都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
東京交響楽団 「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」他 5/27
東京交響楽団 第536回定期演奏会
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
交響曲第7番「レニングラード」
指揮 ドミトリー・キタエンコ
ヴァイオリン 川久保賜紀
演奏 東京交響楽団
2006/5/27 18:00 サントリーホール
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との全集もリリースしたキタエンコの指揮ということで行ってきました。メモリアルイヤーのショスタコーヴィチを記念した重量級のプログラムです。率直に言って、とても素晴らしいコンサートでした。
一曲目のヴァイオリン協奏曲から充実した響きがサントリーを覆い尽くします。ソリストの川久保は、確か以前シティフォルの公演でも聴いたことがありますが、(その時も感心させられました。)ともかく前へ前へと力強い音を奏でるヴァイオリニストです。特に中音域の厚みの深さ。大規模なオーケストラにも決して負けることなく音が突き抜けてくる。演奏の確実性と言うよりも、懐の深いキタエンコの強力なサポートを得て、終始高いテンションにてこの音楽を表現していきます。スケルツォでは前のめりになりながら一気呵成に弾き抜き、聴かせどころの長大なカデンツァでは、ゆったりしたテンポによる語り口調から次第にヒートアップしていく。彼女は、大きな緩急の落差をいとも簡単に操ってしまいます。高音域にもう少し美しさがあればとも思いましたが、技巧とパワーの合わせ技によるその高い説得力には思わず屈服されてしまいました。シーンと静まり返ったホールでの豊かなカデンツァの響き。艶と言うよりも粘り気のあるヴァイオリン。それが右へ左へとジェットコースターのように動き廻る。この曲との相性の良さをも思わせます。演奏後、彼女は5回ほどステージに呼び戻されましたが、そんな客席の熱狂にも納得のいく演奏でした。
メインのレニングラードは明らかに名演です。勇壮な第1主題は非常にゆっくりと、しかし堂々と力強く入っていく。まさにこれから開始されるこの壮絶な音楽劇を予感させます。そしてボレロ風の「侵攻の主題」。始めのピアニッシモはこの上ないほど抑えられていました。不気味にホールに響きわたる小太鼓のリズム。もちろん弦もキタエンコに押さえ込まれている。じっくりと、そしてあくまでも端正に、それでいて力強く進む軍楽隊。まるでチェリビダッケのボレロを彷彿とさせます。そして次第に音楽が凶暴化して、いよいよカタストロフィ的な高揚の瞬間を迎えた時、キタエンコの指揮は突きに変わりました。ぐいっぐいっとオーケストラにタクトを突き出して締め上げる。恐ろしい様相です。フォルテッシモでもあまり壊れることのない東響が、ここで臨界点をあっさり超えてしまいました。もう爆発するしかありません。私は積極的なショスタコーヴィチの聞き手ではありませんが、これほど圧倒的なレニングラードには初めて接しました。しかもただうるさいだけではない。オーケストラがしっかりとキタエンコに踏みつけられてまとまっている。これは強烈です。
第3楽章がまた圧巻でした。全く緊張感が途切れません。一フレーズ毎に丁寧に積み上げて音楽を作り出す。もちろん積み上げるといっても、殊更ポリフォニックに各声部を鳴らすのではなく、あくまでも情感豊かに、横の線の流れを大きく意識させながら前へと進めます。木管に導かれたヴァイオリン群。キタエンコは、「今、この音楽ではどこを聴くべきか。」ということを示すサービス精神にも溢れていました。聴き手に如何にしてこの長大な音楽を理解してもらうのか。ただオーケストラを締め付け、威圧的な音楽を作るだけではない。時折、リズミカルにテンポアップして音楽に勢いづけていくのも、硬軟を巧みに使い分ける彼の器用な指揮ぶりを表しています。第4楽章でも慌てず急がず、あくまでも落ち着いてクライマックスを目指しました。最後ではオーケストラもさすがにややバテ気味ではありましたが、終始一貫してブレない、どっしりとしたレニングラードです。音楽を耳ではなく全身で聴いた。そうも思わせる、まるで音楽が体に突き刺さってくるような演奏でした。
オーケストラの頑張りにも触れなくてはいけません。最近の東響の充実ぶりには本当に目を見張るものがありますが、この日ほどそれを実感したこともありませんでした。以前に聴いた、ブルックナーでの迫力不足(スダーンの素朴なアプローチは好印象でしたが。)はもう殆ど感じられない。非常に良く鳴り、また良くかみ合います。しかもそれが空回りしないで、しっかりとキタエンコの元で統率されている。たんなる「爆演」ではありません。良い指揮者の元で、うなぎ上りにパワーアップしたオーケストラを聴くとどうなるのか。その答えがこの日の演奏にあったのではないでしょうか。強いて言えば、ハープ、木琴、もしくはホルンあたりにもう一歩の美感があれば良かったのですが、総じて力を出し切った素晴らしい演奏だったと思います。
キタエンコの客演はこれで一回きりなのでしょうか。是非今後もこのオーケストラとまたショスタコーヴィチを聴かせて欲しいと願うばかりです。手に汗握るコンサートでした。
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
交響曲第7番「レニングラード」
指揮 ドミトリー・キタエンコ
ヴァイオリン 川久保賜紀
演奏 東京交響楽団
2006/5/27 18:00 サントリーホール
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との全集もリリースしたキタエンコの指揮ということで行ってきました。メモリアルイヤーのショスタコーヴィチを記念した重量級のプログラムです。率直に言って、とても素晴らしいコンサートでした。
一曲目のヴァイオリン協奏曲から充実した響きがサントリーを覆い尽くします。ソリストの川久保は、確か以前シティフォルの公演でも聴いたことがありますが、(その時も感心させられました。)ともかく前へ前へと力強い音を奏でるヴァイオリニストです。特に中音域の厚みの深さ。大規模なオーケストラにも決して負けることなく音が突き抜けてくる。演奏の確実性と言うよりも、懐の深いキタエンコの強力なサポートを得て、終始高いテンションにてこの音楽を表現していきます。スケルツォでは前のめりになりながら一気呵成に弾き抜き、聴かせどころの長大なカデンツァでは、ゆったりしたテンポによる語り口調から次第にヒートアップしていく。彼女は、大きな緩急の落差をいとも簡単に操ってしまいます。高音域にもう少し美しさがあればとも思いましたが、技巧とパワーの合わせ技によるその高い説得力には思わず屈服されてしまいました。シーンと静まり返ったホールでの豊かなカデンツァの響き。艶と言うよりも粘り気のあるヴァイオリン。それが右へ左へとジェットコースターのように動き廻る。この曲との相性の良さをも思わせます。演奏後、彼女は5回ほどステージに呼び戻されましたが、そんな客席の熱狂にも納得のいく演奏でした。
メインのレニングラードは明らかに名演です。勇壮な第1主題は非常にゆっくりと、しかし堂々と力強く入っていく。まさにこれから開始されるこの壮絶な音楽劇を予感させます。そしてボレロ風の「侵攻の主題」。始めのピアニッシモはこの上ないほど抑えられていました。不気味にホールに響きわたる小太鼓のリズム。もちろん弦もキタエンコに押さえ込まれている。じっくりと、そしてあくまでも端正に、それでいて力強く進む軍楽隊。まるでチェリビダッケのボレロを彷彿とさせます。そして次第に音楽が凶暴化して、いよいよカタストロフィ的な高揚の瞬間を迎えた時、キタエンコの指揮は突きに変わりました。ぐいっぐいっとオーケストラにタクトを突き出して締め上げる。恐ろしい様相です。フォルテッシモでもあまり壊れることのない東響が、ここで臨界点をあっさり超えてしまいました。もう爆発するしかありません。私は積極的なショスタコーヴィチの聞き手ではありませんが、これほど圧倒的なレニングラードには初めて接しました。しかもただうるさいだけではない。オーケストラがしっかりとキタエンコに踏みつけられてまとまっている。これは強烈です。
第3楽章がまた圧巻でした。全く緊張感が途切れません。一フレーズ毎に丁寧に積み上げて音楽を作り出す。もちろん積み上げるといっても、殊更ポリフォニックに各声部を鳴らすのではなく、あくまでも情感豊かに、横の線の流れを大きく意識させながら前へと進めます。木管に導かれたヴァイオリン群。キタエンコは、「今、この音楽ではどこを聴くべきか。」ということを示すサービス精神にも溢れていました。聴き手に如何にしてこの長大な音楽を理解してもらうのか。ただオーケストラを締め付け、威圧的な音楽を作るだけではない。時折、リズミカルにテンポアップして音楽に勢いづけていくのも、硬軟を巧みに使い分ける彼の器用な指揮ぶりを表しています。第4楽章でも慌てず急がず、あくまでも落ち着いてクライマックスを目指しました。最後ではオーケストラもさすがにややバテ気味ではありましたが、終始一貫してブレない、どっしりとしたレニングラードです。音楽を耳ではなく全身で聴いた。そうも思わせる、まるで音楽が体に突き刺さってくるような演奏でした。
オーケストラの頑張りにも触れなくてはいけません。最近の東響の充実ぶりには本当に目を見張るものがありますが、この日ほどそれを実感したこともありませんでした。以前に聴いた、ブルックナーでの迫力不足(スダーンの素朴なアプローチは好印象でしたが。)はもう殆ど感じられない。非常に良く鳴り、また良くかみ合います。しかもそれが空回りしないで、しっかりとキタエンコの元で統率されている。たんなる「爆演」ではありません。良い指揮者の元で、うなぎ上りにパワーアップしたオーケストラを聴くとどうなるのか。その答えがこの日の演奏にあったのではないでしょうか。強いて言えば、ハープ、木琴、もしくはホルンあたりにもう一歩の美感があれば良かったのですが、総じて力を出し切った素晴らしい演奏だったと思います。
キタエンコの客演はこれで一回きりなのでしょうか。是非今後もこのオーケストラとまたショスタコーヴィチを聴かせて欲しいと願うばかりです。手に汗握るコンサートでした。
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