京都木津川市加茂町の当尾地区は、南都仏教の影響を受けてきたとされる地域で、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が草庵を結び、尾根の間に寺々の塔が見えたことから「塔ノ尾(当尾)」と呼ばれたとされます。
「浄瑠璃寺」と「岩船寺」の周辺には鎌倉~室町期の石仏・石塔・磨崖仏が多く、「当尾磨崖仏文化財環境保全地区」として保全されています。
また、当尾地区には花崗岩の岩石が豊富で、山肌に現れている所も多い事から磨崖仏が次々と刻まれたといいます。
少し周辺を散策しようと「当尾の石仏」という地図を買って、一部だけですが石仏巡りをしてみました。
「当尾の石仏」というマップには35の石仏・石塔が記されています。
当然、全てを見て歩くことは出来ませんが、幾つかの石仏には出会えることが出来ました。
歩いて山道を進んでいくのはいいのですが、同じ距離を戻ってこなければならないのは辛いところです。
地図では浄瑠璃寺と岩船寺のルートと、浄瑠璃寺から加茂山の家までのルートが書かれており、これだけでもかなりの距離(5.1㌔)ですので歩けた分だけということになります。
まず最初に見つけたのは「やぶの中三尊」。
正面に「地蔵菩薩」、右に「十一面観音菩薩」、左の岩に「阿弥陀如来坐像」の三尊です。
銘文に1262年とあるといい、当尾の石仏にある年号銘の中で最古のものだとされます。
次に岩船寺から歩き出すと「一願不動(岩船寺奥院不動)」へと下る急な石段があり、降りた先に大きな巨石がありました。
最初はどこに不動明王が彫られているのか分かりませんでしたが、よくよく見てみるとその姿を確認することが出来ました。
再びコースに戻りますが、寂しい山道が続きます。
途中で2組の方にはすれ違ったったものの、独りでこの道を歩いていると孤独さが逆に楽しくなってくるのが不思議です。
道の途中には「天狗」か「大猿」かと見えるような岩に出会うが、マップにはなかったため“そう見えてしまった”ということになのでしょう。
日常から離れた場所では錯覚もまた楽し、聞こえるのは多くのウグイスとコゲラのノッキングだけです。
更に山道を進むと、100t級の巨石がややアンバランスな状態で道にはだかっています。
これもマップにはありませんでしたが、ここまで大きいと信仰に近いものを感じてしまいます。
夢見るように穏やかな表情をされて眠られているのは「眠り仏(埋もれ地蔵)」。
南北朝期の石仏とされていますが、長い間土の中で休んでおられ、いつの間にか「眠り仏」の名がついたようです。
「眠り仏」の横には巨石に彫られた「わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)」があり、笑顔の三尊磨崖仏に気持ちが和みます。
「わらい仏」は風蝕の影響が見られず、新しいものに見えますが、1299年の銘があるようです。
風蝕が少ないのは上部の屋根石が廂となって保存状態が良好だったことによるものとのことです。
「わらい仏(わらいぼとけ)」は「阿弥陀如来坐像」を中心にして、脇侍に「観世音菩薩坐像」「勢至菩薩砂像」となり、全ての石仏が穏やかな笑顔でほほ笑みかけています。
700年以上もの長い間、同じ場所で行き交う人を見守るように微笑んでこられたのでしょう。
当尾周辺には「九体阿弥陀如来坐像」や秘仏「吉祥天女像」および数々の仏像と国宝建築物を有する「浄瑠璃寺」や見事な本尊「阿弥陀如来像」などを有する「岩船寺」と寺院巡りに心躍らされる仏閣があります。
また、2つの寺院の間や地域一帯には「当尾の石仏」と呼ばれる石仏群が存在します。
木津市は京都府にありながら、奈良の文化が色濃いところも実に興味深い地域です。
「浄瑠璃寺」と「岩船寺」の周辺には鎌倉~室町期の石仏・石塔・磨崖仏が多く、「当尾磨崖仏文化財環境保全地区」として保全されています。
また、当尾地区には花崗岩の岩石が豊富で、山肌に現れている所も多い事から磨崖仏が次々と刻まれたといいます。
少し周辺を散策しようと「当尾の石仏」という地図を買って、一部だけですが石仏巡りをしてみました。
「当尾の石仏」というマップには35の石仏・石塔が記されています。
当然、全てを見て歩くことは出来ませんが、幾つかの石仏には出会えることが出来ました。
歩いて山道を進んでいくのはいいのですが、同じ距離を戻ってこなければならないのは辛いところです。
地図では浄瑠璃寺と岩船寺のルートと、浄瑠璃寺から加茂山の家までのルートが書かれており、これだけでもかなりの距離(5.1㌔)ですので歩けた分だけということになります。
まず最初に見つけたのは「やぶの中三尊」。
正面に「地蔵菩薩」、右に「十一面観音菩薩」、左の岩に「阿弥陀如来坐像」の三尊です。
銘文に1262年とあるといい、当尾の石仏にある年号銘の中で最古のものだとされます。
次に岩船寺から歩き出すと「一願不動(岩船寺奥院不動)」へと下る急な石段があり、降りた先に大きな巨石がありました。
最初はどこに不動明王が彫られているのか分かりませんでしたが、よくよく見てみるとその姿を確認することが出来ました。
再びコースに戻りますが、寂しい山道が続きます。
途中で2組の方にはすれ違ったったものの、独りでこの道を歩いていると孤独さが逆に楽しくなってくるのが不思議です。
道の途中には「天狗」か「大猿」かと見えるような岩に出会うが、マップにはなかったため“そう見えてしまった”ということになのでしょう。
日常から離れた場所では錯覚もまた楽し、聞こえるのは多くのウグイスとコゲラのノッキングだけです。
更に山道を進むと、100t級の巨石がややアンバランスな状態で道にはだかっています。
これもマップにはありませんでしたが、ここまで大きいと信仰に近いものを感じてしまいます。
夢見るように穏やかな表情をされて眠られているのは「眠り仏(埋もれ地蔵)」。
南北朝期の石仏とされていますが、長い間土の中で休んでおられ、いつの間にか「眠り仏」の名がついたようです。
「眠り仏」の横には巨石に彫られた「わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)」があり、笑顔の三尊磨崖仏に気持ちが和みます。
「わらい仏」は風蝕の影響が見られず、新しいものに見えますが、1299年の銘があるようです。
風蝕が少ないのは上部の屋根石が廂となって保存状態が良好だったことによるものとのことです。
「わらい仏(わらいぼとけ)」は「阿弥陀如来坐像」を中心にして、脇侍に「観世音菩薩坐像」「勢至菩薩砂像」となり、全ての石仏が穏やかな笑顔でほほ笑みかけています。
700年以上もの長い間、同じ場所で行き交う人を見守るように微笑んでこられたのでしょう。
当尾周辺には「九体阿弥陀如来坐像」や秘仏「吉祥天女像」および数々の仏像と国宝建築物を有する「浄瑠璃寺」や見事な本尊「阿弥陀如来像」などを有する「岩船寺」と寺院巡りに心躍らされる仏閣があります。
また、2つの寺院の間や地域一帯には「当尾の石仏」と呼ばれる石仏群が存在します。
木津市は京都府にありながら、奈良の文化が色濃いところも実に興味深い地域です。