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“男のためのガーデニング”改め

三重県の摩崖仏1~津市 『石山観音摩崖仏』~

2020-04-13 18:08:08 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 日本には古来より磐座信仰といったものがあり、現在でも山を御神体とする神社などでは奥宮とでも呼べるような場所に巨石が祀られていることが多い。
また、巨石の岸壁などには仏像を彫った摩崖仏が多く残されており、最大の分布地は大分県になるとはいえ、近畿地方にも摩崖仏が集中している地域があります。

近畿の摩崖仏を知っている範囲で辿っていくと、奈良県を始点とした場合、京都木津川市や南山城を経て、滋賀県大津市・栗東市・野洲市・湖南市・甲賀市へと続いていく。
さしずめ「石の道」とでもいうべき経路は、さらに三重県に入ると甲賀市と県境でつながる伊賀市やさらに東の津市まで石の道はつながっているようです。



摩崖仏は、一般的には古来からの修験道や山岳信仰に渡来人の持ち込んだ石の文化が結びついたものとされており、上記の地域は山岳信仰が盛んだった地ともいえます。
また、石の文化が成立するに足る岩山が多い地域だったことや、有力な帰化人が多く住んでいた影響もあったのでしょう。

「石山観音摩崖仏」は、露出した200mほどある花崗岩層が風雨に浸食された山で、標高160mの山全体に約40躰の摩崖仏・石仏が彫られています。
この石山観音は京や近江から伊勢へと向かう旧伊勢別街道が近くにあるといいますから、伊勢詣での途中に立ち寄った旅人もいたのかもしれません。



石山観音には鎌倉末期から室町期・江戸期、さらには昭和以降に彫られた石仏まであり、巨大な岩山に500年以上にわたって仏が彫り続けられてきたということになります。
江戸時代初期には、真言宗寺院(浄蓮寺)の別院(浄蓮坊)が一帯を管理してきたともされており、そのためか随所に西国三十三カ所の観音石仏が安置されています。



入山口にある西国三十三所一番札所・青岸渡寺の御本尊「如意輪観世音菩薩」石仏を拝した先には、室町時代初期の像だという像高3.24mの「地蔵菩薩立像」の姿がある。
摩崖仏は光背の部分を深く掘りくぼめて、仏体を高く掘り残してあり、これは石山の他の仏像にも共通する手法だといいます。



風化の跡が見られるものの、お顔の微笑んだような表情は読み取ることができ、約1時間ほどの道中の最初からこれだけの見事な摩崖仏があることに期待が高まってくる。
尚、この地蔵菩薩立像石仏は、近隣の石山三郷(楠原・林・楠平尾)の“雨乞い”の本尊だという。



地蔵菩薩観音石造を越えて山に入ると見えてくるのは「聖観世音菩薩立像」のお姿。
像高2.52mの摩崖仏は、石山摩崖仏群の中で唯一年代がはっきりしているといい、1848年に唐招提寺の聖観音を模写して彫られたものだという。



その時に下絵となった軸(紙本淡彩聖観音立像)は、近隣の浄蓮寺に現存しているというが、唐招提寺の聖観音とはどの観音像を指しているかは不明。
残念なのは顔の部分の風化が進んでいて表情が伺えないことです。
石山の石質は脆弱で脆いといわれますので、全体的に光背が深く掘られているのは摩崖仏を保護するためかと思われます。





石山摩崖仏群で最も古いとされるのが鎌倉末期に彫られたとされている「阿弥陀如来立像」。
残念ながら木漏れ日で斑状になり、実際に見た感じとは随分と印象が変わってしまいましたが、像高3.52m、台座を含めて5mの大きな摩崖仏の衣文は清涼寺式衣文の影響を受けているという。



道行けば横には西国三十三所の観音像が祀られていて、「第七番(岡寺)」の表示の先には苔むした「如意輪観音」が祀られている。
弘法大師様が岡寺の御本尊である「塑造 大如意輪観音坐像」の胎内に納めたという「半跏思惟像」と同じ姿をされているようです。



石山の頂上には巨巌というより“山自体が巨巌”とでもいいたくなる岩の壁があり、山にくぼみを彫って札所観音が祀られている。
岩に石段が彫られているので三十三所巡礼は可能ですが、急坂になっている場所もあって、道を選ばないといけない。





山頂での見どころに「馬の背」という馬が首を垂れて、草を喰むのを馬上から見たような姿を思わせる石の稜線があります。
この位置からは鈴鹿の連山や安濃の平野、伊勢湾までもが視界に入るといい、初日の出の名所でもあるという。
ここにいたのは早朝でしたので、天気には恵まれたものの、逆光が強く遠くまで見渡すことは出来ず。



笑い話ですが、頂上にある馬の背へ行く登り道が分からず、岩を無理やり登って辿り着いたのは記憶に残る出来事でした。
近くにゆるやかな登り道があったのには、岩から降りる時に気が付いた...。



山を下りて駐車場まで戻った後、橋の下の小川の一角にある「橋下の地蔵」へと向かう。
案内表示がなければ近づかないような場所だが、橋の下には地蔵菩薩が2躰と梵字種宇が彫られている。



この場所への入口に“マムシの生息地です。毒蛇に注意”と書かれていたのが不気味で川へ降りるのが躊躇われる。
さすがにこの季節にマムシは活発に活動していないだろうとはいえ、そもそもマムシの居そうな場所なんてのはジトジトして薄気味悪い所です。

なぜこのような場所に摩崖仏が彫られているのかについてはよく分かりませんが、水辺で亡くなった方の救済をされているのでしょうか。
また、この2躰の地蔵菩薩は山中にあるような摩崖仏とは少し様相が違い、羅漢像のようなお姿にも見える。



座像は地蔵菩薩というより僧像のようにも見えますが、耳は大きく長い耳たぶが福福しく垂れている。
錫杖と宝珠を持った立像は衣文がリアルに彫られて顔は天を見上げている。



“石の道”を辿って三重県津市まで来てしまいましたが、この石の道はここが東端になるのかもしれません。
三重県では滋賀県の甲賀市と隣り合わせになる伊賀市に多くの摩崖仏や石仏があるといいます。
せっかくですので伊賀市の摩崖仏のごく一部だけでも立ち寄りたいと伊賀へと向かいます。


コメント
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