都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
スマートなゲルギエフ
NHK-FM ベストオブクラシック(5/11 19:30~)
曲 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番K.466
ショスタコーヴィチ 交響曲第9番作品70
指揮 ワレリー・ゲルギエフ
演奏 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ マルクス・シルマー
収録:オーストリア・ウィーン学友協会 2006/4/23
久々にベストオブクラシックへ耳を傾けてみました。(時間の関係で2曲目のモーツァルトからです。)ゲルギエフとウィーンフィルという豪華なコンビによるモーツァルトのピアノ協奏曲と、ショスタコーヴィチの第9交響曲です。メモリアルイヤー同士の組み合わせでした。
ピアノ協奏曲は終始落ち着いた演奏です。ゲルギエフというと、どこか殺伐とした音作りをするイメージがあるのですが、その表情はここには見られません。中庸のテンポで、オーケストラを少しだけ煽り立てながらキビキビと音楽を進めていく。上昇音型での控えめなクレッシェンドは爽快です。それにヴァイオリンを所々浮き上がらせて、(第1楽章の終結部など。)音楽に厚みを持たせるのも印象的でした。また、第2楽章などの伸びやかなリズム感などは、ゲルギエフと言うよりも、ウィーンフィル自体の美感によるものかもしれません。特に木管楽器とピアノが絡み合う中間部での美しさは見事でした。あくまでも穏やかです。
マルクス・シルマーのピアノはまるでフォルテピアノのようでした。ピアノをあまり強く鳴らさずに、淡々と音楽を奏でていく。ただしカデンツァでの力の入れようだけは別です。彼の自作のカデンツァはあまり良いものに聴こえませんでしたが、その部分だけは何かが取り憑いたようにガンガン鳴らしていました。これには非常に違和感を感じます。
ショスタコーヴィチの第9交響曲は、その成立過程などからして何やらきな臭いものが感じられますが、純粋に音楽だけへ耳を傾ければ、これほど楽しめる曲もなかなかありません。気味が悪いほどに明るい第1楽章も、ゲルギエフはストレートに音を鳴らしていきます。続いての第2楽章ではやや腰を落として丁寧に表現していたでしょうか。ただ、そこに暗鬱な響きはありません。沈着でありながらも情緒的にならない、冷ややかな姿勢を感じます。また木管主導の旋律などは素直に牧歌的でした。随分とストレートに音楽を作ります。
第3楽章のスケルツォでは音楽が全く熱くなりません。もちろんリズミカルに音楽を進めていくのですが、途中出てくる印象的な金管のファンファーレもやや抑制的。この辺の処理は、殺伐としたゲルギエフのイメージにやや近いかもしれません。それに続く木管のソロもすこぶる沈着でした。
第5楽章はやや大人し過ぎたかもしれません。スピード感は抜群ですが、私としてはもっとハメを外して、この音楽の不気味な盛り上がりを聴かせて欲しかったと思います。どうもスマートにまとまってしまって、諧謔的な泥臭い部分が聴こえてきません。これは物足りない。辛口な感想になってしまいました…。
ゲルギエフはショスタコーヴィチの録音を積極的にリリースしています。それらはまさに新時代の名盤なのかもしれませんが、私にとってのショスタコーヴィチとは昔からコンドラシン。ずっと苦手だったショスタコーヴィチの音楽を、初めて楽しんで聴くことが出来た録音です。先日も全集が輸入盤にて発売されましたが、やはり何度聴いても飽きません。ゲルギエフの録音はどうなのでしょうか。また機会があれば聴いてみたいと思います。
曲 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番K.466
ショスタコーヴィチ 交響曲第9番作品70
指揮 ワレリー・ゲルギエフ
演奏 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ マルクス・シルマー
収録:オーストリア・ウィーン学友協会 2006/4/23
久々にベストオブクラシックへ耳を傾けてみました。(時間の関係で2曲目のモーツァルトからです。)ゲルギエフとウィーンフィルという豪華なコンビによるモーツァルトのピアノ協奏曲と、ショスタコーヴィチの第9交響曲です。メモリアルイヤー同士の組み合わせでした。
ピアノ協奏曲は終始落ち着いた演奏です。ゲルギエフというと、どこか殺伐とした音作りをするイメージがあるのですが、その表情はここには見られません。中庸のテンポで、オーケストラを少しだけ煽り立てながらキビキビと音楽を進めていく。上昇音型での控えめなクレッシェンドは爽快です。それにヴァイオリンを所々浮き上がらせて、(第1楽章の終結部など。)音楽に厚みを持たせるのも印象的でした。また、第2楽章などの伸びやかなリズム感などは、ゲルギエフと言うよりも、ウィーンフィル自体の美感によるものかもしれません。特に木管楽器とピアノが絡み合う中間部での美しさは見事でした。あくまでも穏やかです。
マルクス・シルマーのピアノはまるでフォルテピアノのようでした。ピアノをあまり強く鳴らさずに、淡々と音楽を奏でていく。ただしカデンツァでの力の入れようだけは別です。彼の自作のカデンツァはあまり良いものに聴こえませんでしたが、その部分だけは何かが取り憑いたようにガンガン鳴らしていました。これには非常に違和感を感じます。
ショスタコーヴィチの第9交響曲は、その成立過程などからして何やらきな臭いものが感じられますが、純粋に音楽だけへ耳を傾ければ、これほど楽しめる曲もなかなかありません。気味が悪いほどに明るい第1楽章も、ゲルギエフはストレートに音を鳴らしていきます。続いての第2楽章ではやや腰を落として丁寧に表現していたでしょうか。ただ、そこに暗鬱な響きはありません。沈着でありながらも情緒的にならない、冷ややかな姿勢を感じます。また木管主導の旋律などは素直に牧歌的でした。随分とストレートに音楽を作ります。
第3楽章のスケルツォでは音楽が全く熱くなりません。もちろんリズミカルに音楽を進めていくのですが、途中出てくる印象的な金管のファンファーレもやや抑制的。この辺の処理は、殺伐としたゲルギエフのイメージにやや近いかもしれません。それに続く木管のソロもすこぶる沈着でした。
第5楽章はやや大人し過ぎたかもしれません。スピード感は抜群ですが、私としてはもっとハメを外して、この音楽の不気味な盛り上がりを聴かせて欲しかったと思います。どうもスマートにまとまってしまって、諧謔的な泥臭い部分が聴こえてきません。これは物足りない。辛口な感想になってしまいました…。
ゲルギエフはショスタコーヴィチの録音を積極的にリリースしています。それらはまさに新時代の名盤なのかもしれませんが、私にとってのショスタコーヴィチとは昔からコンドラシン。ずっと苦手だったショスタコーヴィチの音楽を、初めて楽しんで聴くことが出来た録音です。先日も全集が輸入盤にて発売されましたが、やはり何度聴いても飽きません。ゲルギエフの録音はどうなのでしょうか。また機会があれば聴いてみたいと思います。
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熱狂の日音楽祭2006 「モーツァルト:ヴェスペレ」他 5/6
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日音楽祭2006
モーツァルト 証聖者の荘厳な晩課(ヴェスペレ)K.339
聖母マリアのオッフェルトリウム「創り主の魂」K.277
レジナ・チェリK.276
指揮 ペーター・ノイマン
合唱 ケルン室内合唱団
演奏 コレギウム・カルトゥシアヌム
ソリスト
ソプラノ フョン・ミョンヒ
メゾ・ソプラノ アリソン・ブラウナー
テノール ヴィンチェンツォ・ディ・ドナート
バス ティロ・ダールマン
2006/5/6 19:15 東京国際フォーラムホールA(アマデウス)
普段あまり演奏されない音楽を聴くのも「熱狂の日」ならではの楽しみ方です。このコンサートは元々予定していなかったのですが、ノイマンがとても良いという評判を聞き、急遽当日券にて聴いてきました。コレギウム・カルトゥシアヌム、ケルン室内合唱団による、モーツァルト、ザルツブルク時代の宗教音楽です。
コルボのレクイエムが「動」とするなら、このノイマンの作り上げた音楽は「静」でしょう。あくまでも美しい、また静謐な調べ。若きモーツァルトの瑞々しい響きが、このとてつもなく広いホールを優しく包み込みます。残念ながらオーケストラについては、私の座席位置では細部が聴き取れなかったので何とも書きようがありませんが、(それでも一階席のなるべく前の方へ座ったのですが…。)合唱だけは思わずうっとりさせられるような美感があって、全身でその響きを受け止めることが出来ました。音楽を聴くというよりもどっぷりと浸っている。そんな時間の連続です。
この三曲の中では「ヴェスペレ」が特に充実していました。堂々としたディクシットから力強いコンフィテボールへ。ノイマンの指揮の元に、ケルン室内合唱団の歌声が一つにまとまって美しいハーモニーを築きます。そしてベアートゥス・ヴィールにおけるソプラノのミョンヒの歌声。強靭な発声にて、合唱のハーモニーを突き破るかのような存在感です。ここがホールAだということを忘れさせる。一際輝いて聴こえました。
合唱の妙味を一番楽しめたのは最後の「レジナ・チェリ」です。僅か7分ほどの短い音楽ですが、終始ハレルヤの合唱が高らかに歌い上げられます。上昇音階にのって、心地良く、また華々しく響くアレルヤ。この時ばかりはソフトなケルン室内合唱団の響きも力強くなります。思わず椅子から乗り出したくなるようなリズミカルな合唱でした。
ノイマンによるモーツァルトの宗教音楽は録音でも有名ですが、まさにそこで聴かせてくれるような清々しい調べを堪能することが出来ました。ホールに難があるとは言え、少なくとも合唱の魅力は十分に楽しめる公演だったと思います。これは行って正解でした。
モーツァルト 証聖者の荘厳な晩課(ヴェスペレ)K.339
聖母マリアのオッフェルトリウム「創り主の魂」K.277
レジナ・チェリK.276
指揮 ペーター・ノイマン
合唱 ケルン室内合唱団
演奏 コレギウム・カルトゥシアヌム
ソリスト
ソプラノ フョン・ミョンヒ
メゾ・ソプラノ アリソン・ブラウナー
テノール ヴィンチェンツォ・ディ・ドナート
バス ティロ・ダールマン
2006/5/6 19:15 東京国際フォーラムホールA(アマデウス)
普段あまり演奏されない音楽を聴くのも「熱狂の日」ならではの楽しみ方です。このコンサートは元々予定していなかったのですが、ノイマンがとても良いという評判を聞き、急遽当日券にて聴いてきました。コレギウム・カルトゥシアヌム、ケルン室内合唱団による、モーツァルト、ザルツブルク時代の宗教音楽です。
コルボのレクイエムが「動」とするなら、このノイマンの作り上げた音楽は「静」でしょう。あくまでも美しい、また静謐な調べ。若きモーツァルトの瑞々しい響きが、このとてつもなく広いホールを優しく包み込みます。残念ながらオーケストラについては、私の座席位置では細部が聴き取れなかったので何とも書きようがありませんが、(それでも一階席のなるべく前の方へ座ったのですが…。)合唱だけは思わずうっとりさせられるような美感があって、全身でその響きを受け止めることが出来ました。音楽を聴くというよりもどっぷりと浸っている。そんな時間の連続です。
この三曲の中では「ヴェスペレ」が特に充実していました。堂々としたディクシットから力強いコンフィテボールへ。ノイマンの指揮の元に、ケルン室内合唱団の歌声が一つにまとまって美しいハーモニーを築きます。そしてベアートゥス・ヴィールにおけるソプラノのミョンヒの歌声。強靭な発声にて、合唱のハーモニーを突き破るかのような存在感です。ここがホールAだということを忘れさせる。一際輝いて聴こえました。
合唱の妙味を一番楽しめたのは最後の「レジナ・チェリ」です。僅か7分ほどの短い音楽ですが、終始ハレルヤの合唱が高らかに歌い上げられます。上昇音階にのって、心地良く、また華々しく響くアレルヤ。この時ばかりはソフトなケルン室内合唱団の響きも力強くなります。思わず椅子から乗り出したくなるようなリズミカルな合唱でした。
ノイマンによるモーツァルトの宗教音楽は録音でも有名ですが、まさにそこで聴かせてくれるような清々しい調べを堪能することが出来ました。ホールに難があるとは言え、少なくとも合唱の魅力は十分に楽しめる公演だったと思います。これは行って正解でした。
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