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この一帯は行楽にはもってこいの場所なのでしょう。サイクリング・ジョギング・ウォーキングの方が多く車の運転に気を遣う。
箕面の滝の付近まで来ると、家族連れ・恋人たち・観光の方が多くなってきて、さらに運転しにくくなる。
そんな行楽地・箕面の地に勝尾寺はありました。
勝尾寺は西国三十三所の第23番札所で高野山真言宗の寺院になります。
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駐車場から山門に向かうとすぐに拡声された祈祷の声が聞こえてきます。
それは念仏というよりは神社の祝詞に近いもので、祈願者の区切りのところでは太鼓が叩かれていました。
拡声されていることもあったのしょうけど、祝詞のように読み上げる祈願には寺院の祈祷としては少し違和感を感じてしまいます。
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勝尾寺は奈良時代末期の727年、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まるとされます。
765年には光仁天皇の皇子・開成が二師出逢い、大般若経六百巻を理経して「彌勒寺」として開山されたと伝わります。
また、780年には妙観という名の比丘が身丈八尺の十一面千手観音を彫刻して本尊として祀ったとされています。
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勝尾寺は永寿の乱によって大講堂や伽藍をことごとく焼失したとされており、1195年に源頼朝の命により再建されたとされます。(現存するのは供養塔と薬師堂のみ)
仁王門(山門)は豊臣秀頼によって再建されたとされていますが、その後も修復工事が行われているようですね。
仁王門に鎮座する金剛力士像も保護もあってか朱色に塗られていますが、背が高く見上げるような仁王様です。
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噴水が吹き上がり、ミストが流れる弁天池にかかる橋を渡って行きますが、手前に見える弁天堂と山の合間に見える伽藍に気持ちが高ぶります。
ミストが噴射されているのは熱中症予防かと思いましたが、実際には年中ミストは出ているようで、これは心身を清める意味があっての噴射だそうです。
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参道脇には石灯籠がありますが、なんと2列になって並んでいます。
それだけ奉納者が多いということなのでしょうけど、緑の中に並ぶ多くの石灯籠にみとれてしまいます。
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新緑がトンネルのように覆いかぶさる石段の先に見えるのは多宝塔。
紅葉の季節はさぞや絶景なのでしょう。
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ところで、かつて「彌勒寺」とされた寺院が「勝尾寺」となってのは六代座主の行巡上人の時代だったようです。
清和天皇の玉体安隠を祈って効験があったことから、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」 の寺号を賜ったが、寺では「王」と付けるのはあまりにも畏れ多いため「尾」に変えて「勝尾寺」としたそうです。
以降、清和源氏の流れをくむ鎌倉幕府や足利幕府の将軍が勝運の神として信仰していたとされます。
現在も勝運信仰が続いていて、「勝ちダルマ」を授かる方が多く、願いを成就し両目を入れたダルマが納められていました。
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ミストでのお清めは受けていましたが、流儀に従って手水舎で身を清めます。
箕面川の流れる水の豊富な地域ということもあってか、水量の多い冷たい水が心地よい。
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片側に石垣がそびえ立つ参道を進むと、まず最初に「厄ばらい三宝荒神社」があります。
三宝荒神社は日本最古の荒神さんを祀るとされており、三宝荒神は神仏習合として、荒神信仰・修験道・仏教(密教)が結びついたものともいわれます。
そう考えると祝詞にも聞こえる激しい祈願の理由も理解出来るように思います。
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境内には各御堂が並びますが、面白いのはどの堂や灯籠にもダルマが置かれていることでしょうか。
ダルマおみくじを引かれた方が、神社のおみくじを木に結んで帰るようにお祀りして帰られるのでしょう。
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「大師堂」の内部には四国八十八ヶ所霊場の各本尊を模した石仏とお砂踏み場がありました。
お砂踏みをして一巡しようと思ったものの、丁寧に踏まれていく先客があり、待ちくたびれてこれは断念です。
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西国三十三所の札所である勝尾寺本堂には、巡礼の寺院らしく笈摺を羽織った集団の方々が参拝しておられます。
堂内には入れませんが、中には十一面観音菩薩が祀られているとされ、毎月18日に特別開帳されているようですから実際に拝まれた方も多いことでしょう。
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順序が逆になってしまいましたが、鐘楼で鐘を撞かせていただきました。
ここにも勝ちダルマが置かれてあり、寺院のどこもかしこも勝ちダルマで溢れているのをみると、何となくユーモラスに見えてきますね。
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勝尾寺にある二階堂には1208年から3年10ヶ月の間、法然上人が逗留されたといわれています。
隠岐国に流罪となった法然が赦免されたものの京都には入れず、勝尾寺に滞在していたようですが、滞在の翌年に京都に戻るも翌年に78歳で入定したといいますから、法然が晩年を過ごした寺院ともいえそうです。
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多宝塔は比較的新しい建築なのか、朱色が非常に美しく、山の緑に映えます。
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弁天池まで戻ってくると、入山時には対岸に見えていた弁財天へお参りします。
勝尾寺の弁財天は、知恵を与え、学問や芸能や音楽の才能を開花させる神さまとして信仰されているようです。
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仁王門からの橋の噴水が勢いよく吹き上げているのが見えると参拝も終わりということになります。
もう一度、清めのミスト・シャワーを浴びて仁王門を出ます。
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仁王門を出ると、如何にもパワースポット然とした「知恵の輪」がありました。
右回りに7周して中心まで入り、中心から逆廻りで7周廻って入口から戻ると、晴れやかに、湧き出る力や良い知恵が頂けるそうです。
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勝尾寺は季節によって“桜まつり”“シャクナゲまつり”“紫陽花まつり”“紅葉まつり”の行事が開催されるようです。
また、ライトアップされる期間もあるそうですから、参拝客や観光客でにぎわっている寺院といえます。
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箕面山からの眺望は視界の広がった場所があまりないとはいえ、北大阪の風景が垣間見えます。
帰りのドライブウェイから見える景色は、手前に住宅などの低い建物、奥の千里中央方面には高層ビルがみえます。
自然豊富な箕面の地は、思いのほか大阪の中心部から近い場所にあるようですね。