都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「モディリアーニ展」 国立新美術館
国立新美術館(港区六本木7-22-2)
「モディリアーニ展」
3/26-6/9
モディリアーニの意外な側面を辿っているものの、過去最大規模と銘打つ割には随分と見所の少ない展覧会です。国立新美術館で開催モディリアーニ中の「モディリアーニ展」へ行ってきました。
いわゆる名画展を期待して行くと、今回の展示ほど裏切られるものもないかもしれません。もちろん充実した作品が数点あるのも事実ですが、多くはいささか地味な印象も受ける油彩、または素描の小品でした。(半分は素描展のようなものです。)そしてそのような目立たない作品群は、この展示の構成を横に貫く一本の軸、つまりは『プリミティヴィズム』(原始美術)の名の元に集められています。残念ながら実際の展示を見ても、モディリアーニにプリミティヴィズムがどれほど影響しているのか今ひとつ分かりませんでしたが、少なくともその知られざる観点を提示していたのは間違いないのでしょう。トーテムの原点を垣間見たような気がしたのは事実でした。
オセアニア美術やアフリカ彫刻なども追ったモディリアーニは、それに倣う、単純で直線的な造形をとる作品をいくつか生み出しています。その一例がこの「カリアティッド」(1913)です。細く、またシャープな曲線をとるそのフォルムには、後のスタイルを思わせる部分もありますが、確かにプリミティヴィズムの文脈に沿わなければ、まさかこれがモディリアーニの作であるとは分かりません。マティスを思わせるような肉感的な美感と、土偶や埴輪すら連想させる姿、さらには赤々と燃えるような朱色の色遣いにも目を奪われました。
スタイルを確立した後のモディリアーニの魅力を知るには、今回の展示は少々点数が足りません。とは言え、マリーローランサンにモデルを取ったという「女の肖像」(1917)には強く惹かれるものがありました。健康的で美しい白い肌に、才知を感じる大きな瞳、そして秘められた強い意思を見るキリリと引き締まった口元、それに情熱を感じる赤い髪の毛など、どれもが対象の本質をくみ出した見事な作品です。そしていつもながらに感心するのがマチエールの妙味です。そもそも彼の魅力は形よりも色、ようは画肌にあるのではないかと思いますが、強く塗り込まれながらも、決して透明感を失わない色の放つ静かな光りには吸い込まれました。
それにしてもコンセプトは明確であるにしろ、この程度の内容の展示を、かの広大なスペースを持つ新美術館で開催する必要があったのでしょうか。同館で先日まで開催されていたアーティストファイル同様、どうも企画が箱の大きさに追付けないように思えてなりません。
6月9日まで開催されています。
「モディリアーニ展」
3/26-6/9
モディリアーニの意外な側面を辿っているものの、過去最大規模と銘打つ割には随分と見所の少ない展覧会です。国立新美術館で開催モディリアーニ中の「モディリアーニ展」へ行ってきました。
いわゆる名画展を期待して行くと、今回の展示ほど裏切られるものもないかもしれません。もちろん充実した作品が数点あるのも事実ですが、多くはいささか地味な印象も受ける油彩、または素描の小品でした。(半分は素描展のようなものです。)そしてそのような目立たない作品群は、この展示の構成を横に貫く一本の軸、つまりは『プリミティヴィズム』(原始美術)の名の元に集められています。残念ながら実際の展示を見ても、モディリアーニにプリミティヴィズムがどれほど影響しているのか今ひとつ分かりませんでしたが、少なくともその知られざる観点を提示していたのは間違いないのでしょう。トーテムの原点を垣間見たような気がしたのは事実でした。
オセアニア美術やアフリカ彫刻なども追ったモディリアーニは、それに倣う、単純で直線的な造形をとる作品をいくつか生み出しています。その一例がこの「カリアティッド」(1913)です。細く、またシャープな曲線をとるそのフォルムには、後のスタイルを思わせる部分もありますが、確かにプリミティヴィズムの文脈に沿わなければ、まさかこれがモディリアーニの作であるとは分かりません。マティスを思わせるような肉感的な美感と、土偶や埴輪すら連想させる姿、さらには赤々と燃えるような朱色の色遣いにも目を奪われました。
スタイルを確立した後のモディリアーニの魅力を知るには、今回の展示は少々点数が足りません。とは言え、マリーローランサンにモデルを取ったという「女の肖像」(1917)には強く惹かれるものがありました。健康的で美しい白い肌に、才知を感じる大きな瞳、そして秘められた強い意思を見るキリリと引き締まった口元、それに情熱を感じる赤い髪の毛など、どれもが対象の本質をくみ出した見事な作品です。そしていつもながらに感心するのがマチエールの妙味です。そもそも彼の魅力は形よりも色、ようは画肌にあるのではないかと思いますが、強く塗り込まれながらも、決して透明感を失わない色の放つ静かな光りには吸い込まれました。
それにしてもコンセプトは明確であるにしろ、この程度の内容の展示を、かの広大なスペースを持つ新美術館で開催する必要があったのでしょうか。同館で先日まで開催されていたアーティストファイル同様、どうも企画が箱の大きさに追付けないように思えてなりません。
6月9日まで開催されています。
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