主義経済学を乗り越える学説が力を持つこと、いずれにしても人々が目的意識的に動き回ることが肝要だ。そうした動きにどれだけ力を添えることができるか。とりあえず、「国境なき医師団」にカネを送ろう。
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紅葉

2014-10-24 22:42:41 | 日記
 今日は民生委員だった人たちの小旅行につきあった。下伊那地方。紅葉が美しかった。その紅葉を見ながら、最近紅葉を見に行くことがなくなっていたことに気づいた。

 昼食は松茸づくし。こんな贅沢をしてよいのかと思った。

 民生委員だった人たちは善人ばかり、同時に自分はまったく生活に困ってはいない。

 社会のなかの矛盾を感じる。
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政治資金は打ち出の小槌

2014-10-23 20:59:13 | 
 今日の新聞広告、『フライデー』の見出し。

 関係者逮捕、議員辞職への一本道
 小渕優子「総理候補が聞いて呆れる」お嬢様のモラル破綻
 政治資金は私のサイフ、今半、スタミナ苑、富麗華ほかで美食三昧、銀座で化粧品、ストール購入、
 子育ても政治資金で→銀座でベビー服、Xマスには高額オモチャ


 要するに、領収書がでたら、それはすべて政治資金にまわすと言うこと。

 政治資金には、国民の税金がつかわれている。よく公務員攻撃のとき(公務員の給与は高い?などという攻撃。ついでに公務員の給与が下げられると民間のそれも下がることを指摘しておこう)、「お前ら税金で食ってるくせに」ということばが浴びせられる。しかしその際、小渕や、秘書かどうかは知らないがSMバーで政治資金をつかった宮沢という国会議員らに、そうした罵倒はつかわれない。政治家こそ、こうした税金の使い方をしているのに・・・・
 公務員攻撃は、だから為にする攻撃。

 さらに母親が住む家は、売った後(売った代金はがっちりいただき)、母親はタダで住む。小渕一家は、何にもカネはかからない。

 こういう人が議員として、消費税アップなどをきめていく。庶民の苦労なんて知るわけがない。消費税8%はホントに高いことを実感しているボクとしては許せない。

 しかし小渕議員の地元は、おそらく彼女を擁護するのだろう。そうした政治風土が続いている。
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問合せ

2014-10-23 20:09:51 | 近現代史
 今日、東京でテレビ番組制作の会社をやっているHさんから電話が来た。Hさんとはもう40年近くのつきあいである。
 彼からの問合せは、戦時中、伊豆大島の飛行場建設労働に朝鮮人が動員されたいたという証言があるが、それを確かめる手段はあるか、というものであった。彼は、その中で自治体史にはそういう記述はないが、と言っていた。

 残念ながら、自治体史にはそういう記述は、おそらくない。自治体史の対象とする地域は、おそろしく狭い。とくに近現代は。
 古代から中世までは史料がないので、どうしてもその自治体をこえた地域を対象として記述せざるを得ない。ところが、近世以降は史料が発見されるので、当該自治体の区域の動きだけが叙述される。それは近現代も同じ。

 しかし、と思う。日本近現代史は、植民地支配と侵略戦争をその構造に組み込んでいた。それは地域に於いても例外ではない。地域の人々が植民地支配と侵略戦争を担っていたのである。どこの地域にも朝鮮人が労働力として来ているし、あるいは地域の人々が朝鮮や台湾などに行き、そしてそこから戦争直後に帰ってきているはずだ。そして当然にも、その地域の人々が、そこから戦争に行っている、兵士として、あるいは看護婦として。

 そういう事実を書かない自治体史は、日本近現代の地域史を描いたことにはならない、とボクは思う。実際、ほとんどの自治体史は、それを無視している。そのことを指摘したら、某氏から、「そんなことを書いて、自治体は喜ばないだろう」と言われたことがあった。

 さて、朝鮮人が来ていたことを確かめるためには、まず自治体史で集めた資料をさぐることである。叙述されていないことでも、それに関する資料はあるかもしれない。次ぎに、朝鮮人がどこに宿泊したかである。証言を集めればそれはわかるだろう。集団を宿泊させられるところは、だいたい国民学校(小学校)であるから、「校務日誌」をみる。ボクは、朝鮮人の「農耕隊」については、それで事実を把握したことがある。そのほか、役場でも「日誌」をつけている。それに記されてるかもしれない。もちろん、それ以外にも、それを端的に示す資料が残されている可能性もある。
 ただ、戦争直後に政府から資料の焼却命令が来ているから、とくに朝鮮などに関するものは消されていることも考えられる。

 そしてその後に必要なものは、執念である。とにかく見つけるぞという意欲である。

 以上のようなことを話した。
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ウルトラ・ナショナリストは「戦前」が理想

2014-10-23 18:56:45 | 政治
 1945年8月の敗戦があってはいけなかった人々が、今の政権を担っている。1945年8月以降の「戦後改革」は、当然のごとく否定される。

 だから、第一次安倍政権では、民主的・平和的な人格の育成を謳った格調高い教育基本法が教育勅語に向けて改悪された。今後、戦前の政治社会に向けて、安倍政権は邁進していくことだろう。

 その一つがこれ。「道徳の教科化」である。『琉球新報』の社説。

<社説>道徳の教科化 価値観押し付けを危惧する2014年10月23日

 中教審が「道徳」の教科化を答申した。国による価値観の押し付けにつながりかねない動きだ。

 答申は、現在は正式教科ではない小中学校の「道徳の時間」を教科として位置付け、検定教科書や評価制度を導入する内容だ。

 授業は原則として担任が行い、評価は数値ではなく記述式にするというが、子どもの内面に踏み込む分野をどう客観的に評価するのか。甚だ疑問であり、教育現場に混乱をもたらしかねないことを強く危惧する。

 道徳の教科化はもともと、教育改革に熱心な安倍晋三首相が強い意欲を示してきたものだ。

 教育基本法を改正し愛国心条項を盛り込んだ2006~07年の第1次安倍政権下の教育再生会議も道徳の教科化を提言したが、検定教科書や点数評価、教員免許などをめぐり中教審では慎重論が根強く、教科化は見送られていた。

 だが第2次安倍政権は発足間もない昨年1月に教育再生実行会議を設置。同会議は11年の大津市の中2いじめ自殺事件などを踏まえて議論し、いじめ対策と関連付ける形で道徳の教科化を同年2月に提言した経緯がある。

 さらに文科省は教科化に賛成する委員で固めた有識者会議を設け、検定教科書や評価導入を盛り込んだ報告書も作成していた。中教審が議論する前から教科化の方向性が示されていたのは明らかだ。

 特定の価値の押し付けにつながりかねない教科化やそのための検定教科書には自民党や文科省内でも否定的意見があった。だが愛国心教育で首相と気脈を通じる下村博文文科相が押し切っている。

 教科化は、戦前の「修身」の反省の上に立つ戦後日本の教育の重大な転換点となるはずだ。安倍政権は本年度内には教科書作成の基本となる学習指導要領を改定するという。愛国心教育を推進するための基盤づくりとして教科化を急いでいるとしか思えない。

 教科化に対する学校現場の不安は根強い。専門家からも「子どもは本心を隠して迎合した発言しかしなくなる」(教育評論家・尾木直樹氏)などの声がある中、教科化を進めることは間違っている。

 子どもたちの多様な価値観を養い、自ら物事を考えて社会で健やかに成長していくために学校教育に何が求められるのか。国民的な議論を喚起する中で、望ましい道徳教育の在り方を模索すべきだ。

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「サラリーマンの奴隷化」

2014-10-23 08:15:11 | 政治
 テレビなどで放映される街の声、もちろんテレビ局が編集しているのだろうが、それらをみていると、日本人はホントにお人好しというか、国家(政治権力)に対する警戒心がないというか、あるいは政府を根拠もなく信じてしまうとか、そういう感じがする。

 1980年代くらいまでは、そういう感じでもよかったのだろうが、新自由主義の政策が導入されるようになってからは、質的に大きな変化が起きていることを知らなければならない。マルクスが指摘したように、あるいはレーニンが指摘したように、支配層の側(つまり支配階級)は国家をみずからの階級支配の道具として位置づけ、それを駆使しながらみずからの極大利潤を獲得しようと動いている。その姿には庶民に対する遠慮は見られない。
 支配階級のそうした欲望実現を妨げそうな勢力(労働組合、大学、弁護士団体など)を攻撃して大幅に力を削ぎ、庶民の利益を擁護するような中間社会団体を骨抜きにして、庶民をばらばらにして、彼らの欲望を実現する手段として庶民を位置づける、そうした動きが強まっている。

 そのなかで、労働者は極大利潤を実現する手段であり、「駒」である。かくて労働者は、ティッシュペーパーのような「使い捨て」の対象となる。

 その実態。

http://lite-ra.com/2014/10/post-570.html

 
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【本】立花隆『天皇と東大』全四巻(文春文庫)

2014-10-22 20:59:02 | 読書
 立花隆は「あとがき」で、「いまの若い世代は驚くほど、歴史を知らない。とりわけ近現代史の現代に近い部分がポッカリ穴が開いている。」と記している。

 高校生の時、ボクが学んだ「日本史」は、第一次世界大戦で終わった。「それ以後は自分でやっておけ」というようなことを言われた記憶がある。だから学校で「昭和戦前史」を学んだことはない。とはいっても、「歴史を知らない」と言われたことはない。
 ボクらの世代は、岩波新書を読むのが当たり前であった。だから遠山茂樹らの『昭和史』など、「昭和戦前史」などは自ら読んでいた。

 高校などの学校教育で教えられたから歴史を知る、ということではなく、自主的に本を読んだりすることがなくなったから、「歴史を知らない」のではないか。

 こういうことを言っていても仕方がない。とくに1930年代の歴史はしっかり知っておく必要があると思う。

 この『天皇と東大』は、問題意識があんがい鮮明なので、「昭和戦前史」を学ぶにはよいテキストとなると思う。特に第三巻はよかった。

 現在、1930年代に学問の自由を攻撃し続けた蓑田胸喜のような人物が増えているようだ。蓑田は「原理日本」で騒ぎ、権力にたれ込み、「右翼」を動員して、学問の自由や東大のリベラリストを攻撃し続けた。その結果、蓑田の主張が大きな力を発揮するようになり、歴史を大きく右旋回させた。その行き着く先に1945年の敗戦があった。

 同じ歴史を繰り返させてはならない。
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【本】山代巴『私の学んだこと』(径書房)

2014-10-22 10:42:14 | 
 山代巴は、作家である。またいろいろな活動に参加した人でもある。戦前には、治安維持法によって下獄した人である。刑務所にいるとき、夫が獄死した人である。

 そして1945年。山代は広島県で活動を始める。その問題意識は、「どうして戦争を阻止できなかったのか」というものである。同時に、どうしたら地域を民主的なものにすることができるか、ということである。

 そのために山代は、動き、学び、考え、書く。

 治安維持法体制は崩壊したが、目の前には封建的な意識をもった人々が住む地域があった。「日本国憲法」が現れたからといって、日本社会が民主的で平和意識に包まれるわけではない。

 だから山代は、過去を振り返り「なぜ」を考え、そして目の前の現実をどう変えていくのかを必死に考え行動していく。

 ここには、戦争直後のある種解放された生々しい清新なものがあった。

 彼女は、中井正一に学び、武谷三男に学び、ロマンロランを学び、そして天皇制ファシズム下に活動した人々から学び・・・・・というように、学ぶ。しかしその学ぶというのは、学ぶために学ぶのではなく、現実を変革するために学ぶのである。

 今、再び「戦争への道」が論じられる時代、ボクたちが学ぶべきは、1930年代の「戦争への道」が具体化し、そして破滅に向かっていく時代と、その破滅の後、日本にどういう社会をつくっていくのかを考えた1940年代後半の時代ではないか。

 次々と新しい本が出版されるが、過去となった人々が動き、考え、書いた諸々の知的遺産に学ぶべきではないか、そう思い始めた。

 ボクたちは何のために学ぶのかといえば、それは現実の否定的な政治や社会のありかたを、何とかしたいからだ。そうした志をもって生きた無数の人々が遺した遺産を、ひょっとしたらボクたちは継承していない。

 
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田中正造

2014-10-21 20:44:43 | 近現代史
 足尾鉱毒事件で有名な田中正造。正造にとって静岡は、河井重蔵、大村和吉郎など同志が住むところであった。

 今日、旧知の正造研究者が、新しく発見された正造の書簡を見たいというので案内した。『下野新聞』の記者も同行してきた。正造は、栃木の人。昨年は正造没後100年ということで、同紙はそれにかなり紙面を割いたという。今日の訪問も、いずれ同紙に掲載されるだろう。

 正造については様々な研究があり、全集も刊行されているが、河井や大村については、どういう人生を送ったのかがわかっていない。

 正造と大村、河井との共通点は、立憲改進党系の議員であること、また河井とは同じような鉱毒事件(久根鉱山)に関わったこと、であるが、それ以上のことはわかっていない。

 今日、いろいろ話をしていて、わからないことが多いことがよくわかった。

 しかし、掛川で発見された正造の新史料、史料を所蔵している地元の教育委員会、そしてメディアも、その重要性に気づいていないようだ。『中日新聞』は、掛川地域の版では写真入りで報じているが、浜松版では小さな見逃してしまうような記事だった。鉱毒事件があった久根鉱山(これも古河鉱業が所有していた)は浜松市(旧佐久間町)にあるのだから、浜松も正造と無関係ではないのである。

 さて今日いただいた資料(石井鶴吉編「義人田中正造翁逝いて38年」)には、正造の病床見舞いに、「静岡県田方郡選出の衆議院議員大村和吉郎氏は田中翁の急を聞き、帝大在学子息を伴ひ病所を訪いて面会を乞いしに、・・・」(A)とある。1913年8月のことであった。

 だが、「静岡県田方郡選出の衆議院議員大村和吉郎氏」とあるが、この時点で大村は衆議院議員ではなく、また子息が「帝大在学」はしていない。大村の子息は、早稲田卒業である。
 別の資料には、1913年8月24日「静岡県の河井重蔵代議士が見舞われた」(B)(島田宗三『田中正造翁余録』下巻)とある。

 子息である河井弥八は帝大卒であることは確かであるが、「在学」はおかしい。というのも、弥八は1877年生まれ、1913年では36歳となっている。弥八が帝大を卒業したのは、1904年である。

 この二つの資料だけでは何とも言えないが、河井も大村も正造の見舞いに来る必然性はある。(A)(B)の二つの資料によって、1913年8月、重蔵の子息・弥八が重蔵と共に見舞いに来たといえるのかどうか。

 つまり、他の資料が出てこないと、何とも言えない、ということである。

 
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安倍政権の女性登用

2014-10-21 20:31:41 | 政治
 安倍政権については、欧米のメディアは極右政権であると認識しているが、それだけではなく、安倍政権が登用した女性は、極右というだけではなく、傲慢な人が多い。

 片山さつきについての記事。彼女は静岡県西部の選挙区から立候補しているが、ポスターは何十年も前の写真をつかっている。勝手なことを言ったりやったりして、反省のない人。

 これは『毎日』。
 
参院外交防衛委:政府想定問答読む片山さつき委員長問題に

毎日新聞 2014年10月21日 18時41分(最終更新 10月21日 20時30分)

 参院外交防衛委員会の片山さつき委員長(自民党)が21日の委員会審議中に、政府側が閣僚らの答弁用に用意した答弁資料(想定問答)を読んでいたことが問題となり、審議が中断し散会となった。野党は「委員長の公平中立性が疑われる」と反発しており、与党内からも片山氏の辞任論が出ている。

 片山氏は16日と21日の委員会で、事前に政府側に外務・防衛両省と内閣官房の想定問答を要求し、与野党議員の質疑にあわせて読んでいた。片山氏が自民党参院幹部に認めた。
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中井正一のことば

2014-10-20 20:40:56 | 読書
 山代巴の『私の学んだこと』のなかに、中井から教えられたことばがあった。それが感動的なので紹介しておく。

 あの山の稜線は、静止しているように見えるだろう。でも闘っているんだよ。大気と大地との闘いの最前線なんだよ。君たち山へ登って分水嶺に立ったとき、そこは雨に叩かれると土砂になって、少しずつ流れていることを知るだろう。われわれの日々も歴史を知り、歴史の進歩にかかわって生きている限り、外からは何もしていないように見えても、常に闘っているんだよ。今日われわれは何ほどかのことをしてきたが、それはあの山の稜線が雨に打たれて土砂に変わるための一滴の変化はもたらしている、こういう、一滴、一滴の行為が積み重なって、平和と民主主義の歴史は前進するんだよ。
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もう一度、「かいほうかん」

2014-10-20 20:07:03 | 読書
 今日、4冊の本が届いた。しかし今はその本を読むのは待とう。

 今、『天皇と東大』第四巻を読んでいる。戦争へと進んでいる1930年代から40年代初めの歴史である。暗い野蛮な時代である。

 同時にボクは、山代巴の『私の学んだこと』(径書房)を読んでいる。こちらは、戦争が終わり、人々もふたつの「かいほうかん」(開放感、解放感)に包まれながら、地域で新しい民主的な社会をつくろうという清新な時代が描かれている。大正デモクラシーの匂いをかいだ教員、天皇制ファシズムに抵抗した中井正一などから、新しい知識を学び、議論し、活動する。特高の抑圧がなくなり、人々が自由に動き回る。

 こういう時代があったということが、忘れられている、と思う。

 来年は、戦後70年である。戦争を振り返るのもいい、しかし戦争が終わったばかりの「かいほうかん」の時代がどういう時代であったのかを描くのも大切ではないか。

 戦争が終わったとき、全国各地はこの「かいほうかん」に覆われたはずだ。この「かいほうかん」をもう一度想起しよう。
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ノーテンキ

2014-10-20 19:04:18 | 政治
 選挙を媒介にして、国民と政治とが結びつく。政治をどうするのか、どんな政治がよいのか、そうした問題意識をもちながら選挙に行き、投票する。

 しかし、政権交代による民主党政権に失望した国民のうち、政治的な意識を一定もっていた人々の多くは棄権にまわり、旧態依然とした意識の中にいる人々は、一方ではタレントの人気投票よろしく非政治的態度で投票し、他方では直接的な「恩恵」を与えてくれる人に投票する。

 直接的な「恩恵」の端的な例は、明治座に安い会費で連れて行ってくれる政治家、国民はそうした政治家に投票する。その政治家がどういう思想をもっているか、政治家としての力をもっているかなんて、どうでもよいのである。

 いずれは総理大臣か、となぜか言われていた小渕優子。しかしボクから見ると、軽い軽いノーテンキな人物。知的能力があるわけではない。ただ父親が政治家であったというところから、政治家となった女性である。

 日本の政治の世界は、世襲制。親などから、地盤、鞄(カネの入ったカバン)などを受け継いで政治家になっていく。

 まあしかし、国民全員が政治意識を磨き、政治について議論するなんてことはまったく想像できないから、普通は何となくできあがる「時流」が政治の行方をつくる。

 ただし、何らかの強い政治志向をもった者が総理大臣になると、当然彼には政治権力が集中するから、一定の「時流」をつくりだすことができる。その「時流」は、時として危険な方向へ国民を流していくことがある。

 今は、そういう時だ。

 「時流」をつくりだす政治志向をもった政治家の周囲にノーテンキな政治家が侍り、ノーテンキなアナウンサーたちがその政治志向をノーテンキに報じる。

 さて、小渕優子は、大臣だけではなく、議員も辞職すべきである。もちろんあの松島みどりという議員と共に。


 
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テッサ・モリス=スズキ教授の「慰安婦」問題と安倍政権について書いていること

2014-10-19 14:19:27 | 政治
 いつも鋭い問題意識で、現実を鮮明にさせてくれるテッサ・モリス=スズキ教授が、安倍政権がおこなっている「慰安婦」攻撃について、鋭い発言をしている。

 下記のサイト参照。

http://blog.tatsuru.com/2014/10/19_0924.php
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矢内原忠雄

2014-10-19 12:22:55 | 政治
 今日、『言論抑圧 矢内原事件の構図』(中公新書)を注文した。1930年代、自由、平和が危機を迎えた時に「時流」に抵抗した人物、それを知るためである。

 抵抗者としての矢内原忠雄。

 ボクが尊敬する無教会派のクリスチャン、故溝口正先生は、文あるいは話の中でしばしば矢内原忠雄に言及されていた。無宗教のボクは、クリスチャンとしての矢内原ではなく、学者としての矢内原からはいろいろ学んでいた。しかし、学者として、人間として、クリスチャンとしての面は、矢内原の人格のなかで、いうまでもなく統一されている。その統一された人格により、矢内原は時流に抗していたのである。

 『天皇と東大』第三巻(文春文庫)の最後のあたりで、立花隆は、時流に堂々と抗する言論を行った河合栄治郎、矢内原忠雄について述べている。

 矢内原は、2・26事件について、こう記している。「血気の勇ありて正義なく、信念ありて知識なく、暴力に恃んで国事を左右せんとす」。見事な批判である。

 「私は真理のために自分の公に言うべきことは言う。しかしそのため私自身に批評とか弾圧とかが加わっても、一切弁明もせず抵抗もしない。そう態度を決めていたのである。その後の戦においても、私は大体この態度をもち続けたが、その結果は、公のためにも、また私一己のためにも、損失となったよりもむしろ利益となったことが多い。これは言うまでもなくイエスより学んだ戦闘の原則であった」

 なるほど、故溝口先生も、「公に言うべきことを言う」姿勢を、ずっと貫いておられた。矢内原に言及するということは、こういう生き方に共通点を持っていたのかと、今更ながら合点がいった。

 「真の愛国心は国家以上に宇宙の公理としての道義を認め、その道義によって自己の現実国家を批判し、道義に反したる点は之を指摘匡正して以て道義国家の理想に近づけ、道義の光をその中より放たしめんとするものでなければならない。故に真の愛国心は国家の利益を考えずして、国家の道義を考える」

 格調高い文である。まさに1930年代から40年代前半にかけての、道義が廃れた、あるいは道義が無残に踏みにじられた時代とよく似た現在の日本に、鋭く突き刺さる文である。

 故溝口先生が矢内原に言及されていたのは、ボクに矢内原をもっと学びなさいと示唆していたのかもしれない。

 我が日本を、「道義国家の理想に近づけ」る努力が、本当に求められている。
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