悩むなぁ
「アンテナを張り巡らせ、情報を集め」という記述を見たことがありますが、「張り巡らす」は、他動詞、五段活用で、連用形はイの段ですから「アンテナを張り巡らし、情報を集め」です。現実には「張り巡らせる」という言い方もありますから、それでいくと「張り巡らせて」となりますが、私はやはり「張り巡らす」のほうなので、「張り巡らせ」は命令に聞こえます。そして、「張り巡らせる」は可能動詞ということになります。
「悩ます」に対応する自動詞「悩む」の未然形「悩ま」に使役の助動詞「せる」が付いて「悩ませる」、これが「悩ます」と同等に使われるのは分かるのですが、若い人は、「苦しめる」「沈める」までも「苦しませる」「沈ませる」と言います。ストレートな表現を避けているつもりなのか、控えめといえば控えめ? でも、こういうところにも豊かさとは逆のものを感じます。
「張り巡らせる」の受身表現は「張り巡らせられる」ですから、例えば「町中に張り巡らせられたアンテナ」となるのでしょうか。「張り巡らす」なら「町中に張り巡らされたアンテナ」です。「張り巡らせることができる」は、可能動詞をさらに可能表現にして、重複になっているように感じます。最近増えている「書けることができる」と同じです。
でも、「任す」「任せる」の可能表現はというと、「任せられる」しかないでしょうね。「任せる(下一段活用)」の未然形「任せ」に「られる」が付いて「任せられる」です。ということは、可能は「任せられる」、受身は「任される」ということになります。何が残るかは、違和感があるかないか、優勢か劣勢か、ということによるのでしょうか。
「アンテナを張り巡らせ、情報を集め」という記述を見たことがありますが、「張り巡らす」は、他動詞、五段活用で、連用形はイの段ですから「アンテナを張り巡らし、情報を集め」です。現実には「張り巡らせる」という言い方もありますから、それでいくと「張り巡らせて」となりますが、私はやはり「張り巡らす」のほうなので、「張り巡らせ」は命令に聞こえます。そして、「張り巡らせる」は可能動詞ということになります。
「悩ます」に対応する自動詞「悩む」の未然形「悩ま」に使役の助動詞「せる」が付いて「悩ませる」、これが「悩ます」と同等に使われるのは分かるのですが、若い人は、「苦しめる」「沈める」までも「苦しませる」「沈ませる」と言います。ストレートな表現を避けているつもりなのか、控えめといえば控えめ? でも、こういうところにも豊かさとは逆のものを感じます。
「張り巡らせる」の受身表現は「張り巡らせられる」ですから、例えば「町中に張り巡らせられたアンテナ」となるのでしょうか。「張り巡らす」なら「町中に張り巡らされたアンテナ」です。「張り巡らせることができる」は、可能動詞をさらに可能表現にして、重複になっているように感じます。最近増えている「書けることができる」と同じです。
でも、「任す」「任せる」の可能表現はというと、「任せられる」しかないでしょうね。「任せる(下一段活用)」の未然形「任せ」に「られる」が付いて「任せられる」です。ということは、可能は「任せられる」、受身は「任される」ということになります。何が残るかは、違和感があるかないか、優勢か劣勢か、ということによるのでしょうか。