「ガレとジャポニスム」 サントリー美術館

サントリー美術館港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン・ガーデンサイド)
「ガレとジャポニスム」
3/20-5/11



ガレをこれほどまとめて見たのは今回が初めてです。ガレの芸術におけるジャポニスムの変遷を、約140点ほどの品々にて概観します。サントリー美術館の「ガレとジャポニスム」へ行ってきました。



内容は、ガレの創作を時系列に辿りながら、そこに見られるジャポニスムのあり方を多面的に探るものですが、特に感慨深く思えたのは、ガレがジャポニスムの様式からさらに深化するため、いわゆる日本的な美意識へ立ち入ろう努力する、その思索の道程です。ガレが最終的にロカイユを抜け、例えば「もののあわれ」を体得したかどうかは不明ですが、彼の感性がそうした要素に惹き付けられていた様子がこの展示を見る限りにおいても明らかに感じられます。北斎漫画のモチーフを借りた「蓮に蛙」(1880-84)から、日本の茶碗の姿をとった「菊風」(1889)、そして日本の象徴としての蜻蛉をガレ自身の刹那的な詩心でまとめあげた「蜻蛉・ひとりぼっちの私」(1889)には、まさに単なる日本への憧憬を通り越した『ガレの中の日本』が体現されているとも言えるのではないでしょうか。ガレのジャポニスムを単に様式の面だけで語ると、その内面を見失ってしまうのかもしれません。



特に惹かれた作品を二点ほど挙げます。まずは、例えば近代日本画の描く山水を思わせる「壺 過ぎ去りし苦しみの葉」(1900)です。ガラスのキメにちりめんをかけたような描写がなされ、交錯する黒や白の合間から、木々に覆われた森の小径の情景が仄かに浮かび上がってきます。その姿は、あたかも葉を落とした冬の木々へ降り積もる雪のようでした。幽玄さを感じます。



もう一点は、モネの絵画のような色彩感が美しい「花器 蜉蝣」(1889-1900)です。そもそもカゲロウは当時、ヨーロッパで日本を表すモチーフとしてよく使われていたそうですが、ガレは命も短いそのかげろうに見る儚さをこの花器に見事に写し出しています。またうっすらと白んだ花畑を舞うかのようなカゲロウが、どこか実体のない幻影に見えてくるのが不思議でなりません。そしてこのカゲロウこそ、ガレの創作の理解を深めるキーワードでもあります。(第4章「ガレと蜻蛉」)上でも挙げた、蜻蛉の死を示すかのような「蜻蛉・ひとりぼっちの私」とは、ガレがカゲロウを通して見た、そして見えなかったかもしれない日本の姿の象徴であるのかもしれません。カゲロウのもがき苦しむ様子が、ガレの創作に少し重なっても見えました。

5月11日までの開催です。
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